突然の望まない「さよなら」から、あなたを守ることができるように。

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▼祈り




祈りを込めて、僕はこの文章を書く。


この文章を読んだ人が、交通事故でひどい目にあったりしないように。

あるいは、誰かを交通事故でひどい目にあわせたりしないように。


たとえ、明日事故に遭うことを何らかの存在に決められかけている人がいたとしても、僕がこの文章で、その宿命を祓う。それくらいの覚悟で、僕はこの文章を書く。だから、読んだ人は車を運転するとき、頭の片隅でこの話を思い出してほしい。


あなたが無事に、家に帰ることができるように。

家族と変わらぬ日常を送ることができるように。

食卓で温かいご飯を食べることができるように。




突然の望まない「さよなら」から、

あなたを守ることができるように。




▼始まりと終わり




この文章は、母親の再婚した旦那さんであるKさん(五十一歳)が、二〇一六年一月二十八日の午後五時十分頃、車同士の出会い頭の交通事故で死んでしまったところから始まり、僕がこの文章を書き終えることになった二〇一六年十二月二十八日に終わる。




▼表参道




二〇一六年一月二十八日、夜。


僕はいつものように表参道のオフィスにいた。ウェブディレクターをやっていた僕は、とある新規事業を始めていて、同僚と毎日寝る暇も惜しんでサービスのローンチのために働いていた。


今思えば、いやな一日だった。朝からつまらない業務のミスが相次いだ。他の部署でもトラブルが起こった。皆、どこか浮かない顔をしているうちに一日が暮れていった。それで終われば良かった。うだつの上がらない一日、寝て起きたら忘れているような一日。しかし、そうはならなかった。深夜に、僕の携帯電話が鳴った。普段はかかってくるはずのない時間の、母親からの電話。




「Kくんが、しんでしまった」




母親は、こんなことを言ったと思う。よく聞き取れなくて、聞き返した。しかし、「しんでしまった」というような響きの言葉が何度か聞こえて、僕はオフィスの椅子に沈み込んだ。




いったい、何が起きているんだ?




▼青山霊園




深夜の青山を、僕は歩いて帰った。


母親の旦那さんが事故死したことを社長に報告すると、「すぐに地元へ帰れ。有給申請とかは気にするな」と言ってくれた。


タクシーに乗ってとりあえず三田にある家に帰れば良かったんだろうけれど、朝までは随分と長い時間がある。あまりにも突然のことで、何も整理できていない頭をどうにかしたくて、僕は深夜の街の中を歩いた。


気づくと、僕は青山霊園にいた。なぜ、こんな道をわざわざ選んで歩いているんだろう。ぼんやりとした暗がりの中に伸びる現実感のない一本道に、がさがさと、黒い風が通り抜ける音がした。


人が亡くなった時には、黒い風が吹く。僕は小さい頃からそう思っていた。父方の祖母が亡くなった時も、母方の曽祖母と祖父が亡くなった時もそうだった。家の外に吹く、黒い風の音。亡くなった人の魂を拾って、どこかへ連れていってしまう音。


まただ。

また、大事な人が連れていかれてしまったんだ。


僕はそう思った。

がさがさ、がさがさ。

黒い風の音は、青山霊園の薄暗い一本道を撫でながら、不気味に鳴り続けていた。




▼伊勢




久しぶりに会ったKさんは、ひと回り小さくなってしまったように見えた。寝息一つ立てず、リビングルームに敷かれた布団に静かに横たわり、頭には白い包帯を巻いていた。眠っているようにも見えたけれど、頭に巻かれた包帯は、怪我を治すためのものとしては、あまりにも分厚過ぎた。


母親は焦燥し切った顔でリビングルームに座り込んでいた。目の焦点が定まっていない。今までに一度も見たことのない母親の消耗ぶりに、起きてしまったことの取り返しのつかなさを思い知った。


母親は自由奔放な性格で、世間体を気にする父親とは正反対の存在だった。僕が中学二年生の頃に、母親は父親と離婚した。父親は椎間板ヘルニアの医療ミスで、下半身不随になり、車椅子生活を送っていた。そんな父親の元に、自分と妹を残して出ていった母親のことを、僕は一時期憎んでさえいた。


やがて、母親はKさんと再婚した。最初、僕はKさんと会うことを嫌がった。しかし、会ってみるとすごく気さくな人で、僕はだんだんKさんに心を許していった。釣りが大好きで、ハーレーダビッドソンに乗る、ワイルドなおじさんだった。




そんなKさんが、亡くなった。正直なところ、まったく実感が湧かなかった。冷たくなって横たわるKさんを見ても、何かの間違いじゃないかと本気で思った。ふとした瞬間に起き上がり、一緒にフォアローゼズを飲もう、と言い出しそうに思えた。


リビングルームには、母親と、母親の妹である叔母、祖母、同じく東京から帰ってきた妹がいた。通夜は翌日にとり行われることになり、Kさんのお兄さん家族も尾鷲からやって来るということだった。




東京から帰ってきたばかりで、身体が鉛のように重かったので、とりあえず風呂を借りてシャワーを浴びることにした。脱衣室で服を脱いで洗濯物カゴに入れようとしたとき、奇妙なものが透明なポリ袋に詰められて置いてあることに気づいた。




それは、血で真っ赤に染まったKさんの作業服だった。




背筋が一瞬で凍ったように固まり、思わず僕はぎゅっと目を瞑った。できることなら、疲れた自分が見た幻か何かであってほしいと願った。しかし、目を開けてもそこには透明なポリ袋に詰められた真っ赤な作業服があった。


やっぱり、現実だ。

これは、現実なんだ。


僕はこのとき、Kさんが亡くなったのだという事実を身体の芯から理解した。




▼通夜と葬儀

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