僕は発達障害「親父と息子」

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 年が明けていよいよ選挙も佳境を迎えていた。いやがらせは益々エスカレートしている見たいだ。何か手伝ってあげたいけど僕にはどうする事も出来ない。父さん母さん頑張れと言うしかない。父さんの疲れ方は僕が見ていてもちょっと尋常じゃないようだ。体力には相当自信のある父さんがあの様子という事は精神的に相当参ってるんじゃないかと思う。でも父さんは家ではいつも通り明るく過ごしている。

 個人演説会は何回か行われた様で何とあのジュンまでもが応援に行った。やはり家族だ。心配なんだ。何だか追い込まれて段々家族がまとまってきた様な気がした。不思議なもんだ。


  大学

 無事にS大学に入学しいよいよ大学生活のスタートだ。大学まではうちから1時間かからずに着く。近くてバッチリだ。うちから近くて少人数制。何だか最初からこの学校に入る宿命だった様な気がする。

 普通なら入学祝いだけど我が家はそれどころじゃない。ちょうど父さんの選挙の投票日が4月なのだ。 

 投票日がやってきた。即日開票。結果は落選。初めての経験だ。やっぱり最後は相当な嫌がらせと圧力があった様だ。さすがの父さんも相当落ち込んでいる。こんな父さんは見た事がない。そんな父さんを母さんは必死に支えていた。選挙が終わり1週間が経ち突然田舎からあーちゃんが来た。「父さんと母さんは2、3日出かけるそうだからいない間はあーちゃんがいるからね」両親が僕たちを置いて出かけるなんてこれまで一度もなかったし考えた事もなかった。嫌な予感がしてしょうがなかった。まさかこのまま僕らを置いていなくなるんじゃないかとさえ思った。「ねーあーちゃん。二人はどこに行ったの」「さすがに選挙で疲れちゃったから温泉でも行ってくるって言ってたよ。何。リョウ。心配してんの。大丈夫だよ。明後日には帰って来るから」

 予定通り二人は2泊3日で帰って来た。「ただいま。おうリョウ。元気だったか」「もちろん元気だよ。どこ行ってたの」「温泉。富士山が目の前に見える露天風呂がある温泉。良かったぞ。今度みんなで一緒に行こうな。又富士山でも登るか」「登らないよ」「やっぱりママと二人だけだとなんか落ち着かないや。おまえらが一緒じゃないとやっぱダメだな。それはそうとおまえちゃんとジムに行ってんのか」「ちゃんと行ってるよ」「そうか。俺も明日からジムに復帰するぞ。選挙で10ヶ月位休んでたから身体がすっかり鈍っちゃったよ。でもまだまだおまえには負けねーぞ。明日久々にスパーリングでもやるか」「うん。いいよ」

 父さんは大分元気が出てきた様に見える。でもまだまだ本調子じゃない。そりゃそうだ。 

 翌日一緒にジムに行った。父さんは柔軟体操をしてこれまで通り縄跳びからトレーニングを始めた。暫くすると。「リョウ。やっぱダメだ。身体が動かねー。今日はスパーリング中止だ。慣れるまでこりゃー1ヶ月位かかるな。参ったな。はっはっはー」そりゃそうだ。選挙でいくら歩いていたって言ってもボクシングは別物だ。それにもう歳だしきっと今までの様には身体は動かないと思う。

 父さんが落選して我が家は大変な事になった。まともな収入が無いのだ。元々3つ会社をやっていたが1つは倒産。2つは既に人に任せているので今更父さんがしゃしゃり出る訳にも行かない。当然僕とジュンは奨学金を受ける事になった。それでも生活は苦しい。父さんはこれまでの人脈を駆使し収入源を探したがこれもやはり選挙の負け組には世間は厳しい。逆に人は父さんからどんどん離れて行ったみたいだ。まさに手の平返しだ。選挙中よりも落選した選挙後の方が誹謗中傷はすごかった。近所の目もなんだかよそよそしい。でも父さんは何を言われても耐えていた。「大丈夫。今や人生90年の時代だ。俺には後40年弱ある。絶対に復活するから見てろ。必ず見返してやる。それに人生うまくいかないのが当たり前。うまくいくのが珍しい。そう考えればリョウが大学に合格しただけでも良しとしなくちゃな」自らを鼓舞していた。本当にいつも前向きだ。実際は相当辛いはずだ。悔しいはずだ。そう言う父さんを見ると僕も頑張ろうと思う。負けてられない。

