北海道大学時代にカミングアウトもでき、親にもカミングアウトをし、ゲイとして自分らしく生きていたつもりの僕でしたが、30歳を過ぎてある日突然大きな挫折をしました。

20年前に北海道大学に入学した僕。

それが今こんな自分。
隠れて、暗くて、むすーっとしていた僕が、
こんな風に明るくなれたのは、
もちろん、ゲイという部分を受け入れられるようになったから、というのもあります。
幼稚園のころから周りの男の子とは趣味が違って、女のことばかり遊び、
小学校の頃も女のこと一緒。ある日それが「変だ」と同級生に言われたことから、傷つき、自分の素の部分を抑えはじめ。
中学高校大学と、本当は同性が好きなのに、異性愛者のふりをして、まわりにばれないようにばれないように隠れて生きていた僕。
そんなふうにしていたらあんな冒頭の写真になっちゃったわけですが、
大学時代にカミングアウトも出来て、自分のゲイである部分も受け入れられるようになって、ずいぶん自分を認められるようになった僕。
しかし、それだけで今の僕になれたか、というとそんなことはなくて、一つの大きなきっかけがあったのでした。それについて今日は書きたいと思います。
僕の人生を180度変えた、人生で一番大きな出来事です。
北海道大学大学院文学研究科で修士号をとり、その後、JICA国際協力機構という国際協力を行う日本の政府系機関に就職し、働き始めました。
JICAでは開発途上国で行う支援プロジェクトを担当して大きな仕事を動かし、
その後転勤になった沖縄では、開発途上国からやってくる研修員たちの研修事業を担当して、分野も環境分野だったため、西表島に行ったり、マングローブやサンゴ礁のことを視察したりと、
周りから見ればうらやましいと思うような仕事をしていました。
JICAは倍率も高く、国際協力をしたいと思う多くの学生達が是非入りたいと思う機関。まさか僕が入れるなんて思っていなくて、周りからも「すごいねー」とよく言われていました。
それが、30歳を過ぎたある日の朝、異変がおこりました。
全く予兆もなく、突然やって来ました。
朝目が覚めてベッドから降りてまず最初の異変に気づきました。
目は開いているのですが、平衡感覚がないんです。
まるで頭を左に傾けているかのように、世界が左に傾いて見えるのです。まっすぐ立っているのに。
僕はその当時立ちくらみがよくあったので、最初は軽い立ちくらみだろうと思って、そのまま無視して、いつも通りシャワーを浴びることにしました。
しかし、シャワーを浴びていても全く治らないのです。
世界は左に傾いたまま。目を閉じてシャワーを浴びると、倒れてしまいそうなくらい。
「え?どういうこと???」
と一気に混乱し始めました。
こんなこと人生で起こったことがなかったのです。
シャワーを終えても平衡感覚がない状態は続き、座り込んでしまう僕。
身体に詳しい友人にすぐ電話をして、症状を説明したところ、すぐ病院に行ったほうがいいと言われました。
とはいえ、その日僕は大切な仕事がありました。
ある沖縄県内の学校で講師として呼ばれていたのです。僕が行かなくてはいけない仕事。
なんとか治らないかと少し時間をおいたものの、無理でした。
そこで救急車に電話をかけました。
これも人生で始めての経験です。
電話に出た方に、症状を説明した僕。
でも混乱していて、
「こんな状態なんですが、救急車を呼んだほうがいいでしょうか?」
と聞いてしまい、
電話の向こうの方も、
「自分で病院にいけそうにないなら救急車を手配しますが、ご自身ではどう思いますか?」
と聞いてきて、僕は判断が出来なくなり、
「とりあえずそこまで深刻でもないかもしれないから、自分で病院に行ってみます」
と電話を切りました。
すぐに仕事の関係者に電話をし、事情を説明して講師の件をキャンセル。
申し訳ない気持ちでしたが、とにかく自分の身に起きている状況が全く理解できず、ほぼパニックのような僕でした。
そのまま外に出て、近所のかかりつけの診療所まで行くため、タクシーを拾おうと歩き出した僕だったのですが、
もう一つ異変がやって来ました。
今度は、左半身がしびれ始めたのでした。
頭の先から、足のつま先まで、
見る見るうちに、左半身だけしびれたのです。
動かないわけではなく、ゆっくり動かせるのですが、明らかにしびれていて、ちょっと麻痺しているようなそんな感覚。
僕はもっとパニックに。
平衡感覚がない、半身麻痺になる、
という症状は、テレビ番組などで脳梗塞の症状だというのを見たことがあり、
「僕は脳梗塞になってしまった」
と思ったのです。
どうしよう、死んじゃうのかな?このまま倒れるのかな?
病院にたどり着けるかな?
脳梗塞だったら後遺症が残って、僕一生何かの障害をもって生きなきゃいけないのかな?
実家の岡山に帰らなくちゃいけなくなるのかな?
