木や植物と会話をする
私が木と初めて会話をしたのは、2010年の3月頃のこと。
この頃の私は、キャノンの高価な一眼レフカメラを所有しており、
あちこちに写真撮影に出掛けていました。
鎌倉の八幡宮に行き、色々な被写体をレンズから覗き込み撮影を楽しんでいました。
リスが無邪気に大銀杏の木の周辺で戯れていて可愛くて、私は夢中になってシャッターを切り続けました。
そして大銀杏を下から見上げ、随分と立派な木だな~と感心していました。
脇の看板を見ると、樹齢1000年の大銀杏と書かれてありました。
1000歳の木ともなれば、それは立派なものです。
階段を上り、その途中から銀杏の木を撮影することにしました。
すると、「苦しいよー苦しいよー。」という声が聴こえたのです。
私は何事かと最初思いました。
その声は何度も聴こえてきました。
今のは何だったのか???
自分の耳を疑いました。
木が喋るなんて聞いたこともない。
疲れているから、そんな奇妙な幻聴を聴いた気がしているんだろうか。。。
そう思いました。
確かに立派なしめ縄が掛かっていて、見るから重そうにも見えましたが。。。
答えは謎のまま数日ほど経ち、あのニュースを聴いたのです。
鎌倉八幡宮の大銀杏が強風で倒れた!
私はビックリして腰を抜かすかと思いました。
やはり、あの時聴いた声はあの大銀杏から聴こえていたんだ。。。
そう分かると、私は悲しくて悲しくて涙が出ました。
暫く辛くて涙が止まらなかったほどでした。
辛かったんだね。。。
苦しかったんだね。。。
そう思うと胸が詰まる思いがしました。
それからの私は、木から聴こえてくる声を疑いなく受け止めるようになりました。
今では、
神社に行く時には必ず、木と会話をするようになりました。
とても威厳に満ちた木もいれば、
優しくて懐の深い木もいれば、
陽気できゃぴきゃぴとした感じの木もいます。
そうしているうちに、木は人間よりも長生きしている存在が沢山いて、
そのような高齢の木は、本当に叡智の塊のような存在であることに気付き始めました。
古くからの記憶を全て携えているのです。
石などもそうですし、
もっと極端な話をすれば、城などの建物として残っている木にも記憶が浸み込んでいます。
それをその場に残った残留エネルギーだと表現をする方もいるでしょうし、
木が記憶として持っている、という表現でも間違いはないはずです。
現に生きた木は間違いなく語り掛けてきますから^^
建物として残っている木も、生きていなければ、原型をとどめてはいないはずですから。
木が喋る位なのですから、動物達に言葉がないはずはありません。
皆それぞれの言葉で会話を交わしているんです^^
このテーマについては、これから先、もっともっと掘り下げていって、もっともっと明確に交信を交わして行きたいと思っています。
これからの地球にとって、とっても大切なテーマとなるはずです。
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