新卒で入社した一部上場企業が民事再生法適用になった話 その2

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海運会社の収入の大部分はドル。その上船は余っている。そしてもっと決定的だったのは日本の鉄鋼ミルの競争力が衰えてきた事。

日本の造船所に支払う代金は主として円。日本人船員を乗せていた専用船の船員費も円。

でも鉄鋼メーカーが円ベースでコスト+利潤を払ってくれていた間は何とかなっていたが、鉄鋼メーカー自身が韓国のポスコ等の新興国との輸出競争を始めるとそうも言ってられなくなってきた。

悪い事に日本の船社が船を大型化する際に要らなくなった古い船を新興国に売却した為に、それらの国の船主が日本の鉄鋼メーカーに安い運賃を提案し始めた。

優秀な日本人船員が乗っていて最新の船と言っても、運ぶもの自体は石や砂利みたいなもの。

(そんなにお金を掛けることないじゃないか!)と、鉄鋼メーカーが気づきだした。


一隻あたりの年間船員費が日本人で3億円、フィリッピン人で5千万円。

これでは勝負にならない。

強固な姿勢で恐れられていた全日本海員組合も「日本海運」存亡の時という事で「緊急雇用対策」と言う名のリストラに合意。3万人強いた組合員数が1万人を切るのに時間がは掛からなかった。

その時、私は企画部という部署にいてリストラ計画のとりまとめをしていたのだが、うちの会社も500名程いた従業員を200名弱まで減らすと言う荒療治をせざるを得なかった。


退職金と不要になった船の処分に数十億円掛かったが、幸運な事に住友グループ並びに金融機関との持ち合い株式が当時は増資の大部分が額面であったこともあり「含み益」となっており、また退職年金資産も多額を蓄えていたので自前で賄うことができた。

会社を去らざるを得なかった人達には通常退職金にかなりの金額の加算金を支払い、また他産業は未だバブルに踊っていたので、取引先の企業で仕事を得られた方達も多かった。


これだけ手を打ったのだから業績も何とかなって欲しかったが、マーケットは一企業の力だけで変えられる様なものではなかった。

「日本は島国で資源が無いのだから海運はなくら無い。」

業界ではその様に言われていた。

(海運は無くならないだろうけど、それが日本の海運会社である必要はが有るんだろうか?)

そんな疑問をいつも抱えていた。


そして遂に「希望退職」の募集。

退職金の加算と転職支援サービスの提供。

皆んな自身の退職金額を計算していた。

問題意識を持った若い人間が去って行ったが、転職先がビックリ。

同業の大手や新興企業。

残された方に惨めな様な感じが漂った。


そして90年代後半のアジア通貨危機が更に追い打ちを掛けることとなった。

もはや損失を埋める専用船の利益も無い。

一か八かでシンガポールへ出ることとした。

成長している市場に近い所で現地人中心のオペレーションをする事に賭けようと思ったのだ。

所が残される方の「本社」側が、それでは自分の達の存在意義が無くなると、何かと手を貸すかの様に装って実はが邪魔をするという自体に。

その時、シンガポールに赴任してオペレーションの立ち上がりに従事していた私は、

「こりゃもうダメだ。」と判断。

シンガポールから転職活動をしてシンガポール駐在員のまま2年後会社を去った。



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