⑤私が「私に暴力を振るい続けた死にゆく母を笑顔で見送るべきか(長文です)」と知恵袋に書き込んだ者です。
小学4年生になる少し前、私の父名義の家は完成した。
家の名義こそ私の父であったが、実際に家を建てるうえでの頭金やローンのほとんどを支払ったのは年金生活をしていた祖父だった。私が生まれてからずっと、豆腐工場アルバイト生活の父に4000万も払える経済力などある筈がない。
私は初めて持つ自分の部屋やピカピカのキッチン、温度設定をすれば自動的にその温度で出てくる風呂の湯に心躍らせた。
新しい家に段ボール数個を持って家族3人で引っ越してきたのは3月の日曜日。
私たちより数日前に祖父母は家に移り住んでいた。私の嫌っている、あの臭い老犬「チビ」は早くもリビングで小便を何度か漏らしていたが、さすが新築の家。木の心地よい香りはチビの悪臭などなかったことにしてくれた。
「これから、よろしくお願いしますね。」
そう私の父が祖父母に挨拶して、
「ああ。」とだけ祖父が返す。目つきの悪さから性の悪さをうかがわせる祖母は、私と両親をただ睨むだけ。その視線に気分を悪くさせられた。
初めてその家で寝た時は、2階の私の部屋になるべく9畳のフローリング子供部屋だった。
布団を敷いて両親と一緒に川の字になって寝た。家のすぐ近くを電車が走っているのは知っていたけれど、電車が通るたびにこんなにもうるさく地震のように家が揺れるだなんて想像もしていなく、眠りに落ちるまで数十分の時間がかかった。
布団の上、横になった父は早くも「欠陥住宅じゃないか?」と不安を漏らしていたのを覚えている。
起きて家族5人で食べる初めての朝食。
メニューは忘れたが、ダイニングテーブルの向かえに座る祖母の私を睨む憎たらしい顔は忘れられない。
私は茶碗を持って白飯を頬張りながら、なるべく祖母と目を合わせないようにしようと心掛けた。
祖母は脳梗塞の後遺症で右半身が麻痺していたものだから、左手を使いフォークでおかずを刺す。
ゆっくり動かす祖母のフォークを持った手。小さなダイニングテーブルの上で邪魔。
少しの間、祖母のフォークの行方を目で追っていると、祖母は私の顔をまた睨んで一言。
「醜い子だね」
私はハッとなって祖母の顔を見上げた。今の言葉は呂律も回らない祖母が言ったのか? 一瞬、言葉の出どころさえも分からなかったが、やはり犯人は睨みを利かせ続ける祖母のようだ。
私は『今の言葉、聞いてたでしょ?』と、言葉にはしなかったが内心驚きながら両親の反応をうかがった。
父親も、母親も、祖母の声を聞こえていたはずなのに私に目をやることもなく、テーブル上の朝食を静かに食べ続けた。
私は怒りなのか悲しみなのか、よくわからない感情を押し殺しながら、反論もすることなく朝食を食べ終えた。
『あんたら、味方じゃないのかよ』
私のそれまでの短い人生史上最悪の朝食を終え、食べ終えた皿をキッチンの流し台の上に持っていく間、母親が話し出す。
「じいちゃん、あの新しいミカの部屋なんだけど、朝陽が差して凄く良い部屋よ。部屋からの眺めも良いのよ。出窓も可愛いし、電車が見えて子供部屋に最適だわ。」
すると、
「あぁ、あの部屋は俺の部屋にするから。あそこで絵描くからや。アトリエにすっから。」
と、祖父が言い出した!
『え、何言ってるの急に!! ふざけんなよクソじじい! 話が違うだろ! あれは家建てる前から子供部屋に使えって、お前が言ったんじゃないか!!』
と言ってやりたかった。はらわたが煮えくり返る。
『ねえ、何か言ってよ、お母さん!お父さん!』私は涙を浮かべながら両親に目で訴えた。
でも、両親とは目が合うこともなかったし、祖父に反論してくれる人間もいない。
こうして、他に空いている部屋は5畳ほどの日の当たらない部屋しかなくなった。
部屋がどうこうよりも、家で私を擁護してくれる人間が誰一人としていないと分かった事の方がショックだった。
『私って、この親にとって何なんだろうな』
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