〜性暴力被害者からの卒業⑤〜 それでも幸せに生きること。あの日私は、確実に生きるための選択をした
元々、考えすぎる性格であり、考えることで解決してきたし、その恩恵もあるので考えるのが趣味なんだと今は思えているが、もし戻れるものなら、過去のわたしに答えをサクッと教えてあげたいなと思ってしまう。
自分とたくさん会話した。
会話の中には疑問文も。
代わりに死ねば、助からなかった人が生きかえるのか?
できないことで悩まやれるなんて助からなかった人にもいい迷惑だよ!
逆の立場なら、そんなこと言ってるヤツ余計にむかつくくせに?
つーか、これまでどんだけの人に会った?知らない人いっぱいいてるやん!ホンマにみんなそうなんか?
そもそも、性暴力被害者が辛いっていうけど、幸せに生きられてる人は1人もいないってこと?
探してもないのに、おらへんて言えるん?
そこそこ抜粋。
客観的に見たら、頭の中でもう1人の自分と言い合いしてるって変だと思われるかもしれないが、この言い合いが幸せへの気づきになっていったのは確かだ。
視点が変わると現実も変わるなんて、あの頃の私に言ってもウソだろ?って信じないような気もするけど、こうしていると本当に、性暴力被害者だったけど幸せに生きてる主婦や、女社長さん、いろんなパターンの幸せの方に出会ったりして、疑問への答えを見せられる出来事が起こりはじめた。
私を応援してくれる人たちに気づいた時、それまで何も知らないから言える、時には二時被害だと思ってたこともあったけど、決して悪意があるわけでないから、怒りでなく思いとして話せるようになった時、分かり合え、関係性もよりよくなった。
気づかず怒りをぶつけたままのときは、相手にとっては私も加害者になっていたのかもしれないなとか。
(それわかると凹んだけど、また視点を変えてみたら、私の怒りを受けてくれてありがとうってなりました)
私は確かに傷つけられたから、そこに対してはなんちゅーことしてくれてん!って怒りはあるけど、私だってきっと他の人を傷つけたんだと知ると怒れなくなった。
自分のこと棚に上げて、加害者を責めることは、自分にもあった加害者としての部分を責めることになるし、ただでさえも傷ついといて、更に自分を責めて傷つけたくなんかない。
それに、もしかしたら、というか、確実に私は加害者にとっての何かのストレスや怒りや不満を性暴力って形でぶつけられたこともわかった。
だって、他人からでなく、自分がつくる幸せな世界を見てると、自分の幸せを自分で必死で、他人の嫌がることをしているヒマはないと感じたし、仮に他人から与えてもらう幸せばっかり追ってたとしたら、ずっとそれを続けないといけないわけで、人から奪う幸せより自分で作る幸せの方がずっとラクだと思えたから。
人はみんな違うって当たり前のことで、自分は気づきと行動次第で好きなようにコントロールできるけど、他人をコントロールするために他人を攻略していくのって自分をコントロールするより手間も時間もかかるなんて面倒だし。
そう思ったら、そうか、そうか!
加害者は、私に自分の思い通りになって欲しかったわけでしょう?
傷つけたかったわけでしょう?
支配したかったのでしょう?
思い通りになってどうすんだよ?
そんなつもりはなかったけど、被害者が幸せになっちゃうことって、最大の復讐でもあるんだと。
けどね、あえて、責めたいわけでないから。
きっと、復讐しちゃって、彼らにとってストレスや怒りや不満があればまた増大して何かの加害者にさせちゃうと思うと…
私は、されたことに怒ってはいるけれど、それとは別に
2度と加害者にならないために、加害者も自分の幸せを他人でなく自分の中から作ってもらいたい。
そう思うようになったの。
わたしが、加害者を赦すという意味はそこにある。
そして、性暴力を通じて学んだこの心のスキルは、日常生活の全てを守ってくれている。
誰かとお別れする時も
パートナーや、家族、友達と喧嘩をした時も
何だかうまくいかないなって時期も
幸せを探す癖をつけること
視点を移動することで怒りや恨みの感情を攻撃ではないところに向ける事
(怒りや恨みの感情自体は感じてもいいし、頭の中でどんだけ相手を殺してもいい。ただ、実際の行動としてのエネルギーの向け方は幸せのための行動に変換すること)
自分のと会話で他人からでなく自分で作る幸せにフォーカスして実行すること。
他人は変えられないけど、人は1人では生きていけないから、出来るだけ誤解を生まないように自分の意思や希望は伝えること(欲のためにわからせることとは違います。断られたらまた視点を移動して別の手段を諦めず貪欲に考えるのです)
それが、ワガママに生きるということだと今は思っている。
回復の秘訣は、落ち込んでも自分のことをとことん受け入れて(そこが苦しいんだけど)幸せな未来を諦めずに、他人から何かしてもらうのをまつのでなく、自分のワガママ幸せを叶えていくこと。
というと、大げさに聞こえるが、今のわたしはその過程でほとんどの夢は叶えてしまったし、普通に安心して暮らせるということ、お互いに喜怒哀楽を素直に入られる関係の友人やパートナーがどれだけいるかということが心底幸せだと思っている。
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