16/10/17
ウツで10代のうちに人生を壊され、道路に寝そべり、線路に寝そべり、もう二度と夢を見ないと決意したウツ男が、あることを意識するだけで 「180度変わった」と言われるまで成長したハイジャンプストーリー part4 ~サヨナラ元気な自分~

お母さんに
「つらい」
と、今まで辛かったものが溢れ出し、泣き崩れた日の翌日、
電車で片道1時間くらいかかる
病院に向かいました。
僕の家は田舎にあります。
ちゃんとした病院は
少し都会に行かないとありませんでした。
病院に向かって歩いているとき、
まっすぐに歩くことができませんでした。
目の前がグルグル回りだしフラフラして
自分の周りに人がたくさん歩いている状況が
ものすごく窮屈に感じて息苦しくなりました。
僕は
「気持ち悪い・・・」
と感じました。
歩くことすらままならなくなっていました。
そんな思いをして向かった病院なのに
医者は4、5個の質問をして
「うつ病ですね」
と、軽く言い放ちました・・。

「なんて適当なんだ」
どこかでまだ自分がウツだと
認めていない自分がいました。
でも、これで
僕はウツ
だと確定してしまったのです。
自分のおでこに
「ウツ」
という御札を貼られたような感覚でした。
医者の対応には腹が立ちましたが
診断書が出たので
これで学校も休めると心の中では思っていました。
心の底から辛いと思っているのに
ウツという名前を付けられて
学校に行かなくてもよくなったことに
ホッとしている自分もいました。
それから、
担任の先生と部活の顧問とお母さんとで面談をし
特例中の特例で学校は休み、
部活だけ参加が認められました。
認められたのか一体どういう話になったのか
正直僕は知りません。
学校の制度もよく分かりません。
お母さんがなにをしたのかも知りません。
でも、とにかく授業に出なくてよくなったのです。
ただ、ちょうどその頃、
10月頃で、修学旅行が控えていました。
京都、奈良、兵庫の修学旅行でしたが
行くか行かないか迷いました。
とても行ける状態ではなかったですし
行っても友達に迷惑をかけるだけだと思いました。
それでも、友達の勧めもあり、
とりあえず行くことにしました。
でも正直、行かない方が良かったと後から後悔しました。
なぜなら、友達にかなり気を遣わせたからです。
普通、修学旅行の夜ってみんなワクワクすると思います。
僕と同じ部屋の友達は最悪だったと思います。
僕はすぐ寝ました。
「なんか話してほしかった」と
友達がボソッと言うのが聞こえました。
学生生活最後の修学旅行は、何も楽しくありませんでした。
普通、お土産や自分の欲しいものを買うと思いますが、
僕は一銭も使いませんでした。
というか、使えませんでした。
自分に全く興味がなかったからです。
僕はそんな自分にショックを受けました。
修学旅行から帰ってきて、
いよいよこの日で授業は最後だと決めていた日がやってきました。
最後の授業は、英語の授業でした。
僕は、もう座ってるのが限界で
授業中に手を挙げ、
「先生、寝転がっていいですか?」
と、ちょっと半泣きしながら聞きました。
そしたら、先生たちの中では噂になっていたんでしょうね。
優しく
「いいよ」と言ってくださいました。
僕は一番最後の授業を
後ろで寝転がりながら受けました。
進学校で、東大や京大にも受かるような生徒を輩出している学校で
僕は寝転がりながら授業を受けました。
前代未聞だったと思います。
僕がおかしくなってから、
クラスの人たちがなんて思っていたのか
僕は全く知りません。
幸い、バスケ部が3人いたので居心地が悪いことはありませんでした。
1つだけ、この時に気付いていたけど
クラスのみんなに「ありがとう」を言えなかったことがあります。
それは、ずっと僕の席を一番後ろにしていてくれたことでした。
席替えはどこの学校にもあると思いますが、
毎月1回僕の学校でもありました。
僕が学校を頻繁に休むようになって
気を遣ってくれたんだと思います。
一番楽な席を僕の為に確保してくれていました。
本当に有難かったです。
そして、僕は授業には出なくなりました。
でも、高校は義務教育ではないので
授業を1ヶ月半以上休むと
留年ということになってしまうと言われました。
1ヶ月半・・・
なんて短い期間なんだ・・・
でも、そんなのもう、どうでも良かったんです。
もうゆっくり休みたかったんです。
ただ、本当に辛かったのはここからでした。
他人から見たら、授業休んで部活だけ行くので
楽なように見えますが
まったく楽なんてものはありませんでした。
部活も必死な思いで行きました。
僕にはバスケがすべてだったので
バスケがなくなったら
本当に終わると思っていました。
生きる意味を失うと思っていました。
でも、バスケやってるときは楽しめましたが
それ以外の時間が、
息をしたいのにずっと海に沈められて
もがいてるような状態でした。
朝起きてもどれだけ快晴な天気でも
心が晴れることはありませんでした。
ずっとどんよりで、ずっと沈んでて、ずっと心が重くて。
明日が来るのが怖くて仕方ありませんでした。
同じようにただ辛い日がまた来るなら
来ない方がましだと思いました。
朝も昼も夜もゆっくり休める時間はなく
ウツで辛い自分との対面時間でした。
もしかしたら学校に行っていたことで
まだ紛らわしていたのかもしれません。
でも、学校も行けなくなって
自然と一人の時間が増えてしまって
ウツに苦しめられる時間が増えてしまいました。
そんな自分に耐えられなくなり
僕は中学に行き、
泣きながらカウンセリングルームに行きました。
親友のシュンが中学時代お世話になった先生に会いたかったからです。
それが最後の光でした。
高校生が泣きながら中学に入っていくなんて
考えられない話ですが
そんなことはどうでもよく、
もういっぱいいっぱいでした。
カウンセリングルームに入ったとき、
先生は優しい顔で待っていてくれました。
そして、何も言わずずっと手を握っていてくれました。
僕はその時初めて、
人の手ってこんなに温もりがあるんだと思いました。
僕はずっと泣いて、
先生はずっと握っていてくれました。
しばらくして、
「今まで溜めていたものが溢れ出したんだね」
と、優しい口調で言ってくれました。
「簡単じゃないけど、自分を赦せたら一番いいのにね」
とも言ってくれました。
自分を赦す・・・
僕には永遠にできないと思いました。
というより、自分を赦すなんて
したくないと思って生きていました。
自分を赦すことが気持ち悪いと思っていました。
だから、先生の言葉は耳には入りませんでしたが
僕はその先生がいてくれたおかげで救われました。
存在に救われました。
本当に人類の鏡のような人でした。
その日からたまに先生の自宅まで会いに行くようになりました。
僕にとっては癒しの時間でした。
唯一、心が休まる時間でした。
でも、残酷なことに
また更に奈落の果てへと落とされる事件が起きたのです。
つづく。

