何かが壊れる時
《これまでのあらすじ》初めて読む方へ
普通の大学生の篠田桃子の人生はある日を境に狂い出した。借金のため佐々木という男とその恋人玲子が任されている「パテオ」というショーパブで働くことになる。なかなかレッスンにはついていけないものの指名が取れ、恋人の拓也とも仲直りし順調に思えたが…
『パテオ』で働きだしてから1ヶ月過ぎた。
指名も少しだけ増え、接客にも慣れてきた。
客の年齢やキャラクターに応じて受け答えを使い分けることを覚えた。
揃いも揃って客が、自分のことを「いくつに見える?」
のくだりを外さないのにはウンザリだったが、滑稽でもあった。
男ってもしかすると女以上に年齢に対して
自意識過剰なんじゃないのかと思った。
もっとウンザリだったのは説教オヤジだ。
私のプライベートを根掘り葉掘り聞いてきて
テキトーに答えるも、大学生ということが分かると
嘘っぽい同情を滲ませた顔で私に説教を始める。
「ああ〜、何でかなあっ。キミみたいないい子が
こんな所で働くなんてね。世も末だねえ…嘆かわしいなあっ。
このこと親御さんは知ってるのかい?」
知ってるわけないだろ!
こんな所に毎週末来てるお前に言われたくない。
心の中で悪態をつきながらも
顔は微笑みを絶やさなかった。
「杏ちゃんは、ホントにいい子だね〜」
客たちはよく、私の演じる若くて可愛らしい素直な女の子にこう言った。
何がいいのか私自身が1番わからなかった。
分かるはずもない。
ここに群がる男性の気持ちなど。
しかもここにいるのは本当の私じゃないんだから…
その日のレッスンの終わりにダンス講師が唐突に言った。
「今日から杏さん、あなたにもステージ立ってもらうから」
女の子達が無駄口を止め、私と講師を見て
そして再びザワザワしだす。
私は信じられない気持ちだった。
「え…でも。わたしまだ全然ヘタなんですけど」
「振り付けは覚えたんだし。あとは度胸と愛嬌さえあれば大丈夫」
更衣室に入ると、化粧や髪をブローしている数人のホステスが
私を見て笑ったりヒソヒソ話している。
そのうちの一人が敵意丸出しの目つきで私を睨みつけると
「あーあ。今夜からのショーどうなるんだろ。マジ不安」
とタバコを灰皿に乱暴にこすりつけると出て行った。
他のホステス達も苦笑しながら追いかけて行った。
残された私は、所在なさげに服を着替え始めた。
その時背後から声がした。
「あんなの気にしちゃダメだよ」
振り返ると茶髪ロングヘアの女の子が笑ってこちらを見ている。
つけまつげがドッサリと上まぶたについているのに、
更に上からマスカラをこれでもかと塗っている。
おまけに緑のカラコンをしているので素顔が全くわからない子だった。
私に話したの?
思わず後ろを振り返ったが、人間は私しかいないようだ。
「あっははあ〜。ビックリした?あんた、誰ともつるまないもんねえ」
私はどう返事していいかわからず
「別に」
と小さく言った。
よく顔を見ると、初日に佐々木からミホと呼ばれていた子だ。
ちょっとおバカっぽくて、客からもよく
お前相変わらずバカだな〜と言われていた。
昨夜も女の子達がミホは中学すらマトモに出てないらしいと
馬鹿にして笑っていた。
「ねえスゴイじゃん!もうデビューするんだって?」
「はい。でも…」
でもと言い終わるより早くミホは、ため息をついて
「いいよねえ。アタシなんか頼んだって
レッスン参加すらさせてもらえなかったんだから」
「え、何で?」
「決まってんじゃん。今売れてる子と今後売れそうな子だけしか
出してもらえないンだよ」
え?
そうなの?
なぜ玲子は私みたいな経験も華のない女を?
私は首をかしげ、ロッカーにカバンを入れ鍵をかける。
ミホを見ると鏡に向かい、さらにマスカラを重ね塗りしているところだった。
そんなに沢山つけて瞼が重くならないのだろうか。
更衣室を出ると
蛍光灯の照明が落とされ、いつものけたたましいBGMが流れていた。
ふとVIP席を見るとボックス席に玲子さんが座ってタバコを吸っていた。
隣にはグレイのスーツに派手な色のネクタイをしたちょび髭男が座ってた。
「あ、オーナーだ」
後ろを歩いていたミホが言った。
「オーナー?」
私はもう一度彼らの方を見た。
玲子さんが私に視線を止めて、ニコッと笑った。
オーナーというちょび髭男もつられるように私を見た。
私は軽く頭を下げた。
「今日のショー楽しみにしてるから」
玲子さんは黒いチャイナドレスを妖艶に着こなしていた。
笑った時、結構深く目尻のシワが刻まれていた。
一体この人はいくつなんだろう。
「オーナーの女だよ。玲子さんは」
ミホが待機席に座るなり言った。
「え?」
「もう10年ぐらいの付き合いらしいよ」
「でも、玲子さんは佐々木マネージャーと付き合ってるんじゃないの」
「ああ、アキさん?あの人は女と見りゃ
誰彼構わずだかンね」
奥の席から歩いてくる佐々木の姿が見えた。
ナンバーワンのミサキと一緒だ。
モデル体型のミサキと大柄な佐々木はシルエットだけ見るとお似合いだった。
佐々木は何やらご機嫌取りをしているようだった。
「ミサキ、そんなこと言わないでさあ、頼むぜ〜」
通り過ぎる時そんな声がした。
「でもお、ここだけの話ね。玲子さんの方が佐々木マネに
ゾッコンらしいよ。どこまでの関係だか分かんないけど
オーナーが知ったらヤバイだろうね」
ミホは携帯電話をいじりながら、さほど興味なさそうに言った。
ゾッコン?あの野蛮そうな佐々木に?
玲子さん、綺麗なのに悪趣味だな。
いよいよショーまでの時間が迫ってきた。
私はスパンコールだらけのやたらキラキラした衣装に着替えていた。
他の女の子達は気だるそうにショーが始まるのを待っている。
心臓の鼓動が徐々に早まる。
私の出番など20分のショーのうちわずか冒頭の3分足らずだ。
でも、それでもあの狭いステージの上でスポットライトに照らされ
客の視線にさらされることには変わりないのだ。
私は6人くらいのダンサーと共にステージ中央でスタンバイした。
暗闇の中で私はふいに不安でいっぱいになった。
それは緊張からくるものではない。
それはとてつもない大きな後悔にも似ていた。
今夜ここでステージに立ってしまうことで
取り返しのつかない 何かが壊れてしまう気がしたのだ。
私はこの1ヶ月、サイズに合わない靴を無理して履いている気分だった。
でもその感覚にどこか安心している自分がいた。
ブレーキを踏み続けている自分に。
でも…
やがてオープニングのBGMが流れてきた。
でも…
もうきっとブレーキが効かなくなる。
それは確信にも似ていた。
そして幕が上がる…


