第8話:コロンビアで身につけた「好きを仕事にする方法」

前話: 第7話:コロンビアで突然、日本語教師・マッサージ師・書道家・寿司職人になった話
次話: 第9話:インドへの旅立ち

コロンビアで突然、日本語教師・マッサージ師・書道家・寿司職人になったことは、

自分に準備さえできていれば、とても大きなチャンスだったかもしれない。


それでも、大きな収穫は3つあった。


1つは、「自分は、これらのどの職業にも、本当はなりたくなかったということが分かった」こと。



2つ目は、「何か自分に身についたものがあれば、仕事に変えられるということを知ったこと」こと。


自分が好きなことをマスターして、それを仕事にすることが可能なんだということに気づかせてもらったことは、後々の人生で大きく生きてくることになる。


そして3つ目は、「度胸がついた」こと。

こんな体験をしなければ、何か身につけても、それを仕事にしたり、お金にする発想や勇気はなかなか湧いてこないんじゃないかと思う。怖いし、不可能だって思うんじゃないだろうか?



私は、日本に帰った後、大学に復学し、同時に、サルサダンスの先生になった。


コロンビアで8ヶ月学んでいたことを、仕事にしたのだ。


今度は、自分の大好きなことで。


当時、まだ神戸でサルサを教えている人はまだ誰もいなかったと思う。


神戸新聞カルチャーセンターと、朝日新聞カルチャーセンターで2年弱の間、クラスを持たせてもらった。


その時できた、つながりや交流は、今でも忘れられない、いい思い出になっている。




海外にいた間、「こんな風に、ずっといろんな国を旅できたらいいな。

いろんな文化に接して、それを調査して。

そんな仕事ができたらいいな」

と思っていた。


それで、人類学の研究者を目指そうと思って、京都の大学院へ進学した。


1年目、ダンスの人類学の先生の研究補助をケニアでして、お給料ももらったり、いい待遇をしてもらったにも関わらず、自分には、どうも反りが合わず、その研究をやめてしまった。


同じ大学院内で、今度は、教授を変え、発展途上国の研究を始めた。

メキシコへ行き、スペイン語で現地の人にインタビューし、「発展途上国の内的資源による貧困緩和」というタイトルで、論文を書いた。



この時、旅で身につけたスペイン語や、体験が役に立った。


「内的資源による貧困緩和」というと、言葉が固すぎて、意味がスッと入ってこないかもしれない。


簡単な言葉に言い換えるなら、


「自分に備わっている知恵、知識、文化などを生かしてお金にすること」である。



私も世界放浪中、日本人として、自然に身についていた日本語、マッサージ、小さい時の習い事で学んだ書道、旅先で身につけた寿司作りを実践して、仕事に変えることができた。


2年間の世界放浪のきっかけとなった理由は、

「私には何もない。好きなことも、得意なことも、将来やりたいことも。だからそれを探しに行く」ということだった。



そんな私でも、よく探ってみれば、<何か>あったのだ。

それを探し、引き出してくれた、ライフコーチのようなコロンビア人の男性スタッフには感謝だ。



この論文に書いたように、<どんなに貧しくても、自分に身についたことを、お金に変えることは、誰にでも可能だ>ということを、みんなに大きな声で伝えたい!という気持ちが、芽生えていた。



そして、それが、自分の大好きなことであれば、なおさらいい。



好きなことを一日中やっていて、それで人に喜ばれ、感謝され、自分も幸せな気分になり、しかもお金までもらえて、内的にも外的にも豊かになれるのだから。



大学院卒業を間近に控えていた頃、メキシコで友達になった人から、あることを学ぶように提案があった。




そのあることとは、「コーチング」というスキルだった。



コーチングとは、まさに、コロンビアの男性スタッフが私にやってくれたようなことをする仕事。



その人の気づかない内的な宝に焦点を当てて、引き出し、行動に起こさせて、その人らしい生き方ができるように手助けしていくスキルだ。



その頃、人類学の研究者になることは、もう違うと思っていた。



コーチングは、まだ当時、日本に来たばっかりの頃で、ほとんど誰も知らなかった。



勉強会などに行くと、今までの人生では出会ったことないような、とても素敵な人たちに出会った。

意欲とか、向上心とか、人へのさりげない気遣いとか、一緒にいて、とても心地よかった。



大学院を卒業して、コーチングの仕事をしていくことにしたが、すぐには、それで食べていけるようにはならない。


しばらく、派遣社員などをしながら、生活費はなんとかしていた。



でも、以前より確実に、自分のやりたいこと、進みたい世界が明確になっていた。



「人が、内在する力に目を向け、それを生かして、自分らしい生き方ができるようになって、自由になれるような手伝いをしたい。」


というのが、自分やりたいことの核のようだった。



コーチングの勉強会を初めて、仲間と一緒に、人生初のワークショップをやったことを皮切りに、


コーチングで仕事を少しずつ始めて行った。2003年頃のことである。



起業支援をしているオフィスでもらったアドバイスのおかげで、誰もやったことがないオリジナルのプログラムを生み出した。


それは、コーチングと、サルサのダンスを組み合わせることだった。


ただ普通にコーチングをやっているだけでは、特色がない。それで、今まで自分がやってきた経験を組み合わせてみてはどうかということだった。


確かに、海外をいろいろ周って、サルサのダンスを教え、コーチングをやっているという組み合わせは、他にはない。その個性を出していけばいいかもしれない。


ということで、ダンスを取りながらコミュニケーションしたり、自分の傾向に気づいたり、うちに眠るまだ未知の可能性に気づいたりすることを促すワークショップを開催した。


地元のイベントのみならず、全国の集まりにも呼んでもらったり、東京の六本木ヒルズのカルチャーセンターでも講座をもった。



ただ、ある時から、すべてをやめて、インドに行く決断をしたのだ。


その決断とはー



著者の鶴田京子さんに人生相談を申込む

続きのストーリーはこちら!

第9話:インドへの旅立ち

著者の鶴田京子さんにメッセージを送る

メッセージを送る

著者の方だけが読めます

みんなの読んで良かった!

STORYS.JPは、人生のヒントが得られる ライフストーリー共有プラットホームです。