第5話:メキシコで学んだ語学習得法
片言スペイン語から哲学の話をするようになるまで
マレーシアを出た後は、インドネシアでしばらく遊んだ。
それから、当初は全く予定していなかったが、ハートに従って、中南米へ行くことにした。
単純に、ラテン音楽が好きという理由で、行ってみたかったのだ。
まずは、メキシコを目指した。
飛行機の中で、隣に座った人は、メキシコ人の年配の女性だった。
何かいろいろ話しかけてくれたが、全く何を言っているか分からなかった。
大学の第2言語で、スペイン語を毎週学んでいたのに、覚えている言葉といえば、グラシアス「ありがとう」と、アディオス(さようなら)くらいという、情けないありさま。
メキシコシティーには、夜中着いた。
例によって、宿は予約していない。
ただ、旅人に聞いて、どの宿にするかの目星はつけていた。
しかし、夜中に動くと危ないと判断し、空港で朝まで過ごすことにした。
あてもなく、ただ空港の床に座っていたら、インド人の男性でビジネスマンらしき人に話しかけられた。
「大丈夫?同じアジア人として、助けられることがあったら」
親切心はとてもありがたかったが、「大丈夫です」と答えた。
「同じアジア人として」という言葉が、面白い感じがした。
「そっか〜、インドも、アジアなんだよね、考えてみれば。でもインド人は同じアジア人という感じがしないなあ」
朝になって、旅人の間で有名な、アミーゴという日本人向けの安宿へ向かった。
頑丈そうな鉄の扉に、小さな窓が付いていて、ベルを鳴らすと、その小窓から確認してドアが開かれる。
どの店にも、鉄格子がついていて、この都市の危険さを物語っていった。
メキシコには、東南アジアの安宿よりも、もっと面白い人たちが集まっていた。
中南米まで来ようとする人は、ちょっと変わった人が多いらしい。
普段は会わないような人たちとたくさん会うことができた。
世界中を自転車で旅する夫婦、フライトアテンダント、プロレスラー、AV男優・・・etc
みんな、とにかく、キャラクターが濃かった。
この宿で出会う人たちとは、年齢も、職業も、いろんな垣根を超えて、
昼は一緒に市場などに出かけたり、夜はご飯を一緒に作って食べた。
メキシコは、居心地がよかった。ご飯も美味しいし、会う人も楽しい。地元の人も親切だ。
気がついたら、3ヶ月も過ぎていた。
メキシコ人の家族とご飯を食べに行くと、マリアッチといって、大きな帽子をかぶった楽団を自分のテーブルに呼んで、歌を歌ってもらった。
一瞬にして、貸切コンサート状態。
リクエストすれば、すぐに歌ってくれる。
美味しいご飯を食べながら、楽団に囲まれて、陽気なメロディーを聴く贅沢。
情熱的なスペイン語の歌が私も大好きで、すぐに覚え、メキシコ人たちと一緒に大声で歌い、楽しんだ。
このマリアッチの文化は、とても素敵だ。
グアナファトという町に行った時、夜歩いていると、マリアッチの楽団が、花束を持った一人の男性と一緒に歩いていた。
ある家の前で立ち止まり、マリアッチは上を見上げて歌い始める。
男性はマリアッチに囲まれるようにして立ち、大きな花束を持って、2階の窓が開くのを待っている。
ロマンチックな女性へのプロポーズ。
こんなことをされた女性は、どんな気持ちだろう。
私は、そばで見ているだけでも、とてもロマンチックな気持ちになった。
サン・ミゲル・デ・アジェンデ。
小さな石畳の小道に、おとぎ話に出てきそうな、カラフルで可愛らしい家が連なる、この町が大好きになった。
小さな街なので、歩きやすく、過ごしやすく、ここに長く滞在したいと思った。
オシャレなカフェで、一人で座っていると、学生らしき男女がたくさん話しかけてきてくれた。
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