もう人生終わりだ。
そんな気持ちになって、
気付くと目から涙がどんどん落ちてきていました。
こんな経験、人生でしたことがなかったので、ただパニック状態の僕。
なんとか大きな通りまで歩き、タクシーを拾って、診療所までたどり着きました。
診療所につくとすぐに先生が診てくださって、症状を説明したところ、
「救急車を呼びますから」
と言われました。
その診療所では対処できないということでした。
そして僕は人生初めて、救急車で運ばれていくのでした。
その先は沖縄でも一番大きな病院の一つの総合病院。
救急車のタンカーに横になり、不安な気持ちいっぱいでその総合病院に運ばれました。
その病院に着いて、救急車の扉が開いたとたん、
5~6人の方が一気に現れ、僕の身体をチェックし始めました。
ある人は僕の脈や血圧。ある人は膝をたたきながら反射チェック。
目に光を当てる人。
そして僕の服を脱がせ、診察用の衣装に替える人。
たった数分の間にめまぐるしく人が僕の身体に触ったり、服を着替えさせたりして、
気付くとMRIに。
そして血液検査。
全てのチェックが終わり僕はどこかの部屋で結果を待つよう待たされました。
そしてあるお医者さんが入ってきて、僕に病状を説明しますということだったのですが、
言われた言葉は、
「精密検査をしましたが、脳にも血液にも一切異常はありません。」
ということだったのです。
強いて言えば、何かヘルペスに関係する症状だと。
それで僕はまた大混乱でした。
「え?身体に異常がないって?」
と思い、
「どうしてこういう症状になっているんですか?」
と聞くと、そのお医者さんはただ、
「疲れや過労、ストレスだと思われます。」
「これ以上の処置は病院ではすることはできません。」
「落ち着かれたら、どなたか身内の方に来てもらって、今日はお家に帰られてください。」
と。
僕はこの言葉に、谷底に突き落とされたような、そんな気持ちになりました。
つまり、
脳梗塞や、血液の異常など、なにか肉体的な異常があるのであれば、それは嫌ではあるけれども、病院で処置してもらえる。でも、何も異常はないから、自分でどうにかしなさい、と。
「でもどうしたらいいの???」
ストレスと言われても、もちろん社会人で仕事をしていてストレスはあるけれども、特段強いストレスでもないと思っていたし、何が悪いのか、
さっぱり、本当にさっぱりわからなかったのです。
とりあえずもう病院ではどうしようもできないということで、家に帰った僕。
職場に事情は説明し、何日か家で休むことにしました。平衡感覚は戻ったのですが、左半身の痺れはなんとなく残っている状態。
休んではみたものの、確かに症状は悪くもならないのですが、よくもならず、どうしたらいいのか全く分からない。
その一方で、その時期は仕事の繁忙期。周りにこれ以上迷惑を掛けられないと思い、数日休んだら仕事場に復帰してみました。
職場のデスクに座る僕。パソコンのスイッチをいれて、いつもどおり仕事をしようとしたら、
真っ白。
頭が真っ白なんです。
いつもはすらすらとパソコンで作業が出来ていた僕なのに、
文章を書こうと思っても言葉が出てこないんです。
うそではなく、おおげさでもなく、
一言も頭に浮かんでこない。
フリーズしたような状態。
気付くと涙があふれてきて。
そして左手がどんどんしびれてきてしまいました。
上司になんて伝えたらいいんだろう、怪しいかなと思いながら、とにかく正直に伝えると、それは休んだほうが良いと言われ、家に帰って休むことになりました。
もう本当に、
どうしたらいいのか、自分に何がおこっているのか、さっぱりわかりませんでした。
そんな時に同僚のある1人が、ヒーラーのような方を紹介してくれました。
沖縄には「ユタ」と呼ばれる人や、スピリチュアルなことをする人、霊能者と呼ばれる人がたくさんいるのですが、その同僚はその中の一人を知っていて、その人は信頼できる人だということで僕に紹介してくれたのです。
「病院に行っても薬を出されて処方されて終わりかもしれない。竹内さんの今の状況はもっと根本的な対処が必要だと思う。この人は心の深いところを読み取ってアドバイスをしてくれるらしいから、ためしに行ってみたら?」
ということで、僕は早速その方に連絡をとり、セッションを受けることにしました。
とにかく、休んでいても全く改善されないし、仕事をしようとしても頭が真っ白、左半身の痺れは消えないので、まずは試してみようという気持ちでその人のところに行きました。
女性の方でとても優しそうな方。
その方は僕に横になるようにといい、おなかを触ってきました。するとこれまで体験したことのないような痛みがおなかに走りました。とにかく痛くて痛くてしょうがないんです。
下痢や腹痛があって痛いのではなく、ただ触られているだけで、冷や汗や涙や、痛い!って言う声がでる、そんな痛み。
そうしてその人が言いました。
「なぜ痛いか分かる?このおなかの痛みはあなたが自分の心にふたをしているからよ。自分の本当の気持ちを抑えているでしょ?」
と。
言われた瞬間はおなかが痛くて痛くて全く分からなかったのですが、
少し冷静に自分の事を振り返ると、たしかに思い当たることがいろいろ出てきたのです。
