第7話:コロンビアで突然、日本語教師・マッサージ師・書道家・寿司職人になった話
好きを仕事に!
ラテン音楽の巨匠に出会って、そのチャンスは何も生かすことはできなかったけど、
自分が一体、何が好きなのか、何をしたいのかも分からず、旅に出た頃の自分と比べたら、
「音楽が好き」なことくらいは分かって、少しは進歩したかもしれない。
コロンビアでは、いくつかの家族の家にお世話になっていたのだが、
あるホストファミリーの女性が、日本やアジアの文化センターの所長をしていた。
私は、彼女について、時々オフィスに遊びに行っていた。
そこで、スタッフの男性に、こう聞かれた。
「何か、日本的なことで知ってること、全部言ってみてください」
「特に、何もない」というと、
「小さい頃からやっていることとか」
「書道を小さい頃10年やっていました。マッサージも、家族にするくらいですけど。
寿司の作り方も少し知っていますよ」
スタッフは、ノートにメモしながら、
「じゃ、それでいきましょう!」
と言った。
すると、後日、すぐに仕事を依頼された。
「私は何も知らないし、何もできない」と言ったが、
「大丈夫、大丈夫、できるできる!」と背中を押される。
まず、その文化センターで、日本語教師として教え始めた。
全く、教え方など知らない。
自分で、こんなことを教えてみたら面白いかな、と試行錯誤しての試みだった。
マッサージの依頼もきた。まともに習ったこともなく、家族にするレベルで務まるのだろうかと思ったが、私なりにベストを尽くしてみた。
また、大学で、書道のパフォーマンスの場が用意された。
大勢の人が、私の書道を見にきていた。
こんなことができるのは、コロンビア人には、上手いか下手かも分からないからだろう。
人だかりを前に、「頼むから、日本人だけは来ないでほしい」と内心、思いながら書いていた(笑)
でも、そう思うと引き寄せるらしい。日本人の人に話しかけられた。
どんな会話をしたかは、もう覚えていないが・・・。
次に、とても大きな日本食レストランでの書道のパフォーマンスも行った。
お客さんに、「マリア、愛してる、ホルヘより」と書いてほしいと頼まれれば、スペイン語から、日本語に訳して、書にする、という具合だった。
日本食レストランで、何か日本食を教えてほしいとも頼まれた。
私は、大学生の自炊レベルだというのに、教える相手は、かなりの腕前の人たちだった。
大きな火をつけたり、ステーキを宙に飛ばして、回転させて、スライドさせ、お客さんの前に滑らせる、みたいなパフォーマンスを見たことあるだろうか。あんなことができる人たちだった。
それなのに、私が何を教えられるというのか・・・。
無難なお好み焼きを作ろうと思ったが、焼きすぎて、焦げた。トホホである。
スタッフたちは、何も言わないが、苦笑いをして、妙な空気が流れていた・・・。
その後、同じスタッフたちに、今度は別室で、接客のための日本語を教えて、その日は終わった。
それからもう一つ。文化センター主催で野外イベントをするということで、寿司を作るよう頼まれた。
巻き寿司の作り方は、実は、コロンビアに来る前に、3ヶ月行ったアメリカで覚えた。
しかも、作り方を教えてくれたのは、
<パスポートも持たず、こっそり川を渡ってアメリカに入国したらしい>メキシコ人だった。
オーナーが韓国人の日本料理屋。
唯一、私が日本人。
寿司の作り方を覚えたシチュエーションが、ユニークすぎはしないだろうか?
どれも、これも中途半端なまま、「日本人」であるというだけで、
私は、このように、突然、日本語教師・マッサージ師・書道家・寿司職人になってしまったのだった。
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