自分らしくを大切にする人生 その8 ~ガラクタ整理で人生が好転。体調を崩し、JICAを辞め、将来の展望が持てない不安な時期から、一転、ガラクタ整理師となり、本を3冊出版することに。~
JICAを辞めた僕。次にやりたいことが見つからず不安な日々を送っていましたが、ガラクタ整理で人生が好転し始めました。
今僕はガラクタ整理師として、本を書いたり、講演会をしたりしていますが、もともとものが少なかった人間ではありません。
逆にものが多いほうでした。JICAを辞めるころちょうど、カレンキングストン(『ガラクタ捨てれば自分が見える』著者)のセミナーが日本で初めて開催されるということで、受講。
そのセミナーをきっかけにどんどんものを整理し始めたのでした。
整理する前の家はこんな状態。。。
キッチンの天袋はあけるとものがなだれのように落ちてくる。
賞味期限切れのものが溜まっている。
押入れには引越しで使ったダンボールがそのままつまれていて、引越しの時に整理しないまま何年も放置。中にはカビがわいたものすら。
でもみたくないから、押入れの中に入れておいて、見ないふり。
コンサートチケットの半券は全部とってある。旅行先で行った美術館の入場券、ロープーウェイの乗車券、観光パンフレット、全て保管。
本棚には500冊くらいの本。さらに押入れの中のダンボールにも本がいっぱい。中には高校から読んでいない授業のプリントまで。
そして、友だちが予告なく家にやってくるとすぐには家に入ってもらえない。
「ちょっとまってて!」と10分くらい外で待ってもらっている間に、見えるところだけとりあえず片付ける。向こうの部屋には入らないで、冷蔵庫は開けないで、など触られたくない、見られたくない、そんな場所がたくさん。
こんなふうにものでいっぱいだった僕の人生ですが、
カレンキングストンさんのセミナーを受講して、ガラクタ整理をすることで人生が変わる、ということを学び、徹底的に整理をしたのでした。
スペース(空き)ができればそこに自然に変化がやって来る。
変わりたいなら、ガラクタを手放して、スペースを作りましょう。自然に変化はやってきます。
その言葉を信じて、どんどん僕は散らかったものだらけの家を整理し始めたのでした。
そして、整理はただものを片付けるだけでなく、僕の心と向き合う、そんな時間にもなりました。
自分の気持ちが喜ぶものを残し、自分の気持ちを下げるものを手放す、
そのように習ったので、実践。
それは、つまりは、自分の基準で、自分の心の声に従って整理をすることでもありました。
つまり、ガラクタ整理は自分を大切にすること。
象徴的だったのはスーツ。
JICAで仕事をしていた僕はスーツをたくさん持っていました。JICAではスーツを着て、日本の省庁の方と打ち合わせをしたり、海外出張にいったり、途上国の象徴の次官と会うこともありました。
そんなスーツだったのですが、自分の気持ちを下げるものでもありました。
つまり、
スーツは僕にとってJICAで仕事をしていた頃の象徴。
自分の気持ちや本音は抑え、組織の一員として、周りの期待にこたえようと仕事をしていた頃の象徴です。「社会人なんだから」「JICA職員なんだから」「お金をもらって仕事をしているんだから」と、いろんな社会の「~すべき」の中で生きていた時に来ていたのがスーツ。
しかし、それで体調を崩し、救急車で運ばれ、2週間も仕事ができなくなった、その経験から、自分を大切にすると決めた僕。その僕にとってスーツは気持ちを下げるものだったのです。
でもいざ手放そうと思うと、迷いが出てきました。
「今はJICAを辞めて、やりたい仕事を辞めて仕事をするって思っているけど、将来お金に困ったりした時にまた組織で働かなくちゃいけないときもあるんじゃないか。」
「もしかしたら、会社の面接を受けるときに着なくちゃいけないんじゃないか。」
「いつか着ることになるんじゃないか。」
そんな頭の声が聞こえて来ました。
今はこうして熱意に燃えているけど、将来はわからない。着ることだってあるんじゃない?など不安が出てくるとなかなか手放す気持ちになれなかったスーツたち。
