偏差値30台から、4年浪人して獣医学科に入学した話 第5回

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浪人生活突入:1年目

当然のように浪人生活に突入しました。
同級生の中には非常に優秀な人たちが多く、京都大学や医学部や有名私立に現役合格する人たちもたくさんいました。それもまた、現実。同じように小学校から12年間過ごしてきて、れきぜん開いてしまった差。
私も、サボっていたわけではない。
これだけは、駄目ながらも自信を持って言えることだった。
全然机に向かわないというわけではなかったのだ。比較的まじめに机の前には座っていた。そして、問題集も参考書もちゃんと開いていた。

何で、駄目なんだ?どうして、点数になってこないのか?どうしろって言うの?

私の兄は、優秀でした。今も優秀ですが。。。勉強もしているけれど所謂「地頭のいい人」なのだと思います。今思うと、「自分のスタイル」を確立していたんだと思います。
小学校からずっと1番を取り続けているような人で、私とは正直「雲泥の差」。模擬試験を受けると必ず成績優秀者で、載っていない時は「受験していない」という状況。
高校受験時も、その当時あまりなかった「特進」に行くべきと言われたのに、「公立の普通科が近いから。」という理由で本当に家から一番近い高校に進学しました。
高校進学してからは、予備校に通い「駿台」「代々木」「河合塾」。。。有名予備校主催の模擬試験で全国を相手に成績優秀者であり続けました。そして、京都大学法学部と早稲田大学政治経済学部に合格し、京都大学に進学しました。

本当に自慢の兄であり、反面「プレッシャー」でした。こんなことを言うと叱られるかもしれませんが。。。
何をやってもかないませんでした。唯一、私の方が走るのが速かったくらいです。

兄のやり方を真似ると自分も成績が上がると信じていたのです。でも、気づいていませんでした。「地頭」が違いすぎるのです。

兄がピンとくることが、私にはピンとこない。
兄の頭で閃くことが、私にとってはこれっぽっちも閃かず暗闇のまんまだったり。

1年目は自宅浪人をしたのですが、もがいても、ぶくぶく沈むばかりで成績は本当に上がってきませんでした。

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