自分らしくを大切にする人生 その10 ~アメリカで婚約までした彼を失った経験から強くなれた僕。「自分らしく」ありのまま伝えようと、仕事で公にゲイであるとカミングアウトしました。~

1 / 2 ページ

前話: 自分らしくを大切にする人生 その9 ~アメリカで婚約した恋人と別れ、お金も、夢も、家も失う。でも本当の僕までは失わなかった。自分らしくより強くなれた経験です。~
次話: 自分らしくを大切にする人生 その11 ~いとこのカミングアウト。自分らしくを生きる人が身近にいるうれしさ。~

アメリカで婚約をした彼との幸せな生活がある日突然壊れ、失意のどん底にいた僕。でも自分の内面にある本当の僕は失っていないんだ、と気付け、本当に強くなれました。


アメリカサンフランシスコ。有名なユニオンスクエアです。

サンフランシスコは彼との思い出の場所。

しかし、幸せな日々は電車で起きたある暴力事件であっという間に終わりを迎えてしまって、日本に帰ってきた僕。

彼との関係も、夢も(本気でアメリカに永住しようと思っていました。)、家も、お金も、全て失ってしまって、ショックからはなかなか立ち直れませんした。

しかし、ある時、でも、外のものを全て失ったとしても、自分の内側には変わらない僕がいる、そう気付けた時、本当に大切なのはこの変わらない僕。
そこがあれば大丈夫!と思えるようになりました。


そんな気付きがあった後、あるアメリカ人の友人と話をしていた時でした。

「これからは僕は日本にいようと思う。僕は日本に何が伝えられるかな。」

と言うと、

「キヨのセクシャリティがキーになるんじゃない?」

って言われたのでした。


それはつまり、僕がゲイであるということ。


セクシャリティってとても繊細な部分。

きっと日本の人ってその繊細な部分をあまりオープンにしたがらないんじゃないかな。

でもキヨならキヨらしく、繊細な部分を伝えられるんじゃない?

その伝え方が、きっと日本の人の心に届くはずよ。


そんな風に言ってくれました。


確かに!と思いました。


セクシャリティ、性に関することって、プライベートな部分でもあったり、

僕自身ここで書いてきたとおり、悩んだり、恥ずかしいと思ったり、否定したり、でもうれしいこともあったり、喜びもあったりと、いろんな感情があつまる、僕のとても繊細な部分に関わること。

それをありのまま、正直に伝えることで、きっと日本の人に伝わることがあるんじゃないか。

それは別にゲイだからと変に誇張したり、威張るわけでもなく、

ゲイであるからといって、謝るわけでもなく、

ただありのまま、自分の繊細な部分を繊細なまま伝えていく。

そのようにありのまま伝えることで、それが何か人の心を軟らかくほぐしていく。その人のありのままに届く。



彼を失い、全てを失ったと思った、あのつらい経験から、本当の僕は変わらないと学んだ僕。

強くなれた僕だったからでしょうか、

よし、ゲイであることを公にしよう、と思いました。


実は、それまでにもゲイであることをある程度は公にしていました。

仲のよい友人や、仕事でも近しい方には伝えていたりしました。

でも、ガラクタ整理師という仕事で僕がゲイであるということを伝えるのは、ちょっとどうなの?とずっと思っていました。

つまり、必然性を感じなかったのです。

確かに伝えてもいいけれども、なぜ伝えなくちゃいけないのか。だって、ガラクタ整理とゲイということは関係ないじゃない?

そんな風に思っていて、あえて言う「必然性」が見つけられなかったので、「異性愛者だ」とうそをつくことはしませんでしたが、あえて、ゲイだということを公言しませんでした。