 トレーニングを再開して1ヶ月位経ち僕は「父さん。どう。そろそろスパーリングでもやる」「そうだな大分動けるようになってきたからな。そろそろやるか。2ラウンドな」「うん。いいよ。じゃ次のラウンドからね」「カーン」ゴングが鳴った。「シュッシュッ」ジャブだ。僕はフットワークを使いながら牽制した。父さんはあまり動かない。僕は懐に飛び込んだ。「ガツン」アッパーを貰った。ちきしょう。父さんが前に出て来た。「ドスン」パンチが重い。こんなの貰ったらやばい。動き回る。あっという間に2ラウンドが終わった。「リョウ。まだまだだな。全然ダメ。そんなんじゃ当分俺には勝てねーよ」

クソッ。体重差がありすぎる。多分30㎏位違うんじゃないかな。でも相手は50過ぎの親父だ。いい加減何とかしないとな。

 僕はトレーニングに明け暮れた。6月のある日トレーナーの成川さんから「リョウ。おまえも何か目標を持ってトレーニングしろよ。どうだプロテストでも受けて見ないか」びっくりした。考えてもなかった。でも即答した「はい。頑張ってみます」

 「パパ。実は今日トレーナーからプロテスト受けて見ないかって言われた」「本当かよ」「うん。やってみようと思う」「マジか」

 翌日。正式に「成川さん。プロテスト受けて見ようと思います。よろしくお願いします」「そうかわかった。でもこのままじゃ受かんねーぞ。びしびし鍛えるからな。今まではお客さんだったけど今日からは違うぞ。気合い入れてけよ」「返事は」「はい」「声が小さい。金玉付いてんのか」「ハイ」いきなり人が変わった。

 「成川さん。リョウにプロテストなんて受かりますかね」「今のままじゃ全然ダメだよね」「そうですよね」「でもやる気のない奴に無理やりやらせるより全然いいよね。やる気があれば何とかなるんじゃないかな」「あいつは決めた事は結構きちんとやるからびしばし鍛えて下さい。よろしくお願いします」 

 翌日7月1日から父さんと早速朝のランニングが始まった。家の近所の公園の周りを10周ダッシュ&スローだ。それが終わると腿上げダッシュ30回3セット。腿上げジャンプ30回。これが朝の日課だ。学校が終わると夕方6時から今度はジムでのトレーニングだ。僕は力がないのでまずは筋トレだ。上半身の強化と下半身の強化だ。腕立て。腹筋。背筋。サーキットトレーニング。その後シャドー。「シュッシュッ」「もっとパンチを早く打て。引きを速く。遅い。体を左右に振れ。ちんたらやってんじゃねーよ」サンドバック。「もっと強く打て。おばちゃんじゃねーんだからパスパス打ってんじゃねーよ。もっと速く。腰入れろ。ボディは左足に体重をしっかり乗せて打つんだよ。このへたくそ。引きを速く。パンチを切れ」ミット打ち。「お願いします」「声が小せーんだよ。金玉付いてんのか」「お願いします」「はい。ジャブ」「パンッ」「弱い。もっと強く。遅せーんだよ。はい。ワンツー」「パッパーン」「弱い。腰が入ってねーよ」「バチン」痛っ。「ガードはどうした。ぼけっとしてっとひっぱたくぞ」「はい。ボディ」「ドスン」「違う。左足にしっかり体重を乗せて打つんだよ。何回言ったらわかんだ。このばか」パンチングボール。「タタンタタンタタンタタン」「音が小さい。弱えーんだよ。もっと強く打て。相手をぶっ殺すつもりで打て。ボクシングはそう言うスポーツだ」ロープ。「タンタンタンタン」「もっと色んな飛び方しろ。腿上げろ。もっと体振れ。じっとしてたらパンチもらうぞ。常に左右に体振れ」「バシン」「痛っ。

