HAYATONY物語6

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僕は中学生になってから初めて英語を習った。

一般的な僕と同世代1964年生まれの子供はきっと英語を習い始めるのは義務教育課程では中学生からだと思う。

今でも日本の義務教育での英語教育は全くもって進歩があまりないように感じる。

一部の教養のある親の子供達はその当時でも英語の重要性を認識し小学校から勉強していた子供もいただろう。

今、思えば勉強と言うものに少し興味を持ち好きになったとしたら中学で初めて習う英語教員の竹内のりお先生からだ。

竹内のりお先生との出会いが僕の人生の転換期の始まりだったと思う。

竹内先生のおかげで僕は英語が大好きになった。

竹内先生の指導方針は誰一人クラスで落ちこぼれを作らない授業スタイルだった。

毎日、英語を理解出来ない生徒にはその放課後補習クラスを開き、誰一人として英語が出来ない子を作らない教育スタイルに僕は感動していた。

授業はいつも熱がこもりみんなエネルギシュだった。

本当に竹内先生の事をみんなが尊敬したし授業や勉強がこんなに楽しい事は生まれて初めての経験だった。

その勉強スタイルもユニークでチーム制での学習スタイルを取っていた。

チーム制だから個人だけが出来てもダメなのである。

みんなが総合的に助け合う仕組みだった。

この教育環境やチーム制での勉強スタイルが仲間を思いやりみんな強いチームにした。

個人攻撃をしない。

誰かがミスをすればそれを誰かがカバーするといった具合だ。

なんかバレーボールに似ている。

バレーボールは誰かがミスをしても必ずチームメイトはミスをした仲間を励ましたりし、みんなでそのミスをフォローするので僕は大好きなスポーツの一つだ

話がそれたが他の教科の先生の授業はいつも通りの退屈な授業クラスだった。

しかし勉強とは不思議なもので一つでも得意教科が出来ると他の教科も出来るようになってくるもので小学校の時、通知表で1を取った国語だったが中学の3年生の時、全教科中で生まれて初めてテスト満点を取ったのが国語だった。

300人近くいた学年の中で1年生の時は150番前後だった。

成績も2年生では100番以内に入り3年制の時には常にトップ50位以内に入る様になり最高順位は確か10番台まで行った事があった。

中学で一度だけ受けた全国模擬試験では偏差値75点という高得点をマークしたこともある。

僕はその時の点数には初めは不満であった偏差値の点数の数え方を知らなく平均点だと思い実は僕は落胆していた。

中学3年生になると成績はどんどん良くなり5教科の平均は常に400点以上を超えていたので平均点にすれば常に80点以上であったために良く出来たはずの全国模擬試験の偏差値を平均点と勘違いし75点だと全国のレベルの高さに落ち込んでいた。

偏差値の意味を高校生になってから知ることになったがそれまでは全国レベルは高いと田舎の少年は考えていた。

勉強でいい点数を取るには簡単なコツがある事が解った。

僕は日頃、中学時代も勉強などしたことは無かったが中学に入って部活動をバスケかサッカー部に入りたかったが何故か友達のお姉さんに誘われ仮入部したが最後、そのまま辞める事が出来ず卓球部に所属した。

その卓球部には常に学年トップ3位を争う岩城君と都会の学校から転校生してきた高崎君が在籍し僕は転校生の高崎君と卓球を通じて仲良くなり、いつも彼の家に遊びに行き都会の話を聞いていて都会への好奇心が一気に広がった。

もう一人学年トップ3位を争う大谷靖とも仲が良かった。

僕は勉強が出来る友達に恵まれたおかげでテスト前になると彼らの家に行きノートや教科書の蛍光ペンで塗ってあるところだけ何度も丸暗記した。

そうすると見事にそこがテストに出るのだった。

中学時代で勉強したのはテスト期間中だけ高崎君と大谷君の家に行きそこで勉強?彼らのチェックした部分を丸暗記したのであった。

他にした勉強は授業をまじめに受けていたぐらいだ。

そのおかげで成績がどんどんよくなり良くなるともっといい点が取りたくなった。

この成績のUPを一番驚いていたのは言わずと知れた両親や僕の友達だった。

僕はこの中学時代の夢に大人になったら英語の竹内先生の様な学校の先生になりたいと考えた。落ちこぼれを作らない教育方針はみんなを笑顔にすべてのクラスメートを幸せにしていたからである。

ちなみに小学生の時はF1レーサーになる事が夢であった。

一般的な大人はすぐに子供を比べたがる。

大人は勉強が出来る子供を褒め成績の悪い子供を頭が悪いダメな子だと決めつける。

小学校の時に通った塾の先生みたいに子供に順位をつけ勉強が出来ない子供をダメな子供の様に扱う。

そして大人は言うのである。

あの子と遊んでいると頭が悪くなるよ。

子供の頃から人の価値は勉強が出来るだけじゃないと考えていた。

人それぞれいいところがある。

世話好きだったり、優しさがあったり、思いやりがあったり、協調性があったり何か他の人にない特技や才能が有るものだ。

僕の仲のいい友人を勉強が出来ないだけでそのように決めつける大人が好きじゃなかった。

なんで大人は学校の成績だけで子供に順位や甲乙を付けるのか?

小、中学生の僕はそんな大人たちが大嫌いであったがこの英語の竹内先生は他の教師や大人とは全く違った人格者で情熱にあふれ僕たちに英語を読み書き話す素晴らしさを教えてくれた。

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