一番星

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著者: 今村 彩美

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 生まれた時、私は「間違えた」と思った。

 ああ、失敗した。ここじゃなかった。いまじゃなかった。と。でもそれは、歓迎してくれる幾つもの大人によって、納得させられなければいけなかった。

 生まれるべきだったと。最高だと。この国の、この時代の、この地域の、この幸福な両親の元に生まれたことは、最高だと。嘘でも。

 

 もちろんそれは、幸福な人生の始まりだったし、明らかに不幸な死への始まりだった。だけどそれに私が気づいていることは、あまりにも酷なことだと思った。両親に申し訳ない。私は幸せ。

 

 両親が風変わりなせいで、私の家は風変わりだった。それとも、この家が風変わりだから、両親は風変わりになってしまったのかもしれない。

 家は平屋で、庭の方が広く、庭にはたくさんのハーブや季節の花、葱や大根なんかも生えていた。私はそこに生えているたっぷりのレモングラスが好きで、こっそりと、たくさん摘んでは、一気に枯らして、母に叱られた。

 

 私達は「その日暮らし」だった。

「その日暮らし」というのは、毎日が「その日」の繰り返しで、続かないという意味。

毎日「その日」はやってくる。毎日が「その日」なのだ。「その日」を「暮ら」すことが、父の命令だった。だから私は、毎朝「その日」を見極めて、「その日」らしい一日をめざし、「その日」らしく、過ごし、「暮らし」ていた。だから、全く同じような一日だったり、何もかもが新しい一日だったりした。

「今日を、昨日の続きにするな。今日を、明日に持ち越すな。」

 一日一日を大切にしろ。

 それが父の口癖だった。理にかなっていると思う。

 

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 学校に行ったとき、やっぱり「間違えた」と思った。だけど周りを見る限り、私と同い年の、私と身長も体重もさして変わらないような男女が大勢いることに、私はまたしても認めて、納得せざるをえなかった。私はここにいるべきだ、と。

 学校は何でも教えてくれた。ちっとも面白くないことを、一時間ごとに区切って、何種類も教えてくれた。私が覚えたのは、感情移入の定理と、数字を美しく描くことだった。

あとは何もかもが、無意味だった。だけど、頭の片隅の、箪笥の右から三番目にしまっておいた。いつか探したくなる日がくるだろうから、その日のために。

 

 そして、いつの間にか、私は一人ではないことに気づいた。ふわふわと、ほにゃほにゃと、友達がいた。そして、いつの間にか、私は一人だと気づいた。友達は、ふわふわとして、ほにゃほにゃとして、可愛かったのに。

 

 私はあの頃を思い出して、つらくなる。

 学校は、いろんなものを、私達に与え過ぎるし、私達からあらゆるものを奪っていく。

 私はせめて、孤独だけは奪ってほしかった。何を与えられてもよかった。学習の歩みの評価が、「もう少しがんばりましょう」でも、「忘れ物に気を付けましょう」でも、与えられたものはすべて受け入れたのに、孤独を奪ってくれなかったせいで、ついでのように絶望も与えられ、受け取ってしまった。

 それらは今では親友となり、私は孤独と絶望に頼って生きている。

 学校は、何一つ間違えてなかったのだと気づく。

 

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 いつだったか、母が台所に立っていた時に、聞いてみたことがある。お母さんは、どうしてお父さんと結婚したの?と。素朴な疑問だった。お母さんはこんなに美人できっかりとしているのに、なんであんな、よくわからないものと生活しようと思ったのだろう。

 母は一つにまとめた髪の毛に、ターバンを巻いて、ポテトサラダを作っていた。私の嫌いなものだった。あの、ほぐれたじゃがいもにどろどろと巻きつくマヨネーズの、だらしなさといったら。

「それはね、パパが、結婚して!と言ったからよ。」

 私はびっくりした。そんなこと、頼むように言うことだろうか。

「結婚して!って、言ったの?」

「そう。結婚して!って言うから、いいよ!って言ったの。面白いでしょう。」

 そこでようやく、母は陽気なガールだったのだと気づいた。そうか、母は陽気なガールで、わけのわからないものを、面白かったから、即答でオーケーしたわけだ。

「ふうん。」

 そう言って、私は少しそっぽを向いた。

 結婚とは、もう少し、おごそかであってほしかった。そして、ロマンティックであるものだと思っていた。あの、ガラスの靴をそっと履くような、壊れないとわかっていても、ぴったりのサイズだとわかっていても、もしだめだったら?もし合わなかったら?もし壊れたら?

そういった不安と哀しい予感と、目をぎゅっと瞑って星に願いを込めるような、淡いものだと。そういったものだと。

 

だけど現実、母は父と陽気に「その日暮らし」をしているし、「その日暮らし」をしていたら私が生まれたわけだ。

それは本当の意味で、奇跡だったに違いない。いや、奇跡というよりも、むしろ驚愕に近い。だから、私は生まれた瞬時に、「間違えた」と思ったのだ。ここじゃない、いまじゃない、と。

 

そんな気まぐれな父と母は、気まぐれに死んでしまった。私が高校生になる直前の春。

きっと、「その日暮らし」に飽きたのだ。だけど毎日をまっすぐに生きようとして失敗して、

「ごめん、お先に。」

 と言って、死んでしまった。

 私は驚きもしなかった。

むしろほっとした。

 

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「ほっとしたの?」

 恋人は尋ねる。

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