「言われて見れば、人から頼まれたことで嫌なことがあっても、笑顔で大丈夫ってふりをして、はいって言っているな。」
「全然大丈夫じゃないのに、大丈夫って気丈に装うことが多いな。」
「人に、嫌だとか、いいえが言えないな。」
人生のいろんなシチュエーションでの出来事がどんどん思い出され、確かに僕は本当の気持ちに蓋をしている、と気付けたのです。
そしてその方は、
「自分を大切にするようになれば、今起こっているあなたの症状全て、治りますよ!」
と笑顔でおっしゃったのです。
初めてこんなセッションを受けて、おなかが痛くて叫んで、泣いて、もだえて、
そして自分の心にふたをしていると言われて。
何がなんだか、普通ならすぐに納得できないことなのかもしれないのですが、
なぜか僕には、この人がおっしゃっていることが
「そうだ、その通りだ」
って思えたのでした。
自分を大切にすればいいんだ。
蓋をするのをやめればいいんだ。
そうしたら治るんだ。
そう思えると一気に希望がわいてきたのです。
その方とのセッションを終えて帰路に着きましたが、街を歩いていると、世間が一気に明るくなったように見えました。
視界が開け、平衡感覚がなくなったあの日の気持ちとは全く違う気持ちになれました。
「自分を大切にする。」
実はこの言葉、このヒーラーの方を紹介してくれた職場の同僚からよく言われていた言葉だったのです。
「ねえ、竹内さんって自分を大切にしているの?」
ってよくその人は声をかけてくれました。
でもその時は素直にその声掛けに耳を傾けることは出来ませんでした。
正直、「気持ち悪い」って思ったんです。
「何、その自分を大切にするって?なんか目に見えないスピリチュアルなこと?」
「そんなの余計なもの。目に見えるもので十分なのに、そんな目に見えないこととか言わないでほしい。」
「僕は、北海道大学大学院の修士もとって、難関のJICAに入って、いい給料ももらえて、友だちもいて、海外旅行もいけて、美味しいものも食べれて。なにが問題なのよ。十分幸せなのに。」
そんな風に思っていました。
でもどこかで、その言葉が心にひっかかってもいました。
理解が出来ない「自分を大切にする」という言葉。
でも何か上手く反論できない。何か気になる。そんな感じでした。
それが今回の出来事の答えだったわけです。
同僚に言われたときは分からなかったけど、体調を崩し、仕事が全くできなくなって、日常生活もまともに送れないくらいになって。
こんな大きな挫折は人生初めてでした。トータルで2週間、仕事を休み、療養をしなくてはいけなかった僕。
そのくらい痛い目にあってようやくわかったのが、「自分を大切にする」。
ストレスが昔からありましたが、
社会人なんだから、お金をもらって仕事をしているんだから、組織人なんだから、
と自分を奮い立たせ、そんなストレスには耳を傾けないようにしていました。
ストレスなんて誰にでもあること。ストレスは当然だと思っていました。
周りがやっているんだから、僕もやらなくちゃ。
社会人たるもの、自分の感情はおさえてでも仕事をするもの。そうするべき。
そう、とにかく、「べき」の塊だった僕です。
JICA職員なんだから、~すべき。
大人なんだから、~すべき。
男なんだかから、~すべき。
世の中の人はこうしているんだから、~すべき。
「べき」が僕の行動指針だったわけです。
しかしそれによって僕の「本音」や「自分」はずっと抑えこまれたままでした。
そのしんどそうな姿を、僕の同僚は見抜いていたんだと思います。
そういえば、たまに「竹内さんの笑顔って作り笑いだよね。」ってその人に言われてもいました。
根本的なところを見抜かれているということで、僕もとてもその人に対して居心地が悪かったのでしょう。「自分を大切にしている?」と聞かれるのが嫌で嫌でしょうがなかったんです。
自分を大切にする。
そうか、自分を大切にするってこういうことか。
よし、自分を大切にしよう!
セッションを受けて、心の深いところで決意をしました。
僕は自分を大切にして生きるんだ。
社会がこうする、こう思う、
世の中はこうだ、常識はこうだ、周りはこうだ、
じゃなくて、僕がどうしたいか。僕がどう思うのか。僕がどう感じるのか。
それに耳を傾けよう。
本気で耳を傾けてみよう。大切にしてみよう。
じゃないと、同じことの繰り返しだ、と思いました。
今回一時的によくなれたとしても、また救急車で運ばれて2週間も人生がストップしてしまうかもしれない。
そうならないように、
もう二度と同じ過ちを繰り返さないように、
僕は僕の本当の気持ちを大切にして生きるんだ!
そう思うと身体の芯から情熱がわいてくるような、そんな気持ちになりました。
暗闇のトンネルから抜けられた、答えが見つかった、これだ!という感覚。
その後どうなったかというと、「自分を大切にする」と決意してから一度も平衡感覚がなくなることも、半身麻痺も起きなくなりました。
本当に不思議です。
血液検査も、MRIでもわからないこと、本当にあるんだなって思いました。そして「自分を大切にする」ということの大切さを学びました。
この出来事をきっかけに僕は一つの決断をしたのです。
「JICAをやめよう。」
(この先はまた次回お話します。)

