金融バブルの星屑 その2 バブルの頃

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あれは何だったんだろう?日本中が狂乱したバブル。振り返ってみて今残っているのは派手すぎて着れないイタリア製のウグイス色や小豆色のダブルのスーツ。

まだ30代で独身でもあったので社費・私費共にで赤坂で飲み歩いていたが、終電車が無くなった後タクシーを呼ぼうとすると、「今からだと4時過ぎだって。」と、ママさんが叫ぶ。

「じゃあ4時まで飲んじゃいましょう!」


その内に個人タクシー軍団と知り合いより早い時間(といっても1時過ぎだってだが)に車を捕まえることができるようになった。

タクシーの運転手に「おまちどう様でした。ところで飲み物は何になされれますか?」

と聞かれた時は驚いたが、あんなに浴びる程飲んでいたのに、

「それじゃあビール」

と言っている自分にも驚いた。

彼かに取っても我々は上客。独身寮は東京から高速で30分で着くところで、往復でも1時間で長距離の一稼ぎができるルート。持ちつ持たれつの関係だった。


その頃、会社の財務部の幹部連中が一斉に飛ばされた。

所謂、財テクの失敗。

銀行は金融緩和のせいでお金がジャブジャブで貸せるもんなら何にでも貸していた。

「飛ばし」とか「宇宙遊泳」というのが引掛った手だが、簡単に言うと株券を元にした「ばば抜き」。

仕組みはこんな風。

運転資金がを借りたいが銀行から直に借りるには信用が足りない会社がいる。

銀行が株式を購入する資金を貸し付け、その金で株を買う。

その株を担保に証券会社が金を貸してくれる会社を探す。

その会社は銀行から財テク資金を借りて借手から株を担保にして貸し付ける。

何と銀行は「一粒で二度美味しい。」2倍の資金を貸し付けることができる。

ここ迄であれば皆んなハッピー。だが、世の中そんなに簡単ではない。

借手の会社。満期に返済できる様な会社だったら、この様な面倒なことはしていない。

それなりに問題がある。業績は良いかもしれないが成長に必要な金が足りないとか。

そこで次の獲物を証券会社と共に狙うことになる。

元本+利息で110になっている借金。担保の株の値段が同様に10%アップしていれば何の問題も無い。取り敢えずその時は。

こうして借金の元本はどんどんと増えていく。

いつしか株価とは関係が無くなっていくが、次の獲物がいる限りは問題無い。

その様に次のプレーヤーに「ばば」を渡そうとして気づくと誰もいない。

(あーあ、ばば引いちゃった)

気づいた時には担保の株券の価値は借金に比べると恐ろしく小さい。

銀行からの借金は減らないから差額が損失。

相手が一社ならまだしも数社。総額は数十億円。

高くついた「ばば抜き」。


取引銀行の担当者は貸す当ても無いのに預金目標を達成する為に物乞いの様にやって来た。

たまたま起債をしてお金が口座に溢れていた。

「平残10億でお願いします。」メインバンクの担当者。

「いやいやここは15億でお願いしなさい。」とは上司の次長。

こちらは何かある度に、「系列証券での飛ばしの件。約束の儲けとまでは言いませんので、何とかよろしくお願いします。」と、オウムの様に繰り返すのみ。

他にも邦銀の国際化が叫ばれた際に同行が手掛けたMBO(経営者による会社買収)に伴う資金調達で、財閥グループ各社に金融商品を押し付けたものの、その後の米国株式市場の混乱で再上場を果たすことが出来ずに焦付きの怖れが出ていたりした。この顛末は又後程。

この二人良いコンビで仕事も早く聞ける無理は相当に聞いてくれた。よってこちらもできるだけの誠意は示して行内での立場が良くなる様に配慮したつもりだ。


同じ財閥系の信託銀行の担当者。若いのに役員の覚えよろしく、ズバズバと物を言う。

船の融資は一隻20億円から100億円。大きくは儲からないが案件としたらデカイ。

銀行毎の大体のシェアー割は考えているのだが、銀行毎のその時の事情によってお金が出やすかったり、条件が甘かったりしたので、案件が出てくると概要をまとめてメインバンク、準メインに提示してサウンディングをする。