でも、この友人との会話もきっかけになって、繊細なところをありのまま、僕らしく伝える、それが日本の人たちの心に伝わることがあるんじゃないか、

そう思えたとき、よし、仕事でもカミングアウトをしよう!と決断できたのでした。


そして、2014年8月31日、僕はブログでゲイであることを伝えました。

さらにフェイスブックやツイッターといったSNSでも伝えました。


反響はすぐにありました。

ブログの記事のヒット数も相当高かったです。


「そうだったんだね。」

「よく言えたね!」

「ありがとう」

などいろんな声をいただきました。


しかし、一つとても心配だったのは、地元の小学校・中学校・高校の同級生達がどういう気持ちになるのかな?ということでした。

ゲイであるということを完全に隠し、できるだけ周りと同じように生きようと自分を装って生きていた時代。その時代を知っていて、さらに岡山の県北という中国山脈の小さな街の、いわゆる田舎に住むみんなはどう思うんだろう、と思うと、とても心配だったのです。


笑われるかな。。。

変なうわさをされるかな。。。

陰口をたたかれるかな。。。


しかしそうした心配とは全く逆の反応がみんなからありました。

「びっくりしたけどいいんじゃない?」

と素直に伝えてくれた小学校の同級生。


そして、なんと、中学校でいじめられて学校に行きたくないと思うようになった時期のその首謀者(!?)である同級生からもメッセージが来たんです。

「清文は清文らしくでいいと思う。」

というとてもシンプルなメッセージでしたが、僕にとっては予期せぬコメントでした。


あのいじめられていた彼からまさかメッセージが来るなんて。

正直大人になっても、会っていなくて、気まずいし、なんだか嫌だなあと思う相手でした。

でもこうしたメッセージをくれて、

「とってもいいやつじゃん!!!」

って思えたのです。

もしカミングアウトしていなかったら、きっとあの中学校の時のつらいいじめの経験のまま記憶がストップして、「嫌なやつだ、ひどいやつだ」としか思えず、彼との関係も悪いまま終わっていたように思います。

カミングアウトをすることで、彼との新しい関係が作れているように感じています。

正直に伝えてよかったな、と思えた瞬間でした。



そして、公にカミングアウトをしたことがきっかけで、ガラクタ整理師としての講演活動もどんどん変わっていきました。それはもちろん、いい意味でです。


実は以前は東京で講演をしていて、

「東京の人はリアクションもあまりはっきりしないし、まじめだなあ。自分の気持ちを正直に言わないなあ。」

「大阪や沖縄の人はいろいろリアクションもあって、正直でやりやすいのに。」

と思うことがありました。


しかし、カミングアウトをした後はそれが全くなくなったんです。

僕が僕らしく、正直に話すと、みなさんとの距離もとっても近くなったんです。

講演会がより盛り上がるようになり、楽しくなっていきました。


気づいたのは、

「東京のお客さんに問題があったわけではなかったんだな。ゲイということを言わないでおこうと、どこか慎重に、相手を完全に信頼できていなかった僕に原因があったんだな」

ということ。

「自分の気持ちを正直に言わないのはお客さんじゃなくて、僕だったんだ!」

と気付けたのでした。


お客さんは全く変わらなくても、僕が変わることで、お客さんとの関わりが変わったのです。

外に原因があったんじゃない、自分の中にあったんだ、

というのはとてもいい気づきになりました。


実際に、講演会に参加してくださる方達で以前の僕を知っている人から、

「講演が全く変わったね!すごくよくなったよ!堅さがなくなった!」

と言われるようにもなりました。


自分がゲイであるということを素直に、隠さず、ありのまま伝える。

ガラクタ整理の直接の内容ではなくても、それを伝える僕が変わると、こうも伝わり方が変わる。

もっともっと参加者のみなさんに響くようになる、それを学びました。



このような女性もいらっしゃいました。

「きよちゃん(僕のニックネーム)のカミングアウトのブログを読んで、私は何十万円もしたカツラとのどの吸入器を手放せたの。」

「以前は自分の髪の毛の薄さがコンプレックスだったし、枯れた声がきらいで、吸入器が手放せなかった。でもきよちゃんがありのままで生きようって生きているのを見て、私もそうしようって思えた!」


この声をいただけたことも本当にうれしかったです。

著者の竹内 清文さんにメッセージを送る

メッセージを送る

著者の方だけが読めます

みんなの読んで良かった!

STORYS.JPは、人生のヒントが得られる ライフストーリー共有プラットホームです。