top of page

17/2/13

心友 【其の十一・昔の記憶】

Image by Olia Gozha

クロイワのベッドと思しきところに近づくと、クロイワの母親が笑顔で出迎えてくれた。その明るさというか陽気さは昔と何も変わっていない。

「遠い所大変だったね~」

そんな言葉をかけられただろうか。そしてベッドの方に目を向ける。

「ビックリしたでしょ!?」

母親の声は一瞬にして遠のいた。あまりに変わり果てたその姿にすべての思考回路が止まってしまった。


決して楽観的な気分で新幹線に乗っていたわけではなかったが、それでもここまでの状況になっているとは想像すらしていなかった。あまりに変わり果てていたクロイワを目にして、気がつくと涙がこぼれていた。

哀れんだわけでもない。悲しかったわけでもない。どんな顔をしていいかわからなかったが、せめて笑顔を作ろうと考えた。しかし笑顔を作ろうとすればするほど涙は止まらなくなった。

そっと奴の手を握る。奴は泣いているのか笑っているのか。そのどちらも当てはまるような表情をしていた。

失敗した手術の影響で身体機能だけでなく言語障害を抱えているため、何かを一生懸命に伝えてくれようとしているのだが、うまく聞き取れない。こちらから「あれか?それか?どれだ?」と何度も聞き返しながらYES・NOで答えを求める会話が続く。

それと記憶も一部抜け落ちているようだった。ある一定期間の記憶だったか、最近のことを思い出せなくなっていたのかまでは詳しく覚えていないが、記憶障害を患っていたことは確かだ。

そんな不都合な状況下での会話が続く中、昔の話になると奴の反応はすこぶるよかった。笑っているのがよくわかる。幼いころのたわいないくだらない話が、奴にとっても自分にとっても一番の気付け薬になっていた。

カセットデッキに向かってラジオトークまがいのことを喋りながら録音したこと。当時仲間内で流行っていた意味不明なフレーズ。中味のない、本当にどうでもいいことだけはお互いよく覚えているものだ。今がどうであれ、昔の記憶で互いの絆がしっかり繋がっていることがわかった。それだけで満足だった。


病室にいたのは30分だったか、1時間だったか。とても不思議な時間を過ごした気がする。そして、この時もっと色々語っておけばよかったのかもしれないと後悔することになるわけだが、そんなことは知る由もない。

どこか他の病院に転院して奇跡が起きてくれればそれでいい、いや奇跡は必ず起きるはずだ。それだけを考えて新潟を後にした。


PODCAST

​あなたも物語を
話してみませんか?

Image by Jukka Aalho

フリークアウトのミッション「人に人らしい仕事を」

情報革命の「仕事の収奪」という側面が、ここ最近、大きく取り上げられています。実際、テクノロジーによる「仕事」の自動化は、工場だけでなく、一般...

大嫌いで顔も見たくなかった父にどうしても今伝えたいこと。

今日は父の日です。この、STORYS.JPさんの場をお借りして、私から父にプレゼントをしたいと思います。その前に、少し私たち家族をご紹介させ...

受験に失敗した引きこもりが、ケンブリッジ大学合格に至った話 パート1

僕は、ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ、政治社会科学部(Social and Political Sciences) 出身です。18歳で...

あいりん地区で元ヤクザ幹部に教わった、「○○がない仕事だけはしたらあかん」という話。

「どんな仕事を選んでもええ。ただ、○○がない仕事だけはしたらあかんで!」こんにちは!個人でWEBサイトをつくりながら世界を旅している、阪口と...

あのとき、伝えられなかったけど。

受託Web制作会社でWebディレクターとして毎日働いている僕ですが、ほんの一瞬、数年前に1~2年ほど、学校の先生をやっていたことがある。自分...

ピクシブでの開発 - 金髪の神エンジニア、kamipoさんに開発の全てを教わった話

爆速で成長していた、ベンチャー企業ピクシブ面接の時の話はこちら=>ピクシブに入るときの話そんな訳で、ピクシブでアルバイトとして働くこと...

bottom of page