ちきしょう」ガードが下がると容赦なく叩かれる。「避けたら入ってボディ打て。何ちんたらやってんだ」凡そ1時間半のトレーニングだ。「よーし上がれ。トレーニングは長くちんたらやっててもしょうがねーんだ。パッパとテキパキやらなきゃダメだ」ジムでは成川さんがトレーナー。うちでは父さんがトレーナーだ。うちに戻るとボディの訓練だ。父さんが容赦なくボディを打つ。それをひたすら耐える。「ふん」「ドスン」「ふん」「ドスン」この後は横になり80㎏の父さんに腹筋を踏まれる。これが僕の1日のトレーニングだ。僕は自分で言うのもなんだけど一度決めると結構集中して取り組む。これも発達障害の特徴って言う人もいるけどこれはプラス要因だと思う。

 ジムには会長、成川トレーナーの他に高木トレーナー、木滝トレーナーがいる。会長、成川トレーナーは元日本チャンピオン。異色は高木トレーナーだ。日本初の女子プロボクサーだ。年齢は結構行ってる。でも何たってあのラスベガスで試合をした事がある世界5位の世界ランカーだ。日本人でラスベガスで試合をした事のあるボクサーは現在でもほとんどいない。当時日本には女子プロは高木さんしかいなかったので単身アメリカに渡り試合をしていたそうだ。相当な変わりもんだ。今でこそタレントが女子プロボクサーになったりして話題になり段々人気が出てきたけど高木さんが若い当時だ。さすがに年齢は聞けないがゆうに60歳は超えている。40年以上前の話だ。父さんがよく「高木さんは相当な変わりもんだよね。その当時一人でアメリカ行ってボクシングをしようとなんて普通思わないよね。しかも女性でね」「うん。そう。あたし変わってるの。とにかくボクシングが好きだったから」「はーたいしたもんだわ」

 女性で年齢も行っているのでスピードは無いが高木さんはさすがに基本がしっかりしている。よく素人の男性は女子プロゴルファーの真似をした方が良いと言うがボクシングも最初はそうかも知れない。ダッキング、ウィービング等色々教わった。ある時父さんと防御の練習をしていた時だ「おまえ。全然上達しねーな。そんなにパンチもらってたら頭ばかになるぞ。常に体振ってないと避けられるわけねーだろう。ちょっとは考えろ」高木さんがリングに上がってきた。「お父さんちょっとパンチ出して。リョウ君。ちゃんと見てて」「シュッ。シュッ」父さんがジャブを出した。当たらない。「さすが高木さんうまいねー」「いいリョウ君。まずは自分の距離をきちんと取りなさい。あなたはいつもお父さんのパンチの射程距離内にいるのよ。それじゃあ避けられるはずないよ。お父さんだって普通の素人じゃないんだから。しっかりと距離を保ってパンチをかわしたらさっと入ってパンチを打つの。わかった」「はい」「よし。じゃー次のラウンド行くぞ」「カーン」「シュッ。シュッシュッ」パンチがさっきより見える。ここだ。ダッキング。「ダン。ドスン」左ボディ。「パン。パッパン」ワンツー。かわせる。ウィービング。「シュッ。ドン」左フック。「カーン」ラウンド終了。「ふー。最後良かったな。大分わかってきたか」「はい」「ちゃんと高木さんにお礼言っとけよ」

 8月に入って久しぶりに父さんとスパーリングをやった。この年の8月は異常に暑かったのでさすがの父さんもばて気味だ。密かにそろそろ勝てるかなと心の中で思っていた。しかしやはり父さんは強い。体重差が30㎏あるけどそんなものは言い訳にはならない。なんたって僕はバリバリの18歳。父さんは52歳の中高年だ。負けるわけにはいかない。「おまえ。まだまだだな。俺に勝てないようじゃプロテストなんか受かんねーぞ。2ラウンド限定ならまだ負けねーな。大体パンチがへなちょこなんだよ。もっと練習の時見たいにビシッと打てよ。体も全然左右に振れてねーよ。何回言ったらわかんだ。動きが固すぎる。ぜんまい仕掛けのおもちゃじゃねーんだからよ。もしかしておまえちゃんと出来てると思ってんの」「うん」「嘘だろう。まるっきり出来てないよ。本当に出来てると思ってんだ。かー。明日ビデオを撮ってやるよ。どんだけ無様な格好してっかわかるよ」ちきしょう。来月中には絶対ぶっとばしてやる。

