エストニアどうでしょう③ エストニア滞在二日目に突然インタビューされて現地の新聞に載った話
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僕がエストニアに来てまだ2日目(8月20日)の朝だった。
語学学校の校長のカトリーンからそう聞かされた僕は、朝一の授業を終えたあと、語学学校の近くにあるタリン自由広場に向かった。せっかく提案されたなら行ってみよう。どうせ来たばかりで知り合いも居ないし、やることも無い。
語学学校を出て歩いていくと、ものの5分で自由広場に到着した。
タリンは本当にコンパクトな街だ。タリンでは政府機関やショッピングモール・フェリー乗り場からビジネス街まで、ありとあらゆるものが世界遺産である旧市街を中心とした徒歩圏内に収まっている。そのおかげで日本だと普通の人には直接お目にかかるチャンスの少ない政治家や芸能人などを物凄く身近に感じることができる。例えば政治家のスキャンダルなどでテレビで記者が突撃インタビューをしている場所が、ほとんどの市民にとって「いつもよく通るあの場所」だったりするのだ。国が小さいと「知り合いの知り合いは有名人」ということはざらだそうだ。僕が日本人だということをエストニア人に伝えると「俺は元大関の把瑠都の知り合いの知り合いだ」という人が何人も出てきた。最初は冗談を言っているのかと思ったが、彼らはむしろ「知り合いが有名人とか親戚とかそんなこと普通でしょ?」といった風の顔で語るのだった。この感じだと大統領やオリンピックメダリストを知り合いに持つ人もそこら中にいるのだろう。小国特有のこじんまりとしたサイズ感だからこそ生じる常識。エストニアの80倍の人口を持つ大国に暮らしてきた人間には想像もつかないことばかりでとても興味深かった。
ところでタリン自由広場に到着したは良いものの、ものすごい人の数だ。集まった人たちの視線の先には大掛かりな屋外用舞台があり、ジャズバンドが軽快な音楽を奏でていた。本格的なミュージシャンや音響機材が使われていて、セレモニーというよりもさながら音楽フェスの様相を呈していた。それでも近くの壁には超巨大なエストニアの3色旗が掲げられ、何らかの国家的行事であるということを伺わせた。
僕はとりあえずその群衆の中に入ってみることにした。見た目が完全なる外国人として、僕は群衆の中をかき分けて歩いて行った。聴衆には日本人はおろかアジア人も全く居ない。完全なる異物として群衆
をかき分け一人会場を孤独に歩き回っていった。
本当に孤独だった。日本から8000キロも離れた行ったことも無い場所で、周りの人がみんな日本語でも英語でもない言葉を発している。そこで音楽を奏でているミュージシャンも何か国家的な意義のあるセレモニーも自分にとっては何の縁もゆかりもないものだった。自分は100%異質なのだ。これは大変だ。この先本当にやっていけるのか。何も考えずに向こう見ずで外国に来て、最終的に孤独に深く傷ついただけで日本に帰ることになるのではないのだろうか。絶対的なマイノリティとして、周りにいる人達となんら接点を作れなかった後悔だけでこの旅は終わるのではないだろうか。そんな闇の感情が僕の心を支配していった。
その時、突然女性が威勢の良い声で僕に背後から話しかけてきた。
僕が振り向くとなんと僕の顔を目掛けて彼女は大きなマイクを向けていた。
僕は焦った。
女性は続けた。
いきなり前置きもなくエストニアについての感想をたずねられ、僕は混乱していた。まだ入国して1日しか経っていないのに何を話せばよいのだろう?
そして隣りにいた女性の仲間と思しき男性が特大レンズのついたカメラで僕を撮影し始めた。無許可で。
僕の困惑をよそにさらに女性は続けた。
この時ようやく自分が今インタビューを受けているという事実を把握した。だがしかし「国同士の比較」という下手を打つと国際問題にも発展しかねず、さらに先進国で大国出身の人間が新興国で小国へ意見するという限りなく「上から目線」になりがちな解答を発するのは容易なことではなかった。しかも慣れない英語で、しかも滞在日数1日という限られた情報で、しかも傷つけないように。
しどろもどろになりながらも、僕はマイクに向かって思いつく限りのことを言った。
ああだめだ。やはり上から目線になってしまった。このままだと「日本からワザワザやって来て上から目線でダメ出ししに来た嫌なやつ」でしかない。エストニアの過激派ナショナリスト(※僕の想像上の人物で実在しません)に目をつけられるかもしれない。そうなったらエストニアにこの先安全に滞在するのは不可能になる。ここはなんとか挽回しなければ・・・・
この時点でエストニア人と接した経験が安ホテルの従業員と語学学校の校長しかなかった僕は、とっさに本に書いてあった「エストニア人の特徴」を羅列した。
これでどうだ!
僕は更に続けた。
わざとらしいまでのべた褒めラッシュだが、ここまでポジティブな評価を並べれば、なんとか批判は免れるだろう。
しかしそんなことは意に介さず「これで東アジア人の登場するレアな記事が作成できるぞ」という様子で意気揚々と彼らは去っていったのだった。
ちなみに僕の記事は本当に数時間後にタリンの新聞「ペアリン Peallinn」のWeb版のトップページに写真付きで掲載され、facebook上で延べ100回を超える「イイね!」が押された。しかしシェアやイイねが行われたのはfacebookのみだったので肝心のエストニア人からの記事への感想はわからずじまいだった。
ただこのインタビューによって、僕の心の内に発生していた孤独感がいくらか払拭されたのは事実だった。
記念に撮らせてもらった僕をインタビューしてくれたタリンの新聞社 "Peallinn" の記者とカメラマン
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