うつだっていいじゃない!【其の六・退屈】

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【退屈が心を蝕む】


父と私による「24時間看護体制」が始まった。


仮の話。あの時こういった物書きをするということにもっと関心を持っていれば、全く違う看護生活を送れていたのかもしれないなと。


看護生活が始まった当初は、母も完全に寝たきりというわけではなく時折普通に会話もできていた。


「あれが欲しい」とか「これをして欲しい」という要望も口にしていたから、召し使いのようにあれこれ動き回っていた。


だから半日という時が過ぎ去るのはあっという間だった。



しかし、徐々に寝ているだけの状態が長くなってきた。


そうなると私にできることは基本そばに居て見守ることだけ。


苦しそうな声を出した時や、モルヒネ交換のタイミングでナースコールを代わりに押すこと。稀に起き上がれた時に介添えをしながら水を飲ませること。


他にできるのはそれぐらいだった。


こういう言い方は相応しくないが「退屈な時間との戦い」が待ち受けていた。


毎日何かしら本を持ち込んで読書をする。タイミングを見計らって病院の外へ行き、つかの間の一服をする。


それ以外に何もすることを思いつけず、ただただ交代の時間が来るのを待ち続けた。



この退屈な時間との戦いが、文頭に記した「物書きをするということへの関心」、「全く違う看護生活」につながっている。


闘病時に計測する体温や酸素量という数値だけのメモ書きは今も形見代わりに残してある。


だが、あの時に日々自分の気持ちを素直に映し出す日記のようなものを綴っておけばよかったなと、今さらながら後悔している。


というのも、そんな退屈混じりの日々は母の体だけでなく、自分の心も少しずつ蝕んでいったような気がするのだ。



「まもなく最期を迎えるであろう母が徐々に衰えていく、記憶も定かでなくなる、時間すらあやふやになる。」



頭ではその事実を理解できていても、心ではしっかり受け止めきれていないというギャップがあったはずなのだ。


頭と心の間にできた深い溝。


その溝を、文字に起こし書き留めていくことで少しでも埋めておく作業が必要だった。


後の祭りに過ぎない話だが、今はそう考えている。



実際母にしか見えないものが見えるという幻覚症状も起こりはじめた。


務めて冷静に話を合わせるようにしたが、一体何が見えていたのか?そんな事ですらも書き綴っておけばよかったのだろう。



看護をし始めてから1ヶ月。


その日は母が病床でうわ言のようにつぶやいていた通りの朝になった。


「自分の誕生日までは生きないと…そうすれば母(私の祖母)の年齢を越えられるから…」



誕生日を迎えた翌朝のこと。


母は静かに旅立っていった。


やはり自分が決めたことは必ず守る人だった。


最期の瞬間、父は母にひたすら呼びかけていた。


私はその光景をただ黙って眺めていた。


涙が出るわけでもない。


自分の中の張り詰めていた何かが切れてしまったのか、肩の荷が下りた安堵感だったのか、それとも何か別のスイッチが入ってしまったのか。


わずか数分足らずのことだったが、ボヤッーとしていた。


そこからは母の身体をしっかり清め、葬儀会社へ連絡を取り様々な打ち合わせが始まった。



初七日を終えるまではかなり慌ただしい日々が続いた。


脱力している父に変わり、葬儀会社との打ち合わせは私と妻で対応していた。


こういう状況の時は誰しも気が張るものなのだろう。


我ながら初七日が終わるまでの言動があまりに冷静すぎて、今思えばちょっと怖かったぐらいだ。


イラスト/ ©2016 つばめとさくら

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