家で仕事の愚痴を言わなくなったM君の話 第二回

著者: 児玉 佳哉

弊社は大阪本社であることがきっかけで、

地元であるガンバ大阪のファンクラブ運営事務局を行っている。






そのためか、サッカー経験者が度々応募することがあった。

M君もその一人だったのである。

東京勤務ではあったが、何かつながりを感じるものがあったのだろう。






体育会系のさわやかさや礼節を重んじる姿勢は、弊社の代表も第一印象がよかった。

何よりも大手企業からの転職にも関わらず、

もっと厳しい環境でバリバリ働きたいという気持ちが全面に出ていたので、

ベンチャー精神にふさわしいという判断のもと、採用に至った。






だが、弊社に就職後は、本当にいばらの道であったと思う。





結果を出そうとする意識、行動力、姿勢は面接のときから変わらず一貫していて、

土・日も出勤したりと全力疾走していたことは間違いない。


けれども、大手企業と違いネームバリューが皆無の弊社では、

働く人が本来持っている素養や実力が企業名よりも前面に出る。


前職がわずか3年の勤務で、

しかも大企業病に侵された意識を否定していたつもりが、

実のところM君自身にも無意識であるが、

大企業病に侵されていたことに気が付かされたのかもしれない。



仕事ができていたと思っていたが、

会社の力に頼っていたこと。

組織に支えられていたこと。

ふさわしくないと感じていた環境に、実は迎合していたこと。


弊社への入社がきっかけで、現実と向き合う中で思い知らされ、

大きな壁にぶつかった。

サッカー選手時代のことや社会人になってからの人生を振り返り、

これまでの自分を否定せざるを得なかったのである。






そして、帰宅後は愚痴を言わなくなった。






夕食後もすぐに部屋へ黙って戻る息子の姿を傍から見ていたご両親は、

すぐに不安を感じ声をかけたという。






M君がご両親に語ったのは、その時の素直な気持ちだった。






「自分の力を知ることができて、よかったと思っている。

環境に対して愚痴を言うのは、一生懸命仕事をせずに、

逃げ道を作っていた自分の弱さだった。だから今は、頑張るしかないと思っている。」






自ら求めて選んだ仕事のやりがいは、ほろ苦い果実だった。






その後、営業としては数社大手企業のアポイントを取ることに成功したが、

営業トークのスキルや提案力が伸びず、

社内業務を行いながら一からスキルアップを目指すことにした。






しかし、最終的には、弊社では芽が出ずに敢え無く退職となってしまった。


退職後は、大手運送会社に勤務した。


弊社へ入社した当時の想いは消えて大手企業に再就職したが、

今度は意味合いが違った。

自分の実力を考えて、大手企業の中で再度勉強をして、

スキルを高めることへと目標を変えたのだ。


現在は、その会社の試験勉強をパスし、

とある地域の支店長となった。M君の頑張りで実力を高めたことによって、成果を得たのである。

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