アルコール依存症の母が死をもって私に気づかせてくれたこととは。

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せめて私が生きてる間に気づいて欲しかったわ。

母が死んだ。

アルコール依存症だった。

アルコール依存症とわかってから15年間母は酒を飲み続けた


アルコール依存症の人が選択できる道は二つ。

酒を断つか、死ぬまで飲み続けるか、だ。

母は死ぬまで飲み続ける生き方を選んだ。


それゆえに私は15年間、悩み、苦しみ続けた。


母は独りで暮らす部屋で脳出血で倒れそのまま息を引き取った。

発見された時の状況や母の携帯電話の通話記録から死後24時間くらい経っているのではないか、

とのことだった。

まとめると、

”アルコール依存症だった母が一生飲み続ける生き方を選んだ結果、

誰にも看取られることなく孤独死した”ということ。

警察からの連絡を受けた私は冷ややかだった。

正直、”やっとくたばったか”と思ったくらいだった。

それから「クソッ」と舌打ちした。


母が死ぬ一ヶ月前のこと



相撲が大好きな母を両国国技館へ連れて行った。


その頃の母は1年前に酔って転んだことによる背骨の圧迫骨折の治りが悪く、

引きこもりがちになったため脚力が衰え、長い距離を歩くことが出来なかった。

目的地へ行くためには数十メートル歩いては休憩する、を繰り返し前進していった。

脚だけでなく全身の筋力が衰えていたらしく、失禁が当たり前だった。

尿意をもよおしてからトイレにたどり着く間尿を止めておくことが出来ない。


しばらく会っていなかった私は母がそんな状態だとは把握していなかった。

相撲、観に行きたい。絶対行きたい‼︎
わたし
圧迫骨折して動けんのやなかったっけ?
大丈夫なん?
大丈夫、大丈夫。
もう歩けるよ。心配すんな、私行けるし。

本当かなあ?

とは思ったが意地でも行くと言いはるのでそこは本人の意思を尊重した。


実際会って母と並んで歩くが速度は赤ちゃん並みで、

今日中に国技館にたどり着かないのではないかと思った。

とにかく階段が登れない。

駅のホームでは必ずエレベーターを使用。

やっとの思いで国技館へ着いたはいいが観戦席までにたくさんの階段があった。

その日は千秋楽でチケットが取りづらく、最後尾よりの席だった。

しかしそれは母の希望でもあった。

後ろの方が良い、と。

私も母も国技館へ行ったことはなく後方の席がどういう造りになっているのかなどまでは知らない。

私は球場と同じようにたとえ後ろの方でも浅い階段が続いている感じかな?

と想像していたが甘かった。

国技館の後方の席へ行くには一段の高さが母の膝の高さ程ある階段を上る必要があった。

ホール内へ入るのにたくさんの階段を頑張って上った母だったが自分の膝場である階段を見て

これは無理。


と言いその場にしゃがみ込んだ。

ここまで来てそれはないだろうと思った私は無理矢理母に階段を上らせようとした

四つん這いになって上がろうとしても腕の筋力が無く這い上がれない。

わーっ…怖いよう。



またその場にしゃがみ込む。

場内の案内係の人が駆けつけてきた。

母が倒れたと思ったらしい。

しばらくすると消防の人が二人やってきた。

気分が悪いのかと思ったらしい。

(酒に酔って転んで圧迫骨折したんです。

骨折を理由に引きこもって酒ばっかり飲んでいたので筋力が無いんです。)

わたし
階段が高すぎて上れないだけ。
気分が悪いわけではありません。

だんだん大ごとになってきたことが私はとても恥ずかしくてキツイ口調で言った

(全て自業自得ですからほっといてください。)

わたし
上がれないだけ。
気分は悪くありません。

同じことを繰り返し言った。

言う度に私の口調はキツくなっていった。

消防の人は引き上げ、案内係の人が残った。

もう、ここで観る。
席までは上がれないからもうここで観る。

母が座り込んでいたのは通路だったが、十分人が通れるスペースはあった。

だから私もここでいいんじゃないかと思った。

要するに立ち見だと思えば。

しかし案内係の人はそれはダメだと突っぱねた。

この状況見てましたよね?

例外として取り扱ってくれたっていいんじゃないかなあ?

わたし
チケットはちゃんと持ってます。
でもこの人がこんなだからここでいいでしょう?(怒)


案内係は全てを承知の上でダメだという。

もうキレた。

わたし
苦労してここまで来たけどもう諦めるわ。
帰ればいいんでしょ?
わたし
帰るよ、ホラ。
立てよ早く(怒)

疲れ切った母は怒鳴る私を無視し始めた。

周囲にいた人はこの一部始終を見ていた。


その中に非常に勇敢な青年がいた。

母をおぶって席まで上がろうとかって出たのだ。

その青年はとても華奢な体つきで、60キロ級の母をかつげるとは思えなかった。


その青年の登場でますます恥ずかしくなった私はもうやめてくれという思いでいっぱいだった。

わたし
お気持ちだけ頂いておきます。
本当にありがとうございます。

引きつった顔でお礼を言ったがその青年の母親が出てきて私たちと席を代わろうよと提案してきた。

私達の購入した席と勇敢な青年親子の席では値段的に倍程違う。

ましてや千秋楽。きっと苦労してとったに違いなかった。

わたしは断った。

しかし母は何くわぬ顔をして

あら、そーお?
では遠慮なく…


とズケズケと青年親子の席に座ったのだ。


怒りでゆでダコになっている私を見て不憫に思ったのか青年の母は私に気遣い、

せっかく来たんだから楽しまなきゃ!

と声をかけてくれたが、私は笑えなかった。

青年は、僕の母は医者だから大丈夫だと胸を張って言った。

わざわざ職業を公言する必要あります?

社会的に地位の高いお医者様が起こした行動だから尊いのだ、

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