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17/2/11

第4話:11歳で母を自殺で亡くした若者が生きることを諦めなかった『からあげ』の話。

Image by Olia Gozha

自分のことは自分で

オソウシキが終わって少し落ち着いたころ、父は子ども3人に宣告した。

「これからは自分のことを自分でする。これが基本やで。」

「弟はまだ小さいから、お姉ちゃん、お兄ちゃんが面倒みてあげてな。」

父は、しばらく仕事を定時で切り上げていた。しかし、会社の人から「うちは慈善事業をしている訳ではない。」と言われたそうだ。家族みんなでご飯を食べることや出かけることは、一切なくなった。

朝は、朝食を食べずに弟と学校へ行く。

学校は、普段と変わらない授業が続く。

学校が終わると校庭で待つ弟を連れて家へ帰る。

家へ帰ると、何よりも先に風呂の掃除をする。

次に、洗濯機を回しながら夕ご飯をつくる。

夕ご飯を食べ終わると洗濯機から洗濯物を取り出す。

ベランダに干していた洗濯物を取り入れて、また洗濯物を干す。

ようやく風呂に入って、あがると、うとうと寝てしまう。

目覚めると、取り入れた洗濯物をたたんでいなかったことに気付く。

時計の針は12時を回ろうとしていた。『まだ宿題も終わってないや…』

そんな毎日が繰り返されるようになった。

それでも、僕はそれでよかった。

時間があると、母に対して色んな気持ちがわきあがってくる。

『あの時、態度がよくなかったからかな…』

疲れて寝てしまうと、母の死と向き合わずに済んだ。何もしていない時間が、一番恐かった。

でも、そんな状況に腹も立っていた。ある日、知り合いのおばさんは僕に話をしてくれた。

「神様は乗り越えられることしか与えへんねんで。やから、大丈夫。」

僕は、そんなおかしな話はないだろうと思いながら聞いていた。

『ホンマに神様がおるんやったら、なんでお母さんが死ななあかんかってん。教えて。』

後悔や自分を責める気持ち、そして、怒り。そんな気持ちと付き合うのは、しんどかった。

母の死から1年が経ち、僕は中学校へ入学した。弟は児童養護施設に預けられることになった。

友達と話したり、遊んだりもするけど、いつも『ひとりぼっち感』はつきまとった。

『ひとりぼっち感』は、お母さんがいない周りとの違いではなく、誰にも頼らず、独りで生きていかなければいけない気持ちが強かったからだ。とにかく”しっかり”しなければやっていけなかった。常に前を向いていなければ、母の死について考えてしまい、僕はその状況に耐えられなかった。

静かな『孤立』が襲いかかろうとしていた。僕は、涙を流さなくなった。

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