 翌日父さんが僕のスパーリングをビデオで撮った。「おうリョウ。ちょっと見てみろ」愕然とした。自分がイメージしていたものと全く違う。そこに写っているのはまさにぜんまい仕掛けのおもちゃだ。ぜんまい仕掛け自体わからないけどきっとこんななんだろう。昔から運動は苦手だけどこんなに酷いとは思わなかった。リズム感0だ。

 この日から毎日ビデオで自分の姿を確認した。やっぱり自分の動きはなかなか自分で見る事は出来ないのでこれは非常に効果的だった。

 9月に入ると朝のランニングの回数が10周から15周に増えた。10月からは20周にするそうだ。兎に角スタミナをつけなければならない。

 9月6日僕は19歳になった。プロテストの予定は11月だ。

「リョウ。ちょっとおいで」「何。ママ」「何じゃないわよ。あなた教習所どうなってんの」「どうってちゃんと行ってるよ」実は3月から自動車教習所に通っている。「あなたもう半年経つのよ。11月が期限切れなんだからね。大丈夫なの」「大丈夫だよ」「ちょっと教本見せて。ちょっとあんたまだ1段階終わってやっと仮免じゃない。仮免の学科は受かったの」「いや。この間受けたけどダメだった」「これ何。1段階よりこれからの方が長いじゃない。ここまで半年掛かって残り3ヶ月じゃ無理じゃない。どうするのよ。今までのお金全てパーじゃない。うちが今どういう状況かわかってんの。どうすんのよ」「ねーパパ。どうしよう。絶対間に合わないよ。何とかしてよ」「何とかしてよって。何処の教習所行ってんだよ」「U自動車学校」「あーあそこの社長知ってるわ」「えーじゃーちょっと相談してみてよ」「とりあえず電話してみるわ」僕は仮免まで取れば期限はなくなるものとばかり思っていた。大失敗だ。結構こういうへまはやる。「おい。リョウ。これから教習所行くぞ。学校のスケジュールわかる物持ってこい。何とか間に合うようにスケジュール組んでもらうから」教習所に行き期限内で終了するスケジュールを組んでもらったが「おまえさ。11月プロテストもあるし何やってんだよ。よっぽどしっかりやらないと両方ダメんなるぞ。本当頼むよ。大体大学生にもなって教習所に親父と行くなんてみっともなくてしょうがねーよ。しっかりしてくれよ。学校は進級できるんだろうな。まったくよ。今日はジムでボコボコにしてやるよ。覚悟しとけ」結局仮免の学科試験は4回落っこちて5回目でやっと受かった。しかも5回目の前日に父さんと試験の特訓をやってやっと受かった始末だ。やっぱり試験は苦手だ。

 その日ジムに行って父さんとスパーリングをした。でもなんとなくこれまでと違ってパンチが見える。大分避けられるようになってきた。「おまえ。もっと手ー出せよ。手数が少ないとテスト受かんねーぞ」「パン。パパッン」「ふー大分良くなって来たけど持っと手数出さないとダメだ。テストの基本はワンツーだからな。それにまだまだ俺に勝てないようじゃダメだ。テストはたったの2ラウンドなんだからガンガン行け」プロテストに予想外の教習所のピンチが加わって9月の後半からは結構しんどかった。そしてこの頃から段々父さんは僕とスパーリングをやらなくなった。

 10月に入り早朝ランニングが15周から20周になった。20周だと約5㎞だ。さすがにこのダッシュ&スローは結構堪える。だけど自分でも大分スタミナがついてきたのがわかる。10月に入ると父さんは全く僕とスパーリングをしなくなった。さすがにしんどくなってきたみたいだ。それにやはり少し体重差がありすぎる。テストの相手を考えれば

