加藤三郎の生い立ちから現在までのストーリー
たとえようがないほどの醜い自分に直面しました。
胸の中からその醜さがもくもくと黒い煙のようになって立ち上るよ うな
そのような自覚でした。
しかし、そのような自覚が生まれてから、 もうごまかすのはやめよう
ありのままに自分でいいではないか。
そう思えるようになり、すごく楽になりました。
そして自分の底なしの醜さを感じ自覚したことから
人がどんな醜く見えることをしていたとしても
それにはそれなりの理由があり
それゆえに人を裁くことはできない
自分も同じような醜さを生きた人間なのだから
といった自覚も生まれてきました。
そういう自覚がとても自分を楽にしてくれたのです。
5、刑務所での私の生活
こうして自分史の捕らえなおしを経て、かなり楽になった私は
1989年8月熊本刑務所に収容されました。
私はその刑務所の中でも、 あまり自分をごまかさず生きてこられました。
いまの刑務所の受刑者処遇のあり方の中には
受刑者の精神的な屈辱感を深めたり、 人間不信を深めたりするようなあり方も
かなりありました。
そういうことについても
私が自分の気持ちはごまかさず
しかし刑務所当局の立場や
刑務官個人の立場など考慮しつつ、
こういうあり方は受刑者が出所した際、 再犯へ追いやる方向になる働きかけにな
るから
改善してほしいといった要望を、 文章の形で提出する行動を取り続けました。
これは刑務所に対する反抗ではなく
私が犯した罪を償うひとつの実践です。
少しでもこの社会から、 私が犯したような犯罪がなくなってほしいという
そういう思いに根ざした願い出です、 そんな風にいつも書きました。
一方で所内しには自分を見つめてきた過程や
刑務所に中で自分の無自覚さに気づいた体験など
毎月のように投稿してきて、よくのせてもらいました。
また刑務所に来ておられる、 教戒師の先生にも積極的に面接を願い出て
心からの話し合いあの場を持ってきました。
とても深く影響を受けた先生もいました。
こうして私なりに、充実した刑務所生活を送ってきました。
6、出所後の生活
こうして私は12002年12月末に熊本刑務所を出所しました。
そして岐阜県の無人の実家に帰り、 その荒れ果てた家を整理清掃する日々からはじめ
ある程度片付き、またこの山仕事もはじめました。
そして、精神病院に入っていた兄や、 大阪で結婚生活を営んでいた妹との関係も
少しづつできてきて、回復してきて私が出所して2年目ころには
妹が大阪の生活に行き詰まりを感じてか、実家に帰ってきました。
兄も5年目ほどから、実家に帰ってきました。
6年目くらいには父母が世話していた新実という少し知的障害のあ る人も転がり
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