個人的憲法論(その2)

前編: 個人的憲法論(その1)
後編: 個人的憲法論(終章)

尊憲と蔑憲

前章に基づいて、今の「日本国憲法」と聖徳太子の「十七条の憲法」は意味合いが違う、ということを前提にしたい。

ポイントは2つ。

1、日本国憲法や合衆国憲法(United States Constitution)はマグナ・カルタを基にしており、「国が守るべきもの」である。「十七条の憲法」は「国民が守るべきもの」である。

2、国が守るべきものを定義し、それは国民との「契約関係」になる。

ここから僕が言う「憲法」はあくまで現代憲法、つまり「国が守るべきもの」「国と国民の契約」という意味です。


以下、僕の考え。

・まず日本国憲法が「アメリカの押し付け」だということについては否定しない。そのとおりでしょう。

・しかし、「押し付け」だから気に食わない、自分たちのものが欲しい、というのはどうにも子供っぽい考えだと思う。

・一方で「憲法は絶対変えちゃダメ」というわけでも無い。必要あれば変える必要もあるだろう。

・しかし、「いつでもころころ変えられるように96条(憲法改正に関する条項)を変えよう」というのは危険だと思う。→変えやすくしちゃったらやっぱりコロコロ変わっちゃうから。

・9条で「戦力を保持しない」とあるのに、自衛隊があるのは矛盾している、というのは僕もそう思う。では自衛隊を全て廃止しろ、というのも違うような気がするし、憲法9条を変えるってのはどっちも違う気がする。

ということです。

なので僕は「何がなんでも一行たりとも変えちゃダメ、ってほどの護憲派でも、まるっと変えろ!ってほどの改憲派でもない」という感じです。

加えて、改憲派の方に言いたいのは「もう少し現行憲法に敬意を払ってもいいのではないか、もう少し現行憲法を尊重してもいいのではないか」ということ。つまり僕が言いたいのは尊憲論

他人に敬意を強要するのもちょっとおこがましい話だけど。

確かにアメリカに押し付けられたものかも知れない。だけど、事実として戦後70年間、日本はどことも戦争をしてこなかった。アメリカの言いなりだったかも知れない、それでも戦後70年間、日本はどの国の兵士も(もちろん民間人も)、戦争の名の元に殺していない。

これは日本国憲法の効果でない、と言い切れる人がいるんだろうか?

「憲法9条さえ無ければもっと人を殺さなかった」「憲法9条さえ無ければもっと世界は平和だった」という人なんていないでしょう?いるのかな?

9.11テロが何故起こったのか。それはやっぱりイラク戦争の結果だろう。テロ容認するつもりもないしイラク戦争も容認していない。しかし、因果関係としてはやっぱり戦争は怨恨を産み、結果としてテロの芽を生む。

今、日本が平和なのは、少なくとも日本国内で外国人による無差別テロが発生していないのは、70年間戦争をしていないから、とはいえないだろうか。そして戦争をせずに済んだのは「憲法があったから」ということも言えると僕は思う。

それに対して、特に改憲派の人はその憲法を蔑視しているように感じる。言わば蔑憲論ということ。

曰く、

「アメリカに押し付けられた憲法なんて大嫌いだ」

「9条と言いながら自衛隊を保持しているなんて矛盾している」

などなど。

これは筋目が通らない。

今の憲法があったおかげで、基本的人権を侵害された、ひどい目にあったという経験があるなら分かる。そりゃ憲法を嫌いになるだろう、蔑視するのも仕方がないだろう。

でも、そういう経験があるんだろうか?無いと思う。

無いのに、むしろ今の憲法があったおかげで様々なメリットを享受できたのに、「今の憲法は腰抜けだ!」なんて言うのはそりゃいくらなんでも、憲法が可哀想なんじゃないの、と思う。

変えるのであれば変えることもありだろう、もちろん正式な手続きに則ってね。

だけど変えるにせよ「今まで70年間、ありがとう。おかげで少なくとも戦争は起きなかったよ。でもちょっと変える必要が出てきたので変えるね」という言葉の一つくらいあってもよいと思う。

で、最後にいま出てる「自民党憲法改正案」に続きます。

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個人的憲法論(終章)

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