介護を現実のものとして考えていく 【その三・セカンドオピニオン】

前話: 介護を現実のものとして考えていく 【そのニ・ウィルソン病?】
次話: 介護を現実のものとして考えていく 【その四・担当医面談】

綿密な検査が行われ、結果が親族の元に知らされることとなった。


病院内の一室に義母と長女の夫である私が招き入れられた。


担当医の見解では義父がウィルソン病である可能性は「NO」という結論に達したとのこと。


現在の症状や血液検査の数値からはウィルソン病の疑いも考えられるが、尿検査ではこれに該当しないという。


では稀有な病ではないとすると何が考えられるのか?


担当医の話は続く。


まずは現在抱えている3つの症状【不随意運動・認知症・肝硬変】


それぞれについて、ここまでどんな処置や対応をしてきたかについて触れられた。



【不随意運動】

本人の意志とは関係なく手足が動いてしまうが、この症状に関しては良好・改善の兆しが見られるという。


他の病院で処方されていた新しい薬の可能性を検討し、この薬の処方を取りやめていたという。


ただ普通の人に比べて肝機能が弱いため、どうしても消化するのに時間がかかる。


そのため不随意運動が長引いたということらしい。


【認知症】

レビー小体型認知症という定義付けがされていた。


アルツハイマーとは異なりレビー小体という特殊なタンパク質が神経伝達を妨げ破壊していく症状で、パーキンソン病と似通った症状が出るという。


手足の震えや筋肉の硬直などがそれに当たる。


これについても担当医は薬の見直しをしたという。


パーキンソン病の患者に適用されるメネシットという薬が処方されていたのだが、こちらを減薬し最終的には投与をやめる方向だという。


このような判断をした理由に、認知症の診断テスト結果があげられた。


認知症のテストというのは健常者であればうっかりミスをすることはあったとしても、ごくごく簡単な内容である。


最初に数種類の絵と数字を見せる。その後、計算や、時刻の読み方、展開図など適性検査のごく初歩的なものが数題出題されていき、最後の設問で最初に見せられた絵や数字を覚えているかという内容で帰結する。


だいたいこんな感じの流れらしい。


入院当初に義父もこの試験を行ったようだ。30点満点で11点だか12点だかそんな結果だったらしい。


もし認知症であれば、その後何度試験をおこなっても点数が下がることはあれ、上がることは難しいと考えるのが常識的だ。


ところが義父はその点数を上げたらしい。しかも劇的に。


直前で行ったテストでは23点だったと聞かされた。


認知症ではないであろうとの判断でメネシットを減らしたことが、この結果につながっていることは間違いなさそうである。


【肝硬変】

こちらに関しては症状そのものに異見はなかった。


ただし、入院当初に嘔吐などの症状もあったため薬は変えているという。


そのおかげで嘔吐の症状はほぼなくなったとの話だ。



ここまでの話の中で気づいたことがある。


すべての症状に対して一つ一つ疑いをかけ、結果としてすべて対応療法を変更しているのだ。


いわゆるセカンドオピニオンである。


緊急入院であったにもかかわらず、担当医の尽力のお陰で入院前に疑っていた病名とは全く異なる結論が出てきたわけだ。


不随意運動や認知症のような症状を引き起こしていた根本的な原因は、肝硬変による肝性脳症の可能性が高いという。


肝性脳症。


肝臓で本来除去されるはずのアンモニアなどの毒物が血液を通じて脳に達し、脳の機能を低下させるという病気である。


表れる外的症状が他の病と似通ってくることは否定できないので、入院前に面倒を見ていただいた各病院で判断することは本当に難しかったのだと思う。



認知や不随意運動というそれぞれの症状から診断されていったファーストオピニオン。


総合的な検査に基づき、一つ一つ可能性を見直して診断名を一つに絞り直したセカンドオピニオン。


セカンドオピニオンの大切さをあらためて理解できた気がするのであった。


しかし、あくまで病名がほぼわかったというだけであり、肝硬変の状態は決してよいわけではないため、この段階で肝性脳症を直接治療することは不可能だった。


現状をどう維持するか。具体的な手段としてはいかにアンモニアの数値を上げないようにしていくか。焦点はそこに絞られていくことになる。


それともう一つ大きな問題があった。


担当医の判断によれば、このまま減薬等を続けていくこととリハビリで衣食は自力でも時間をかければどうにかなるだろうが、一人での排泄はかなり難しいという。


また、自覚症状がないことが何とも難しいところなのだが、急性呼吸不全という診断も下されており血中酸素の濃度が低いというのだ。


健常者ならば99~96程度で正常値なのだが、義父の場合は90ぐらいの時があるという。


本来ならばベッドにいる際も酸素マスクが必要なレベルで、医師の目から見れば「ちょっと危ない数値」らしい。


実際私の母が小細胞肺がんに陥った際、この数値が徐々に低下していき自力呼吸で酸素を体内に取り入れることが厳しくなっていったのを目の当たりにしていたので、よく覚えているどころかあまりに身近過ぎる数値なのだ。


実家には当時使用していた血中酸素濃度計がある。


余談だが結構値段はお高い。


いずれにせよ、病状が安定していったところで自力での排泄と酸素濃度という問題がのしかかってくるのはやむを得ない。


ここで浮上してくる話。


それは「今後どのような対応をしていけばよいのか?」ということ。


ウィルソン病の疑いも晴れ手術等の治療行為を続けるわけではなくなったので、長期入院という選択はなくなる。


真っ先に検討しなければならないのはリハビリ等に対応する病院への転院。さらにはそこから先の進路だ。


転院先でも入院期限は決められているのでそう時間はないと言われている。


選択肢は3つ。在宅、老健、特養。


ここで一人の人物が登場する。


医療ソーシャルワーカーである。



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