やはり同クラスのスピードに慣れなければならない。僕は50㎏位だからフライ級だ。フライ級はスピードが命だ。実践でこのスピードに慣れなければならない。ジムにはバンタム級クラスのプロが数人いる。僕は彼らとのスパーリングを行った。さすがにプロだけあってスピードもパワーも一枚上手だ。いつも簡単にあしらわれてしまう。

 10月の後半。何とか教習所を卒業した。これでトレーニングに集中出来る。朝は父さんとのトレーニングだがこの頃なんか父さんの顔色が悪いような気がする。「パパ。なんか顔色悪いよ」「そうか。ここのところちょっと飲みすぎかもな。プロテストもいよいよラストスパートだから少し控えるか」「そうだね」20周のダッシュ&スローにも大分慣れた。筋力も随分ついた気がする。後はスパーリングを増やして実践に備えるだけだ。他のジムにも遠征してスパーリングを行った。 

 10月末。夜が明けるのが大分遅くなった。朝6時。なんとなく周りは薄暗い。いつもの様に父さんとトレーニングをする為に外に出た。「うっ」いきなり父さんがうずくまり苦しそうにしている。「パパ。どうしたの。ママ大変だ。パパが」「あなたどうしたの。ねー」「ダメだ。真っ青だ。ママ。救急車」直ぐに救急車が来た。心筋梗塞だ。元々父さんは飲みすぎでたまに不整脈があって心臓は唯一の弱点だった。選挙等で精神的にも参っていたと思う。敗戦後の方が誹謗中傷も露骨になった様で未だに色んな事を言われていた様だ。勝てば官軍負ければ賊軍だ。そこにきて僕とのトレーニングだ。大分参っていたんだと思う。なんてったって52歳が19歳に付き合うわけだから大変なもんだ。集中治療室に運び込まれた。「神様。絶対にパパを助けて下さい。まだまだパパとやりたい事が一杯あります。お願いします」母さんもジュンもいる。みんな父さんが大好きだ。大丈夫。父さんはこんなもんじゃ死にはしない。

 処置が早かったので何とか一命は取り止めた。後遺症も残らないだろうと言う話だ。「リョウ。悪いな。当分トレーニングは付き合えないわ」「大丈夫だよ。もうやる事は決まってるから一人で出来るよ」「そうか。後は成川さん達の言う事をしっかり聞いてやれよ」「うん。わかってるから早く元気になってよ」「大丈夫だ。直ぐ元気になって又、スパーリングやろうぜ。でもさすがにもう無理か。なんてったって受かればプロボクサーだからな。俺に負けるプロはいねーわな」「まっ軽くあしらってやるよ」「言うじゃねーかばかやろう。おまえは正直運動神経も悪い。ボクシングセンスもあるとは思えない。でもな続ける才能はある。続ける事もすごい才能だ。どんガメでも続けていれば必ず追いつくから焦らず腐らずコツコツやれ」「うん。わかった」

 父さんの為にも絶対に受かろう。考えてみれば父さんがいなければ今の僕はない。ちびでまともに会話もできなかったいじめられっ子が気づけば全くいじめられなくなった。いじめられなくなったと言うよりも最後はいじめられっ子のヒーローみたいだった。これも父さんがいつも僕を誘って鍛えてくれたおかげだ。最初はジョギングだった。中1の時母さんの実家まで走って行ったのがきっかけで自信がついた。それからはボクシングだ。今思えば父さんはやっぱり年々動けなくなって行ったと思う。トレーナーが歳の割に体力があるって言ってたけどやっぱり歳は歳だ。まーこの際ゆっくり休んで貰おう。

