言葉にできない怖さは彼が知っている。

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 世間体を気にしながら生きるほど窮屈で退屈なことはない。


 これからは私の経験、今後の努力は惜しまないでがむしゃらで生きていこう。


希薄になった家族関係に満足しないで行こう。


お帰りといえる環境を作りたい。できるかどうかわからないがチャレンジすると決めた。



花を見て、季節を感じ、鳥の声に気づく、残りの人生を心豊かに過ごす決心が私にはある。


都会で失われつつある生活を都会で取り戻してみたい。


 田舎は寒い、大阪と違う、景色はグッド、しかし寒い。今日もトンビが飛んでいる。

 海から近い、山から近い、大阪から連れてきている犬の「はなちゃん」は今日もご機嫌。温泉も気持ちいい。現実逃避するには、田舎は最高である。妻に感謝、あくせく生きてると疲れる。太陽を感じ、大地を感じ、何も考えないこの時が好き。


 火山の国、日本。近頃地震がやたら多いと感じる。南海地震や首都直下型地震に警戒。すこしでも、と考えて、熊本に泊まるが料理がすごくおいしかった。赤牛さいこうにおいしかった。早く元気になってほしい被災者の方々、いずれ起こりうる困難は誰にでも起こりうること。悲しみを乗り越えてまえをむいてあるくためには国の支援が必要。人のやさしさが必要。


 思い返せば、阪神淡路の震災で、私はプレハブを建てに行った。年配の方に話しかけられ、何時間も話を聞いた。


 大阪には、電気が止まった時のために、マキと火をたく用意を完備している。決して他人ごとではない。家族を守る、そのための準備はしておくほうが良いと私は考える。広い地域で強い揺れが生じた場合、治安は悪化し、避難所の暴徒化、2週間はどこからも助けが来ないとうわさされている。


 妻の母に、お米を頼んだ。車に積んで帰ろう。


 心配性の私に妻は、笑う。


 被災地へプレハブを建てに行った私にしか、わからないだろうな。



 先月、保護者対応のプリントが文部科学省から学校へ配布されていると友人に聞いた。災害時のあり方、等についてだ。どうも科学的根拠があるとしか考えられない。そこで、かぞくのため、何ができるか考えた。水、食料、火をおこす道具、米いるよねー。


 私の家族はそこで収まらない、ふとしたことから、長男がいつ、パニックになるかわからないからだ。おそらく、アニメの漫画みたいにすごくあわてるだろう、怖がるだろう。



 電気が付かないことも、寒いことも、ことばにできないこわさは彼しか知らない。大人だって怖いんだ。健常者だって怖いんだ、障がい者だって。



 避難場所では、大きな声を出す障がい者がつまはじきにされることがあると聞いた。そしてその家族も、車で過ごすしかなかった。家族にとって、安全は?人権は?日本なのに。


 車が真横に来ていても、自転車が近くにいても注意することができない長男にとって、何をどうしてあげたらよいのかわからない。


 でも、できることはみんなしてあげればいいかなと考える。



 ある日、保育園の旅行から、息子だけタクシーで帰ってきたことがある。顔を晴らして、瞼の上は包帯でぐるぐるにされていた。縫い傷からすごく腫れた顔になっていた。

 その眼は、悲しみでいっぱいだった。文句の一つでも言いたかったのだろう。


 教育のできない教育者に腹が立ったが、事故は起きるときに起きると自分に言い聞かせたことがあった。


 家族はいつもあなたの味方です。


 声にならない声を親はいつも聞いている。声にしないのはあなたたちが家族ではないからかな?

