HAYATONY物語11

1 / 2 ページ

前編: HAYATONY物語10
後編: HAYATONY物語12

東放学園はTBS系の資本で作られた映像関係を専門に扱う専門学校であった。

音響技術課のほかには映像技術課やアナウンス学園もあり、マスコミ関係に強い学校で生徒もTVや映画関係に進みたい生徒が多かった。

僕が入学した音響技術課のクラスにはやはり音楽好きの学生が多く、バンドのメンバーを集まるには時間はかからなかった。

すぐに坂巻、橋本、中鉢などクラスの仲間で盛り上がりバンド結成となった。

学校から徒歩で数分のところにアパートを借りた為に、僕の部屋は学校仲間のたまり場になった。

出席だけ済ませ教室の後ろからこっそりクラスを抜け出し、アパートでいろんな楽曲を弾き語りしアレンジを加えたりした。

レンタルスタジオ深夜0時から朝6時まで毎週借りてみんなでバンド演奏の練習が始まった。

意外に集まったメンバーの楽器演奏力レベルが低く音楽性の違いなども影響し、なかなか

バンドはまとまらず一人抜けてはまた一人追加すると言う具合にバンドメンバーは変わりなかなか思い通りにはバンドメンバーはまとまらなかった。

僕は生活費を稼ぐ為に夕方から翌朝まで六本木ライブパブ、スパッツのバイトをしながら学校へ通いその合間を縫ってのバンドの練習はなかなか大変であった。

東京に来てから自身の生活費を稼ぐ事や学校とバンドのすべての両立には無理があった。

夏休み以降の2学期からは学校の授業にはほとんど行かなくなった。

いつまでたってもバンドメンバーがまとまらない事にも焦っていたが半年ぐらいしてやっとライブ演奏ができるぐらいのメンバーにまとまった。

リードを担当するギターリストに学校外から坂巻の旧友の伊達ちゃんが参加してくれて

毎週日曜日の夜から朝までスタジオを借りてメンバーは練習した。

僕はこの時からソロのアコギによる弾き語弾き語りの楽曲からバンドメンバー用の楽曲を書き始めた。

僕らの中では伝説の曲、「だからロックロールナイト」や「ダーティーレイディ」などの楽曲が生み出された。

僕らは練習を重ね遂に初ステージのクリスマスライブを自主開催するところまでたどり着いた。

チケットは学校の友達やバイトの仲間にお願いしてばらまいたが初ライブ当日はお客があまり集まらず20名前後の仲間身内だけのライブになった。

そしてこのバンドではこれが最初で最後のバンドライブとなりその後みんな解散した。

その当時、三宅裕司が司会を務めるアマチュアバンドの登竜門の「いかすバンド天国」通称、イカ天の番組が大人気であった。

プロデビューを目指すバンドマンはみんなこの番組に出ることが目標であった。

みんなの読んで良かった!