英検1級、京大数学7割をとり、京大医学部に合格させる方法

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  高校を卒業して30年を経過して50代での受験となるため、ほぼゼロからのやり直しとなった。しかし、この試みが成功したら、生徒の方の信用を勝ち得る可能性が大だった。失敗は、許されない。

 灘やラサールや東海の過去問を集めて練習する授業を、A子ちゃんのリクエストから始めた。そして、当然のように四日市高校の国際科に合格した。

 その頃、メールやファイルが普及し出したので私はさっそく

「家庭学習中に出た質問はなんでも送れ」

 と塾生に檄を飛ばした。私は中学生は5科目、高校生は英語と数学に対応できるのだ。ところが、そんなサービスも怠け者には何の意味もない。

 しかし、A子ちゃんはほとんど毎日ファイルを送ってきた。その質問の内容も勉強していないと出来ない質問ばかりで感心することが多かった。私は、A子ちゃんからどれほどの力をもらったことだろう。実は、白状するが高校の数学を指導しようと決めたのは彼女の影響が大きい。まさか、塾生に背中を押されるとは。

 日曜も、祝日も関係なく、365日働いてもダメだった。奥さんが連れていった時、末娘はわずか三歳。残された次女は小学生の低学年、長女は高学年だった。そんな子供たちの顔を見ていたら、過労死など怖くなかった。

 そんな子たちも、大学受験が近づいていた。

父が私のためにかけてくれていた生命保険を解約し、母の年金ばかりか、葬儀のための積み立てさえ崩させてしまった。娘にお金をせがまれても、出せなかった。もと奥さんのために買った指輪は、下取りでも1万円にしかならなかった。

本当に亡くなった父に顔向けができなかった。ろくでなしの息子だった。

 土地を売ろうにも、遺産相続がうまくいかないし、リバースモーゲージは都会のみと言われるし、もう万事休すで夜逃げか首吊りだと思った。

 英語に関しては、A子ちゃんは高校の時に英検の準1級に合格した。だから、英検1級の先生が必要になった。私は彼女の書いてくる英文の日記を読みながら添削をし始めた。これが、後にネットによる通信生の募集につながった。まことに、A子ちゃんが私に与えた影響は大きい。

 1級レベルのアドバイスをすると、たいていの生徒の方は

「何を言っているのか分からない」

 という反応だったけれど、A子ちゃんは私の意図することを即座に理解するため、授業も楽しかった。語彙や文法が正しければ良い英作文が書けるわけではない。

  その当時、講師を2名雇っていたが、どうしても1人クビにしなければならなかった。そしたら、1人の講師と大喧嘩になりクビにできた。外国人の講師で、日本が嫌いな講師だったのだ。

 

 京都大学を受けた結果は、以下のようだった。

 

   平成18年、20年(文学部)   正解率の平均 33%

   平成21年、22年(教育学部) 正解率の平均 39%

   平成23年、25年(総合人間) 正解率の平均 64% 

 

  最高が70%であった。京都大学のボーダーラインは医学部以外65%程度なのでボーダーを越えたと判断した。

 

 京都大学

第四章

「危機からの脱出」

  講師の先生には、このままでは倒産であることを話していたから、退職金の話はでなかった。講師をクビにできたお陰で、

·  退職金を出す必要がなくなった。

·  融資を受ける必要がなくなった。

·  高校クラス、通信制が軌道に乗り始めた。

 あれは、まさに千載一遇のチャンス。神様のご加護だった。

「もうダメだ」

 と思った時に、生徒が来てくれ、知恵を絞って金策に走り回っていた。娘の大学入試が迫っていた。

もちろん、守りだけに奔走していたのではない。この地区は少子化だし、過疎の町だし、何より進学に興味がある人がほとんどいない。だから、心の中で見捨てた。

 当たり前だが、マナーやエチケット、採点官に対する思いやりが欠ける英作文は高く評価されない。学力だけではなく、そういう人間的な深みがないと見込みがない。浅い理解では京大などの難関大は合格できるものではない。

 実は、私に京大を7回も受けさせたのも直接的にはA子ちゃんの影響が大きい。

「この子は日本の宝だ。何としても志望校に合格させなければ」

 と思った。出来ることは何でもやる。娘以外の人間で、私にそんな思いをさせたのはA子ちゃんが初めての生徒だった。

もっと大きなマーケット。そして、ネームバリューのあるもの。私ができることを考えた。それも、お金がないのでタダで出来るもの。そこで考えたのが、京大生むけの英作文の添削の通信生。その構想は以下のようなものだった。

·  全国をマーケットにして

·  京大という日本で有数の知名度を利用し

·  京大を受けて、成績開示をし、

·  ブログやYoutubeの動画は無料だから、広報する。

 京大は、毎年1万人くらい受験する。Z会の仕組みはわかっていた。添削者に質問できないのが弱点だし、添削者の実力が開示されていない。信用できない。

 この1万人の1%でもお客様になってもらえたら100人だ。見込みはある。写メやスキャンを使って親切丁寧にやれば受け入れられるはず。そう信じたものの誰もやったことがない試み。どうなるか分からなかった。

「私は英検1級、通訳ガイドの国家試験に受かっている。大丈夫だ」

 やるしかないのでセンター試験に願書を出したら受験会場は三重大のある教室。偶然にも、長女と同じ教室で受験だった。

 A子ちゃんは、あるクラブに所属して大会で入賞する成績をおさめていることは耳にしていた。ところが、高校2年のある時、自主的にそのクラブを引退した。理由は分からなかったけれど、成績が伸び悩んでいたのが理由だということは推測できた。

 私は、彼女の覚悟というか気魄に驚いた。

「先生はバツイチでも、1回結婚できたからいいですよ」

 と笑っていた。言葉の端々にクラブばかりか、彼氏も結婚も何もかも犠牲にしても医者になるんだという決意が満ちていた。彼女のクラスがある時は、楽しかったけれど緊張した。

「この仕事を始めてよかった」

 私にそう思わせてくれた塾生の子は多いが、彼女はダントツの存在だった。

  結局、Z会は8年間、京大模試は河合と駿台あわせて10回。センター試験は10年連続して受け、京大の二次試験は7回受けた。そして、成績開示を塾のホームページ、Youtube、アメブロ、フェイスブックなどで公開した。

 高校数学は、オリジナル、1対1、チェック&リピート、赤本をそれぞれ2周やった。

 全力を注いでも、必ずしもうまく行くとは限らない。そして、その時に誰も手は貸してくれない。家族のためなら鬼にも夜叉にもならなければならない。私は娘たちのためなら悪魔に魂を売ることも辞さない覚悟だった。

 学校のように、人工的に与えられた「愛」や「絆」ではなく、踏まれて蹴られて地面を這いつくばって、絶望のどん底でもがき、戦って、それでも残った思いだけが「愛」や「絆」と呼べるもの。

世の中は移り変わってゆく。それなのに、何もせず抵抗勢力にしかなれない人と仲間にはなれない。自分の愛する人たちを守るには、そういう自滅していく人たちと関わるわけにはいかない。

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