そんな時いつもこの信託銀行の担当者は、「全部やらせてください。XX常務の了解を取ります。」と、極めて積極的。

また、、「御社のメインバンクになるのが私の夢なんです。」と、飄々と言う。

実際、最重要取引先リストに載せるべく経営会議に諮ってくれたが、その資料作りに一緒に何日も終電車迄仕事をし、リスト入りすることが出来た。


今は亡き長期資金の出し手であった2行とも非常に付き合いが深かった。

キューピーの人形がマスコットで割Xーの債券でも有名だった今はみずほグループの銀行。

行員は大抵、東大、京大、阪大、一橋。優秀な人材が多かった。

戦後の旺盛な産業設備投資に資金を供給するのが使命であり、鉄鋼、電力、海運などが主要な取引先であったが、日本の産業構造の変換により製造業での資金需要が頭打ちになったことや、長期資金を都市銀行や債券市場で企業が調達できる様になってきた為に、その存在意義を問われる様になって来ている時期でもあった。

部門が家族的で部長を中心に団結力が強く表れていた。言い方を変えると上司の言うことは絶対。

一度、次長を接待していた時、若い女子行員の話になったのだが突然、銀行に電話をして、

「今から八重洲の中華料理店にすぐ来い。」との命令。

30分程で駆けつけたのには驚いたが、閉会となって駅に向かっている最中に、その女子行員、

「これから友達とスキーに行きますので。」

そんなまさかと思ったが本当に東京駅前で友人達の車に。

東大の教養卒でした。

何代か後の担当者。やはり東大法学部卒。そつなく仕事はこなし仕事以外でも東大繋がりで通産官僚などと勉強会をする真面目な人。ところが父親が急に倒れたということで急遽大阪にある実家の事業を継ぐということで退行。「パチンコの製造をしているんですよ実家。私が帰らないと潰れてしまうんで。」 東大 → 銀行 → パチンコ製造業。厳しい選択だ。

その次の担当者も東大卒であったが中々人当たりの柔らかい人。

自分の銀行をこよなく愛しており、後に富士、第一勧銀との合併でみずほ銀行になることが耐えられなかった。この人達のその後についても後で語ろう。


もう一つの長信銀。非常にに育ちの良さそうなお公家さんの様な集団。

ところがある日受付でとんでもないものを見てしまった。

受付で先輩とおぼしき女性行員がこれも後輩とおぼしき女子行員に声を高く、

「何度言ったら分かるのですか。 この場合は、こう言って。」

後輩女子行員はもう涙目と思ったら、とうとう泣き出す始末。

お客さんの目が有るのだからもう少し考えれば良いと思うのですが、その後担当者にその話をすると、

「あそこは大奥ですから。男子行員は何も言えないんです。」


大手町にあった本店を日比谷の新社屋に移した際のこと。

狭い土地の上に凝ったデザインの建物を建築。

社員食堂はカフェテリア式で、角からはベイブリッジも覗けた。

高層階に有る来客応接はエレベーターを登ったところに受付。

ちょっと前、泣いていた新米女子行員もケロっとした顔で「私が銀行の顔よ。」然として座っている。

ワンフロアー全部が応接室になっているのだが、面白いことに気づいた。

当時、財務課長をしていたのだが一人の時は隣のビルが窓から見える部屋。

部長と行くとビルの陰になっていない部屋。 

担当常務と行くと正面に日比谷公園から皇居まで見渡せられる部屋。

案内される応接が違うのだ。


ここの行員達とは良く飲みに行った。

会社の福利厚生施設が北品川にあったのでそちらを使う事が多かった。

周りが瀟洒な高級住宅街で是世話なカラオケをやっていて退館した後も屋外で五月蝿いとの苦情が近隣から出たが、御近所さんに時々解放したところ思った以上に好評で苦情も減った。

