第6話:コロンビアでラテン音楽の巨匠の家に行った話
親切な国コロンビアで突然訪れたチャンス
東南アジア、メキシコ、グアテマラなどを旅していたら、あっという間に、大学休学の1年が過ぎてしまった。まだ旅を終えられない気持ちで、一旦日本に帰り、もう1年休学を延期した。
2年目の旅では、コロンビアに長く滞在した。
コロンビアに行った理由は、大したことはない。
当時、単にコロンビアのサルサバンド「グルーポ・ニーチェ」が好きだったという単純な理由。
コロンビアに滞在が長くなってしまったのは、恐ろしい世間のイメージに反して、人々がとっても親切で、人懐っこく、居心地がよかったからだ。
例えば、スーパーでお金を支払うときに、少しだけ持ち金が少ないときなんかは、後ろに並んでいる、見ず知らずの人が払ってくれたりする。これは日常茶飯事だ。
ある日、友達とスーパーで、お菓子が突然欲しくなったことがあった。
予定していなかったので、十分お金を持ってきていなかった。
二人の小銭を足して、手のひらで、「足りるかな〜」と数えていると、
全く見ず知らずの人が通りかかって、私たちのやりとりを見ていたのか、お金を渡して、笑顔でさわやかに去って行ったこともあった。
バスで立っていると、近くに座っている人が、無言で「自分の膝の上に荷物を載せていいよ、重いでしょ?」とサインを送り、持ってくれたりもする。それが、とても自然な感じなのだ。
ある日、友人に会うために、一人で道を歩いていたときのこと。
横断歩道で立ち止まっていたら、知らない人に声をかけられた。
「君、どこから来たの?」
「日本」
「コロンビアには何しに?」
「サルサが好きだから来たのよ」
「へ〜!そうなんだ。ねえ、この近くに、ラテンバンドの有名な人が住んでいるから、今から一緒に行かない?」
「いや、でも、これから友達と会う約束があって。遅れちゃうから行けないな」
「そんなこと言わず!ちょっとだけ、ちょっとだけ!」
かなり強引で、ただのナンパでもなさそうだったので、ついていくことにした。
わざわざ日本から、遠いコロンビアまで来たのなら、自分のできる範囲で何か貢献したい!という感じの親切な人のようだった。
なんのアポもなしに、いきなり行っても大丈夫なところが、コロンビアらしい。
ドアのベルを鳴らすと、恰幅のいい男性が出てきた。
「彼女は日本から、サルサが好きでコロンビアに来たそうです」
今、道で、知り合ったばかりの男性は、そう説明した。
「さあ、どうぞ、どうぞ、中に入って!」
今会ったばかりの、見知らぬ外国人に、嫌な顔ひとつせず、部屋に入れてくれた。
部屋には、かなり多くの、本格的な音楽機材が所狭しと並べられている。
どうやら、このアパートは、ご自宅というより、音楽を作るための作業スペースとして使われているらしい。
このラテンバンドの有名な方は、フルーコさんというお名前だそうだが、
残念ながら、存じ上げなかった。
フルーコさんは、私が初めて会った日本人だということで、とても興奮し、一緒にたくさん写真を撮ってくれた。
私は、あいにくカメラを持っておらず、一枚もとることができなかったが。
名刺をくださり「後日、私のレコード会社にいってください。あなたにプレゼントしたいものがある」
ということだった。
フルーコさんと、その男性に礼を言うと、
友達との約束に、すでに遅れていた私は、大急ぎで、そこを後にした。
その日の夜、宿泊先のコロンビア人の家族に、今日の出来事を話した。
「たまたま、フルーコさんという人に会ったんだけど、知ってる?家に行ったんだよ」
というと、
「えーーー!!あの、フルーコ!?
フルーコといえば、ラテン音楽の大御所だよ!」
と大興奮!!
ホストファミリーの驚愕に、逆に驚いた。
そんなにすごい人だったとは全く知らなかった。
日本の演歌でいえば、北島三郎みたいな存在だろうか。
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