安心して過ごすことができる環境を願う。


 私の両親は早く死んだから、ボケることがない。若い時には悲しかったが、ボケた両親を心配することはない。お世話になった両親のお世話をするとき、やはり、思い出と、あきらめなどつらいことがあるだろうと私は考える。


 皆、なやみは持っている。とにかく、今日より明日、明日より明後日、少しでも幸せと思える瞬間があれば、それは「しあわせ」


 発達遅滞のある息子はとても純粋でキラキラした瞳を持っている。彼が、けがをしないように、病気にならないように、見守ってあげたい。


 本当は彼のために施設を作りたかった。


 国の助成金を使えば簡単だ、と、私の知り合いの社長は言うが、それも違う気がして。


 親が親らしくするには親の助言がいる。教えてもらいたかったことはたくさんある。しゃべりたいこともたくさんある。最近、親の気持ちが見え隠れする。

 昔、父親に出て行けと言われた時など、意味がわからなかったが、最近では少し理解できるような気がする。18歳の時、大学に行きたいと父に相談した。

「お前は頭悪いねんから、いかんでいい」と言われた時、自信のない、私もそう感じた。


両親が死んでから、32歳で大学に通い、37歳で、卒業式の後に両親の眠る墓に行き、卒業証書を墓石に見せたことを覚えている。


突然降り出した雨が、親父の涙に感じた。



神がかりなことはよく感じる。



 大晦日、予定よりも2日遅れで帰路を車で走った。最近では、家族みんなが疲れないようにフェリーで田舎を行き来している。団体部屋では相変わらず落ち着かない様子だった。


 知らない他のお客さんに近づいていこうとする息子に声をかける。悪気がないわけではないが、勘違いされることがあるからだ。性格は穏やかで優しい息子だが、急に止められたり、意思が伝わらない場合など、また、悲しい時には不満な顔になることがある。

 最近、母親には当たっているようだ。彼も当たっても大丈夫な人とそうでない人の見極めをしているように感じる。

 今後、彼が「他傷」に走らないように家庭ではいろいろ教えている。


 なんとか眠りについて朝が来た、時刻は6時56分だった。初日の出は7時6分、海の上、大阪に行きたいといった妹の息子と、長男と朝日を待つため甲板に出た。少し待つと、大人数のなか、朝日が昇った。それは何とも言えない夜明けだった。素晴らしい未来を予感させるようだった。その場にいた、見えにくそうな人に席を譲って場所を変えた。

 妻は、ガラス越しの部屋の中から移動する人々を客観的に見て、「おもしろい」といった。


朝日は綺麗すぎて、人を和ましていた。知らない人と会話した。「今年はいいこと起こりそうですね」私が言うと、「ほんまやなー」と、返事をくれた。娘は写真ばかり取っていた。とても楽しそうだった。



明けない夜はない。昔、母に教わった言葉を思い出した。


2017年、久しぶりにうちに帰った犬の花ちゃんの鳴き声が新鮮だ。


ゆっくりと、元旦の時が流れる。緩やかに、穏やかに、過ごせるように願う。




 親は子どもに、怒りすぎると子供の顔から笑顔が消える。でも、怒らないといけないときがある。子どもを育てるということはたやすくはない。


 問題は「伝わるか」だと思う。


 大人になってもよくあることが「あなたのために言っている」・・・・である。その言葉が果たして子どもたちの「ため」になっているかは相手の受け取り用でいくらでも解釈が変わる。

 言葉は難しい、伝えることの慎重さと確実さが必要だ。そして何よりも対峙するものとの信頼関係。


新しい年になったことをきっかけにして、少し、子どもに対してのアプローチを変えてみようと思う。子どもに何か変わったと気づかれないように慎重にだ。


 もしばれたのなら、「新しい年になったから」といってみようと思う。


 そうしよう。


 言葉にできない息子の求めていることが私にはわかる。妻にもわかる。しかし、息子の本心は私たちにはわからない。

 ある夜のこと、お土産でみたらし団子を買って帰った時、商品についていた透明のプラスチックスプーンも食べてしまった。(2,3ミリ)病院に連絡してどうすればよいか聞いてから息子は救急搬送。喉を抑えながら、苦しみ泣いていた。慌てた妻がパニック状態。職場での妻の愚痴を聞いていた時に、彼から目を離したばっかりに。


 結局、CTなどには映らない(透明なため)様子を見てくださいと2,3日たって安心した。


 便で出たのかすっかり治った様子になった。私たちは深く反省をした。




 今日は、長男を11歳の娘に犬の散歩に行ってくるように言った。田舎からきているいとこの子が犬の花ちゃんを見て、次女が発達障害の息子を見る計画だ。妻はすごく反対した。しかし、帰ってきた長男の顔は誇らしく感じた。


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