一番星

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「今までで、一番泣いたことはなに。」

 私はすぐに答えた。

「中学生の時。一年生の時の、夏休みの宿題。ローマ字のプリント。ローマ字を美しく書くことが正しいことならよかったのよ。だけどね、問題は、『友達の名前』をローマ字で書きなさい、という課題だったのよ。」

 彼はひどく驚き、私以上に悔しい顔をした。

「ひどい宿題だね、」

 そう、と私は続けた。

「友達がいることを前提とした宿題って、酷なことだと思わない。せめて、たとえばジャパンとか、アメリカとか、パブリックなものだったらいいと思うのよ。どうして、友達というものが、大切で、大切なものを認識させるためのツールに、友達を持ち出すのかしら。学校は、ひどいわ。」

 私はぼろぼろと涙をこぼしながら答えた。

 私に孤立を与え、孤独をそのまま温めるような学校で、私はその課題に絶望した。

 たったその一問をこなすのに、何時間泣いただろう。たった十三歳の心では、受け止めきれなかった。なんてひどい。なんてひどい。

 なんて、なんてひどいの。

 

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 私は今日もウォッカを飲みながら、なぜかきちんと、北欧の歌を歌った。知りもしない歌。知りもしない言語。なのに、歌った。

 おじいさんと、お別れしなければならなかったからだ。

 初老のおじいさんは、初老というだけあって、もう寿命が短かった。だから私は別れの歌を歌ったのだ。

 その一時間後、おじいさんは静かに息を引き取った。

 そっと額縁をはずし、額縁によって隠されていた一枚の写真を見て言った。

「久しぶり、お父さん。」

 父は写真の中に閉じ込められ、出してくれ、出してくれ、と叫んでいた。私はそれを無視してカッターをちちち、と出し、

「うるさい。」

 と言って、引き裂いた。

 

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「君は、何を奪われたと思う。」

 私は少し考えた。奪ってくれなかった、与えられた、とばかり考えていたけれど、奪われたものについては、考えたことが無かった。

「わからないわ。何も奪われていないのかもしれない。私って幸せね。」

 私は答えた。

 彼は違う、と言った。

「君は、すべてのものに、君自身を奪われた。君は、君を失ったんだ。」

 

 私は、久しぶりに大声を出した。あああ、と。あああ。あああ。うあああああ。

 もう取り戻しに行くことのできない私を思って、泣いた。残っていない私の大事なすべて。私という誇りのすべて。残った、パン屑のような、がらくたの自分。

 

 だれか、だれか私を助けてよ。

 

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 幸福な少女は、もうすでにわかっていた。

 私が少女に向かって、まっすぐと立ち、まっすぐに少女を見つめると、少女は頷いた。

 いいよ。ごめんね。と、瞼を閉じた。

 私は持っていたガラスの花瓶で、幸福な少女を叩き割った。何もかもが粉々になるまで無心で叩き壊したので、自分の手も足も血だらけになった。

 そして、額縁の裏に隠された、一枚の写真。

 それはすでに、ガラスの破片によって、真っ二つに切り裂かれていた。

「ばいばい、お母さん。」

 

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 孤独と絶望は、私を恐れるようになった。

 誰も彼もが、私を恐れている。

 私は涙した。

 みんなどこへいってしまったの。

 みんな、どうして私をひとりにするの。

 

 恋人がやってきた。

 ぼろぼろの、めちゃくちゃの、何もかもが粉々の部屋を見て、真っ先に言った。

「この粉々は、あなたの心かな。」

 私はぺたんと座りこんで、ウォッカを飲んでいたところだった。もう何本目かわからない。

「星になりたいだけなの。」

 私は言った。か細い声で。

「星になって、どうするの。」

「わからない。」

「一番星になってもらわないと、星は数が多すぎて、ぼくは見つけられないよ。」

 彼はなぐさめるように、私の心の破片を探しながら言った。

「私は星になっても、はやくはやくって、急がなくちゃいけないの?」

 彼は手を止めた。

「だって、一番星って、最初に光らなくちゃいけないんでしょう。数ある星の中で、いっちばん最初に光った星だけが、一番星になれるんでしょう。誰よりも早く、誰よりも速くって、ずっと競っているのよね。私は一番星にならないといけないの。」

「ちがうよ。ならなくていい。ぼくが悪かった。」

 彼は戸惑った顔で言った。

「私は、星にもなれない。」

 彼は、私から最後の希望を奪ってしまったことに気づき、そのままへたりこんでしまった。

 

 行き止まりだ。

 もうどこにもいけない。

 

 もうじき夜が明ける。

 私は眠りについた。

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