一次会で終わることは稀で二次会は場所を移して赤坂でカラオケの続き。

例によってタクシーが捕まるはずもなく朝まで。

朝の6時にそれぞれ銀行、会社へ直行。

「お疲れ様でした。」と声を掛け合いタクシーに乗り込む。元気でした。


一度、その銀行の接待寮というところに招待された時の事。

場所は通りから一本入った所とは言え、都内の真ん中とは思えない程に静寂。

タクシーで行ったのだが着いてビックリ。砂利を敷いた車寄せで着物姿の仲居さん達が一列に並んでお出向かい。

内部もまるで高級ホテルの様でシャンデリアがジャーンとぶら下がっている。

お上りさんと化した我々は誘導されるままに部屋へ。

「料亭みたいですね。」「いや変な料亭より凄い。」

そんなか内輪の会話をしていると銀行側も登場。

さらに驚いたのが宴たけなわという所で、「ちょっと部屋を移動します。」とのこと。

案内されたのはカウンターのある小振りな部屋。カウンターには大きな鉄板が鎮座しており、その後ろにはテレビで見る様な白い長いコック帽を被った料理人が立っていた。

「今晩は。本日の調理をさせて頂くものです。ところで本日調理させて頂くお肉はこちらになります。」

そこには立派な霜降りの大きな牛肉の塊。美味しく頂戴致しました。


その頃、この銀行側が我々との関係を努めようとしていたのには理由があって、超金余りの中で融資額を増やそうとの系列のノンバンクを駆使して不動産投資に突き進んだ。

小妙なのは銀行本体が融資額には関係せずノンバンクと言われる関係会社を介して融資を行ったこと。

それでも焦付きが出れば銀行本体にもダメージになる。

長信銀第2位という焦りであろうか今から思えば信じられない様な会社にどんどんと貸し付け、不良債権が雪だるまの様になっていた。

当時の大蔵省のf不動産向けの総量規制が始まったこともあり、何とか代わりの大口貸出先を探していたということだ。当時の親会社は財閥系鉄鋼会社XX金属。その他、非鉄のXX鉱山、化学のXX化学と安心感のある顔ぶれ。業績は円高の進展もあり芳しくなかったが稟議書を上げやすい会社だったのも事実だ。

そこで不動産変わる貸出先候補として白羽の矢が立てられたと言う訳だった。

またしても終電続きの書類作成と説明。若かったから出来たと思うが、担当者の尽力もあって無事経営会議で重点取引先と承認されたとの連絡を貰ったが、銀行は裏で不正経理に手を付けていて、現場での必死の努力も無に喫してしまうのだが。この時はまだそんな事を知る余地はなかった。


もう一行、その成り立ちから外為に強い銀行も銀行団の一つだった。同じビルに入っていた事もあって主に辺鄙な国への送金で利用していた。

この担当者が入行早々だというのに妙に言葉が立ち、話の最中にこっちが押されることがしばしば。

ある日、階段を登ってうちの会社のあるフロアーに上って来て、

「実は転勤の内示が出ましてご挨拶に参りました。」

「それはご丁寧に。どちらの支店に?」

「それがアメリカなんです。」

この銀行がカリフォルニア州で現地行を買収して経営していたのは知っていた。

「それじゃあ。XXX BANK?」

外為専門銀行として生き残る事が難しい事は自明であったので、この現地行買収は同行にとって大きな賭け。結果として邦銀による外銀買収の唯一と言って良いほどの成功例に挙げられるケースとなったが、大きな流れは変えられずに財閥系銀行と一緒になり、辛うじて当時の行名の一部がそのメガバンクの名前に残っている。但し、多くの行員が財閥色を嫌って去ったと言われている。


この時は日々の仕事が忙しかった事もありバブルがギシギシと音を立てて軋みだしたことには全く気付かずにいた。




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