 11月。いよいよプロテストの月だ。トレーニングも熱を帯びてきた。「おらー。ちんたらちんたらやってんじゃねーぞ。休むなこのぼけ」成川さんは絶好調だ。「リョウ。サンドバッグ何回やった」「5回です。よしミットやるぞ」「お願いします」「声が小さい」「お願いします」「はいジャブ」「バチン」「はいワンツー」「パッパーン」「はいジャブ」「バチン」「遅い。弱い。もっと引きを速く。そんなんじゃテスト受かんねーぞ。親父に笑われるぞ。はいワンツーフックストレート。よーし。今日はシャドー軽くやってあがれ。だらだら長くトレーニングしててもしょうがねー。メリハリを持ってビシッビシとやんねーとな。あとリョウ。明日スパーリング行くぞ。ジムを5時に出るからそれまでに来い」「わかりました」「声が小せーんだよ」「はい。わかりました」

 テストは11月26日だ。あと3週間だ。みっちりとスパーリングをしないと受からない。

 「パパ。調子どう」「おう。リョウか。大分いいぞ。おまえのテストまでには退院できるんじゃないか」「本当に。じゃー見に来てよ」「あーもちろん行くよ。ところでちゃんとトレーニングしてんのか。俺がいないからって手ー抜いてないか」「そんな事してないよ。ちゃんとやってるよ。明日もスパーリングに行くよ」「そうか。まー顔見ればちゃんとやってるかどうかわかるな。段々いい面構えになってきたよ。あと睡眠はしっかり取れよ。休むのもトレーニングのうちだからな」「うん。わかってるよ」

 あっという間に11月26日テストの日がやってきた。まずは筆記試験。これで落ちたやつは聞いた事ないと成川さんが言ってたからさすがの僕でも大丈夫だろう。でもなんてったって全国1だからな。無事に筆記試験が終わりいよいよ実技。スパーリングだ。「いいかリョウ。兎に角ワンツーで手数出せ。手数が少ないやつは受かんねーからな」「わかりました」「声が小せー」「はい。わかりました」「カーン」第1ラウンドが始まった。相手は僕よりも背が小さい。ちびだった僕は今は身長170㎝。フライ級では背が高い方だ。左右に体を振りながら前に出た。「パチンパチン」ジャブ。「パッパーン。パッパーン」ワンツー。「カーン」1ラウンド終了。「よし。いいぞ。どうだパチン当たるか」「はい。当たると思います」「よし。じゃー思い切って踏み込んでぶっ倒す気でやってこい。どうせたったの2ラウンド。このラウンドで終わりだ。思い切って行け」「はい」「カーン」第2ラウンドが始まった。「パパーン。パンパン。ズン。パッパーン」コンビネーションだ。当たる。左足に体重を乗せてボディ。「ズドン」返しのフック。「バチン」相手も必死で打ち返して来た。ダッキング。ウィービング。今日はパンチが良く見える。ダッキングで避けて左ボディ。「ドスン」よし。もろに入った。ここはレバーだから結構きく。自分でやられてきいた場所は忘れない。チャンスだ。「カーン」ここでゴングが鳴った。終わった。とりあえず精一杯やった。テストの結果は明日発表だ。

 「よう。リョウ。お疲れさん。今日はなかなか良かったぞ。結果が楽しみだな」「うん。ありがとう。やれるだけやったよ。ところでパパ調子はどう」「あーもうすっかりいい。そろそろジムにも復帰しようかと思ってるよ」「又、あんまり無理しないように」「あっ。成川さん。お世話になりました。ありがとうございました」「いやーリョウ普段から頑張ってましたよ。明日の結果が楽しみですね」「そうですね。無事受かったら一杯行きましょう」「いいですねー」「それじゃー今日はこれで失礼します。リョウ。飯食って帰ろ。何食うか。焼肉にするか」「うん。いいねー。焼肉にしよう」

 「今日は相手にも恵まれたな」「そうだね。いつもスパーリングしてた相手にタイプが似てた」「まー明日発表だけどどうなるかわかんねーけどな。もし受かったらプロボクサーか。おまえが。信じらんねーな。あのいじめられっ子のちびがねー」「もうちびじゃないよ。父さんよりは小さいけど。でもまだ諦めてないよ。まだまだ伸びると思ってるからね」「いやーもう無理だな。まーいーやとっと食って帰ろう。ママたち待ってるぞ」「ところでパパ。もうお酒飲んでるの」「当たり前だろう。さすがに入院した日は飲まなかったけど次の日からちびっとづつな。今や絶好調だ。アッハッハ」「ダメだこりゃ」

