自分らしくを大切にする人生 その2 ~ゲイということは死ぬまで隠そうと、真剣に思っていました。~

前話: 自分らしくを大切にする人生 その1 ~ゲイとして生まれて小さい頃の悩み。ピアノ、ソフトボール、ゴム飛び、ニックネーム。~
次話: 自分らしくを大切にする人生 その3 ~罪悪感を感じた大学時代の同性との初体験~

今から20年前の、北海道大学に入学した僕です。


当時18歳。高校を卒業したばかり。



これが今の僕。去年撮影しましたが、38歳。

20年間でこれほど変わりました。


それは、自分を受け入れられるようになったから、

そこに尽きると思っています。


前回もお話ししたとおり、岡山の山間にある人口7000人程度の町に生まれた僕。

女のこと一緒に遊びたいっていう自然な思いも、周りからは変といわれ、自分の自然な気持ちを抑えるようになりました。


中学校高校くらいになると、異性ではなく同性に興味が向くようになり、

と書きましたが!そういえば、いきなり脱線ですが、

小学校のプールの授業で身体のいい男の先生が競泳パンツで泳いでいるのを見て興奮したのを思い出しまいた。

中学校までにもう意識し始めていたんですね。


その先生が背泳ぎで泳ぐ時、水面から大切な部分が出ているのを、一つ上の学年の男子達が、

「富士山、富士山!」って茶化していたのですが、

僕はその富士山をちょっと違う視点で眺めていたのでした、笑。


あれも本当に、懐かしい思い出です。

でもやっぱり、周りの「富士山」に対する気持ちと、僕の「富士山」に対する気持ちは全然違っているのに気付いていて、絶対人には言わないように、って思っていました。


そして、中学校、高校と(話を戻します、笑)なるにつれて、異性ではなく同性に興味が行くようになったのでした。

学校の教科書には、思春期には異性を意識するようになる、と書かれていても、僕の場合は全然異性に性的な意識は行きませんでした。行くのは男子ばかり。


よく、性的指向(同性を好きになるか、異性を好きになるか、またそもそも性的な意識が人にむかない人もいます)は趣味だとか、そんな風に言われることもあるんですが、

異性愛の方が、あえて選んで、異性を好きになろうとしていないのと同じように、

僕はあえて選んで同性を好きになろうと思って、同性を好きになっているわけではありません。


男性に、なぜあなたは女性が好きなの?

って聞いても、

それは、別に考えているわけじゃない、自然にそうだ、というと思うのです。


僕は同性愛者だから、男性で女性に性的な興味が行く気持ちってあまり想像できないんですが、

女性の胸に意識が行く人に、なぜ行くの?ってきいても、上手く答えられないと思うのです。

自然に興味が向くんだよ、と。


それと、僕が「富士山」に興味を持ったのも同じ。

(また、話しが小学校に戻りましたが。。。)

性的指向っていうのはだれも選んでいないと思います。自然にそうなってしまう。

性的興味がわかないという人も、わかないように選んでいるわけではなく、そう自然になる。


でも僕はその自然な興味を肯定できず、ずっと抑えていました。

冒頭の写真を見てもらえれば分かると思いますが、20年前の僕は本当に隠れていました。

自分が同性に興味を持っていることを絶対悟られないように。隠れていきていました。


でもそれは、隠れたいから、というよりは、

周りから馬鹿にされるのが怖い、周りに嫌われたくない、

そんな気持ちからでした。


中学校・高校くらいになって、同性に興味がいっているとはっきり認識するようになり、

「ホモ」という言葉もテレビで聞いたりするようになって、自分がどんな存在なのかなんとなくわかるようになっていきましたが、

その「ホモ」という人たちのテレビでの扱いは本当にひどいものでした。


すごく覚えていますが、あるテレビ番組で、芸能人のイニシャルトークみたいなコーナーがあって、

「芸能人の○○はホモだ」

「あいつは男が好きだ」

みたいに言われて、放送禁止のピーという音が入ったり、それを聞いた出演者たちが、

「うっそー!」

「え~」

「はははは~~~」

って笑ったり、驚いたりするシーンがありました。


同性を好きになる男性は、笑われる存在、暴かれる存在、けなされる存在、

そんな存在なんだ、ってテレビをみながら、1人感じていました。


ずっと昔のテレビ番組なのに、その時の笑い声や暴こうとする人たちの視線は忘れることが出来ません。


「僕はあのテレビで暴かれようとしている、笑われている人と同じ?」

「嫌だ。あんなふうに笑われたくない。」

「知られたらこんなふうに扱われるんだ。」

「絶対言わないようにしなくちゃ。」


と思うようになりました。


中学校くらいになると、男子と女子が付き合ったりとかもはじまって、いろんな恋愛話も盛り上がっていましたが、僕はそこに素直に入っていく事も出来ず、

無理して女性に興味を持とうと思っても、ぜんぜんそんな気持ちは出てこず、

(実は一度だけ、中学校の時女性につきあってと告白して、振られたことがあるのですが、それも今思えば、恋愛や性的なものというよりは、友だち、仲良しの延長線上だったように思います)

興味が向くのは身体のいい男性ばかりでした。


高校くらいになると、どんな人がタイプかとか、そんな話も出てくるようになって、

僕は当時あこがれていた女性アイドル(これも異性として、というよりは憧れのような目線)をタイプっていいながら、適当に話をあわせていました。


しかし、感のするどい人もいて、

「竹内って本当はホモなんじゃないの?」

とかって言ってくる人もいたんですが、

「そんなことないよ」

「あんなのきもちわるい」

みたいに、僕は認められるどころか、テレビで扱われていたような感じで気持ち悪い存在だと自分でも言ってしまったのでした。


本当は男性に興味がある。

でもそれを知られたら馬鹿にされる、笑われる。

だから絶対にばれないように。

そして、友だちたちには自分もそれを馬鹿にしているかのような、そんな態度をしてしまう。


何度も繰り返しになりますが、別に選んでいるわけでもなんでもなく、同性に興味がいってしまうのに、それを変だ、気持ち悪い、と受け入れられない。

周りの異性愛者の人は普通に自然に受け入れられている恋愛感情や性的な興味が、自分は全然受け入れられなかったのでした。

自然なものが受け入れられないって本当にきつかったです。


冒頭の写真をみてもらえれば、それがよくわかると思います。

隠れていて、暗くて。

自分の根幹の部分が認められないとあんなふうになってしまうわけです。


ふりをして。

よそおって。


でもいつもびくびくしていました。

絶対ばれないようにしないと。ばれたら大変なことになるぞ。

って。


これもよく覚えていますが、高校の時、自分が1人で死んでいくイメージをはっきりと持っていました。

白髪の僕は病院のベッドで横になり、息が止まりそうな状態。

その時僕は1人。

そして、その時も絶対に自分がゲイだって言うことは周りには言わない。秘密にして死んでいく。


今こうしてゲイであるということをオープンにして生きている僕からすると、本当に想像もできないような考えを持っていたのですが、当時の僕は真剣でした。


そのくらい、怖かったです。

女のこと遊んでいたら変と言われ、やりたくない男子ソフトボールチームに入れられ、

自然にわく性的な興味も、恋愛感情も受け入れられない。


自分らしく、ということが本当にできない10代だったなって思います。


どうやってそれを受け入れられるようになったかというお話は、

またおいおいしていきたいと思います。



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