でも僕の心はとても素直に、スーツを見ると気持ちが下がったのでした。
もうこれを着て、自分を装って仕事をするのは嫌だ。大きな組織で働くのは嫌だ。
もっと自由に、自分のやりたいことをやる人生を生きたい。
「よし、やっぱり、スーツを手放そう。」
と、スーツを全て手放したのでした。
そして、僕はスーツだけでなく、仕事で使っていたかばんも、シャツも、靴も、気持ちが下がるものはとにかくどんどん手放しました。
そして、整理をしながら、とにかく、
「自分を大切にする人生を生きるぞ。生まれ変わるんだ。」
「これまでの自分の本音を押し殺す人生は辞めよう。それを象徴するものはとにかく手放そう。」
とと自分に言い聞かせていました。
また、本棚にもたくさん、たしか500冊くらい本があったのですが、それもどんどん処分しました。
実家の母親はよく、「本は財産」と小さい頃から僕に教えていて、僕もそう思っていました。
本棚に並ぶ本を見ては、
「これが僕の努力の証だ。」
「大学でがんばったなぁ。」
「これが僕の知識だ。」
なんて思っていたのですが、
ガラクタ整理に出合い、もう一度本を振り返ると、実はほとんど読んでいない本たち。
気付くと、それらのほとんどは「劣等感」で買ったものでした。
周りの人は本をたくさん読んでいる。例えば、大学院では哲学・倫理学の専門でしたが、周りの院生たちは毎日のようにたくさん本を読み、指導教官の先生の部屋に行くと、壁じゅうにたくさんの本。洋書もたくさん。
それを見ていると、あまり本を読まない僕がだめな存在だと思えてきて、
「本を読むべき」
と思うようになっていたのでした。
それは劣等感。まわりが出来ているのに、自分は出来ていない。周りのようにできるように。
そんな思いで本をどんどん買うようになりました。
それは読みたいという気持ちではないのです。むしろ、読むべき、読まなくちゃ、そんな気持ちから。
本屋でいろんな新しい哲学書が出ていると、これも読んでおいたほうがいいんじゃないか、これも勉強しておいたほうがいいんじゃないかと、自分が本当に読みたい、という気持ちを確認することもなく、「読まなくちゃ」と買っていました。
そしてどんどん増えていって、結局500冊近く。
しかしそんな劣等感で買った本は実はほとんど読まないまま。
本棚に並んでいる本のほとんどを僕は読んでいなかったのです。
本棚を整理しながら、ほとんど読んでいないものたちばかりあることに気付き、
「読むべき」という気持ちや劣等感で本を買いあさっていた、それを所有しようとしていたということに気付いたのでした。
もう、こんな本の付き合い方はやめよう。
そもそも、僕って本を読むのが好きなの?
そんなに好きじゃないなあ。読むのもそんなに早くないし。
と気づきました。
あんなにたくさん本を買ったのに、そもそも好きじゃない、読むのも得意じゃない!
そう気づきました。
(でもだからこそ、周りと自分を比較して劣等感を持ってしまって、どんどん買いあさってしまったのですが。)
本当に読みたい、自分が大好き、って思う本だけ残そう!
と思って、どんどん処分していきました。
処分しながら、本棚にはどんどん空間ができるようになり、
カレンキングストンさんから、「空間ができると新しいものがやってくる」とならったので、「自分にはどんなことがやってくるんだろう!」「きっとすごいことがやってくるにちがいない!」なんて、実はそんなに根拠もないのに(笑)、どんな新しいものがやってくるのか、うはうはしながら整理していったのをよく覚えています。
「今日も整理してこんなにスペースを作ったぞ!」
って毎日喜んでいました。
結局、半年くらいかかりましたが、本は3冊に。
最後30冊くらい、自己啓発系の本が残ったのですが、それも見ながら、
「本当に読みたい?」
「自分にとってこれはベストなもの?」
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