え~そんなに借金あるんですか~!?
結婚してすぐに、夫のクレジットカードの借金が明るみに出ました。
このだめんず日系人とは、あまり交際期間がないまま結婚しました。これまで私が追いかける恋愛ばかり、しかも全員「君には僕は必要ないよね」と捨てられるパターンに疲弊していたんです。このだめんず日系人だけは、永住権に関しても「えー僕を使って!」「僕は、○○のファンクラブ会長(会員は彼だけ・・・)!」と、まーそれはそれは猛烈に、執拗に、私を追いかけてきたのです。執拗に追いかける、という点では今も変わらないかも(汗)。結婚して14年たちますが、今でも蹴っても蹴っても付いてくる子犬のようです。ま実際はただのおじさんなんだけどね。
結婚してすぐに、クレジットカードの借金が600万円くらいあることが明るみに。
ま、まじですか~!?
でも、独身があまりにも長かった私。財力はあります。一括で返し、クレジットカード会社よりも低い利率できっちり返していただきました。
前回の恋愛を参考に、私はこの男には尽くさないことに決めていました。大学時代5年付き合った彼も、前回4年同棲したハンガリー人も、私、尽くしたよね、で、失敗したよね?
というわけで、結婚14年ずっと女王様として君臨してきました。誤解がないように言い訳しますが、家事はちゃんとやってきました。
尽くさないけれど、家庭の出費はほぼ私が全部出していました。
じゃ、夫の給料はどこにいっていたか、って??
やつ(やつ呼ばわり)の提案で、結婚3年後くらいに他州に7件投資物件を買っていたんですよ~。そのやりくりは夫がやっていました。
結婚した翌年、さらにその3年後に子供が生まれます。上が男の子、下が女の子。どちらも結構小ぶりな、二人とも身長と体重がまったく同じ大きさで生まれてきました。
上の子は、生まれたときからやばかった。すぐになかないで、NICUに速攻連れて行かれてたからねぇ。結局通算おおげさでなく1000回以上吐くような子で、固形物が食べられるようになったのも、歩くようになったのも、生後23ヶ月たってから、です。
下の子は、生まれる前からやばかった。上の子とは違い、おなかの中でちゃんと動く子でした。上の子は、胎動ゼロ!!動かないやつだったのです。元気なのは分かったけど・・・生まれる前の超音波検査で、「水腎症です」と言われていました。医者からは、50%の確率で生まれてくるときに治ってるから、という話だったので、思い込みの激しい私は、「治ってるほうの50%だ」と勝手に思い込んでいました。
でも、生後1日目に病室を訪れた医者の顔が険しい。
何~!?嫌な予感。
がーん。
結局その後、何週間か毎に、検査に通うことになりました。
私が勤めていた当時の会社は日系の会社。
通常、産後6週間までしか権利を守られていないアメリカ社会で、マタニティー3ヶ月、育休4ヶ月、合計7ヶ月のお休みをくれた会社に感謝です。日本と異なり、アメリカではいつから産休に入るか自分で決めることができ、私や他の同僚のように、産気づいて産むことになった日から産休に入ることも可能です。おかげで、まるまる7ヶ月子育てすることができた。
ま、二人目のときには「○○さん、これからはアメリカスタイルで、産休6週間にしましょ」と軽く言われて、「じゃ、今日でやめます、さようなら」と電話を切り、すぐに電話がかかってきて「分かった分かった7ヶ月で良いですよ」と無理やり言わせた経緯があります。後輩たち、私がここで折れていたら、あなたたちの産休は6週間になっていたのだよ、感謝しろよな~(笑)
上の子は、7ヶ月で預けて仕事に戻りました。
下の子は、どうしよう、6ヶ月たって、何度も何度も検査してもよくならないじゃん。仕事やめて、家にいたほうがいいのかな。
そして、7ヶ月直前、医者から「もう手術しましょう」と言われ、最終検査を行うことになりました。私はこのとき、すでに仕事をやめる覚悟をしていました。
でも、医者から驚きの言葉が。
おぉ~!!!こういうのを、世間では奇跡、というのだろうと思いました。
子供の問題はひとまずクリア。
しかし、会社が傾いていきます。
私の勤めていた会社は、日本で高校生にダイレクトメールを送り、説明会に誘い、留学したい人のお手伝いをするような会社でした。日本サイドには本部があって、アメリカ各地にオフィスがあり、多いときには1学年500人の新入生を送り出していたこともあります。
個人情報保護法が適用され、ダイレクトメールを送るための名簿が購入できなくなった頃から、会社の雲行きが怪しくなっていきます。
私は、古株だったこともあって、一応カリフォルニアのディレクターになっていました。ディレクターミーティングに出席すると、「あ、会社やばいの?」という瞬間があちこちに出てきます。
まず、人員削減。今まで対面で行っていたことを、外部に発注してコールセンターで対応させるようになった。そのトレーニングをさせられた。あ、これ、まずいな、と思った。
もう一つ、今まで対面で行ってきたことを、ウェブサイトでご覧ください、に変えた。ウェブサイトの内容も、お手伝いした。うわ、これ、まずいな、と思った。
ある日のディレクターミーティングで、今後の方針を話合っているときに、どこの地域の誰だか分からない、でも男性が
と、ぼそっと言った声を拾ってしまったことがあります。こ、怖いよ~!
最終的にはディレクターと数名だけを残す、という話もあり、あ、これはまずい、と思いました。
きれいごとのように聞こえるかもしれませんが、うちのオフィスの子が切られそうになったとき、彼女を残そうと思って、私が辞表を出しました。惜しまれました。でも、本音は、○○(私ね)に払っていた給料が浮いて、ほっとしていたんだと思います。代表とその奥様と電話で涙のお別れを言い、私はやめることになります。
教育関係の仕事だったので、取引先の大学がいくつか固定されています。
そこに、「これまでお世話になりました」とご挨拶をしました。
そこで、また棚からぼたもち、ひょうたんから駒、人生を変える出来事が起こります。
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