第13話:みんなが幸せになったネパール、インドでチャリティーの旅
二人の同じ夢
彼とまだ結婚する前、インドのアシュラムにいたころ、私たちはお互いの夢を語り合っていた。
「僕がしたいことは、貧しい子供達が教育を受けられるようにするサポートなんだよね」
私が小さい時に抱いていた夢と同じだ・・・。
日本に帰ってから、彼と再会できるまでの1年間。
私に何かできることを先にして準備しようと思った。
私にできることは・・・そうだ。ヨガ。ヨガをして、参加費をチャリティーに回そう!
そして、チャリティー・ヨガのワークショップを開いた。
ブログで呼びかけると、なんと生徒さんたちも、自らチャリティーヨガを開催してくださり、その寄付金を送ってくださったりした。
youtubeを使って、瞑想の音声を配り、それで寄付を募ったりもした。
それで、短期間の間に、およそ20万円が集まった。
日本では、そのころ、断捨離が流行っていたので、
どうせ捨てるなら、貧しい子供達のために再利用してもらいませんか?
と呼びかけると、多くの人が、インドやネパールに自腹を切って、送ってくれた。
彼とインドで再会。日本からの温かい気持ちとともに、200着以上の服が届いていた。
日本でやることは、やった。
次は、インドの彼にバトンタッチだ。
これからインドでどうやって、チャリティーを進めていけば良いのか私には見当もつかなかった。
誰に、どんなサポートをすればいいのだろう?その判断基準は?
でも、彼は、とてもいいアイデアを持っていた。
学校へ行って、学校の先生に、貧しい子供を選んでもらい、何が必要かを直接聞いて、それを支給するというやり方だった。
そして、私たちは一緒に、いくつかの学校を回った。
中には、制服しかもっておらず、家でも制服で過ごしているという子供達もいた。
孤児院や、親から離れて働きながら学んでいる子供も多い。
子供達が、何に困っていて、何を必要としているのかー。
直接たずねることで、こちらの思い込みで、必要ないものを押し付けずに済むし、
特に困っていない子供に、無駄に寄付が回ったりもしない。
ヨガの生徒さんたちは、心優しい人が多くて、インドの子供達の写真を見て、泣いてくれたり、一緒に心を痛めてくれたりする。
そんな協力者のおかげで、インドのみならず、チャリティーをネパールまで広げることができた。
特に、ネパール大地震が起きた時は、1週間で、生徒さんたちから10万円が集まり、ネパール人の信頼できる友人に送って、すぐに活動してもらった。
世界中から寄付や物資が集まっていたのに、ネパール政府は、あまり動かなかった。
私腹を肥やすのに使ってしまったり、貧しい人々にお金が行くと自分たちの支配コントロールがきかなくなると恐れて何もしない政治家たちがいたらしい。
ネパールの友人、チワン君は、とても信頼できる誠実な人柄だったので、安心して、日本から寄付金を託した。
チワン君は、私たちが学んだインドのアシュラムで働いていて、子供たちに教えたり、スワミが出張にくるときには場をオーガナイズしたり、スワミのお世話をする仕事をしている。
2014年7月。私と夫がインドで結婚手続きをする日のことだった。
付き添いにきてくれたチワン君に、
「お寺の息子さんなんだよね。将来、お坊さんとして後を継がないの?」と聞いた。
「将来、ネパールの貧しい子供たちを助けるような仕事をしたい。そのためにオーストラリアに福祉の勉強にいきたい。今、留学のための試験を受け続けているけど、何度も失敗している。でもまだ挑戦するつもり」と彼は答えた。
私は、それまでにすでに、いくつかのチャリティーをインドでしていたので、
「オーストラリアに行くまでもなく、今すぐやろうと思えば、できるよ!あなたの思うような規模ではないかもしれないけど、私たちがやっている活動に参加する形でよければ」という話をしていた。
そして、チワン君の夢を知った翌年の2015年、ネパール大地震は起きたのだ。
チワン君がもしオーストラリアに行っていたら。
私が、あの時、彼の夢について聞いていなかったら。
あのネパール大地震で、救えなかった命があったかもしれない。
チワン君がネパール人だったことも。彼も私たちと同じ夢を持っていたことも。
そして、3人一緒にいると、気が合って、楽しかったことも。
全部、運命が仕掛けたことなのだろうな、と思う。
そして、2016年。日本から私たち、ネパールへ向かった。
大地震の時、チワン君が寄付してくれた場所を、チワン君が案内してくれ、一緒に訪問した。
チワン君からの簡潔なメールで、日本からの寄付が、多くの人々の役に立てられたことは知っていたが、具体的にはどんな場所に、どんな人々がいて、どんなストーリーがあるのかは、実際に訪問するまで、全く知らなかった。
チワン君は誠実で、礼儀正しいだけでなく、要領もよかった。アシュラムでいつもスワミのお世話をして、講義の準備などをしているためだろう。
電気もお湯もいつでも好きな時に手に入るわけではない、とても不便なネパールだが、チワン君は細やかな気遣いで、滞りがないように、全てがスムーズに進むように段取りをしてくれていた。
ただ、寄付がいるような場所というのは、とてもアクセスが悪くて、そこに辿り着くまでに、相当ハードな旅になった。
ジープで、ガタガタの道で、間違えれば落っこちてしまうような崖っぷちを1日走り、翌日7時間半も山道を歩いて、ヒマラヤの3500メートルの位置にある学校へようやく着いた。
体もヘトヘト、頭痛はするし、ついてすぐ4時半ころから、翌朝まで寝てしまったほどだ。
しかし、苦労して行き着いた学校では、想像を絶するようなことが待っていた。
向こうの習慣では、ゲストが来た時や帰る時に、リスペクトの気持ちを込めて、首にシルクの布をかける。
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