 

  親父

 

   平成27年夏

 

 「おーいリョウ。お前毎日練習に来るのはいいけど何か目標を持って練習した方がいいんじゃねーか?プロテストでも受けてみろよ。目標を持って練習すると違うぞ」

 この成川トレーナーの一言がきっかけだった。リョウは当時18歳。大学1年生だ。体は今でこそ身長は170cmで決して小さい方ではないが体重はと言うと50kgあるかないかのガリガリ。中学校3年生まではいつもクラスで一番のチビだった。そして人とのコミュニケーションを取るのが大の苦手だった。幼稚園の頃あまりにも会話をしないリョウを心配し妻と一緒に色んな病院・施設でリョウを検査し言語の発達障害と言う診断を受けていた。今でこそ発達障害という言葉は世間一般的になってきたが当時はまだまだ社会の認知度は低く親の躾が悪いだのと揶揄する人間が多かった頃だ。残念ながら未だにそういう無知な大人、人の触れられたくない部分に無神経に足を突っ込んでくる輩も多い。知識もないのに自分が正しいと思っている方々だ。子育てはどんな子も大変だ。だが人の子供に対してあたかもわかった風な気で偉そうに講釈を言うのは良くない。家族しかわからない苦労と言うのはどんな家にもあるのだから。

 さて、もちろんそんな調子だからリョウは団体行動は苦手。団体スポーツもダメ。当然のごとく小学校時代はいじめに合う。お決まりのパターンだ。もちろんスポーツはからっきし。そんなリョウに成川トレーナーはプロテストを目標にしろと提案したのだ。ちなみにボクシングは数多あるスポーツの中でも最も運動神経を必要とする競技と言われている。動体視力・反射神経・スピード・戦略・etc。とてもこれまでのリョウの生い立ちを考えれば無理難題だ。ところが「はい。やってみます」何とリョウが言ったそうだ。家に帰ると私に「ねーパパ」「あー何だ」「今日さー成川さんからプロテスト受けてみろって言われた」「はあーお前何言ってんだ。それでどうした」「うん。やってみようかなと思ってる」「マジか。お前ボクシングは殴り合いのスポーツだよ。相手をぶっ飛ばす競技だよ。お前に出来んのか」「うん。まーでも受けるだけ受けてみるよ」「受けるのは勝手だけどまずは受けられるだけの実力をつけなきゃ受けさせてももらえないよ。わかってんの」「わかってる」「そうか。まーじゃー頑張ってみろよ。ママ。リョウがプロテスト受けるんだって」「私は知りません」「あっそう。とにかくリョウ。やるからには一生懸命やれ。俺も出来るだけ付き合うから」

 どこの家庭でもそうだが大抵母親は息子がボクシングをすること自体いい顔をしない。そりゃそうだ自分がお腹を痛めて産んだ子が殴られる姿は見たいはずがない。

 元々リョウがボクシングを始めたきっかけは私がジムに通っていてそれについて来たのが始まりだ。

 「リョウ。練習メニュー考えたぞ」

○ 朝6時起床

○ 6時半からジョギング5km

   50mダッシュ10本

   ラダートレーニング

   ダンベルを持ってのシャドー

   その他諸々

○ 学校から帰宅後ジムでのトレーニング


「これをテストまでとりあえず続けよう。ところで目標はいつ受けるんだ」「とりあえず今年の11月を目標にしろって言われた」「11月か。今7月だから4ヶ月か。ちょっとかったるいかな。でも別に一回で受からなくてもいいんだろう」「うん」「よし。とりあえずこれで頑張ろう。早速明日からやるぞ。俺も出来るだけ付き合うからな」「うん。わかった」

 そもそもリョウは小さい頃からまともに運動をしたことがないので基礎体力が中学生低学年並だ。唯一父親とジョギングをしていたので持久力だけは人並み程度はあった。

 そしてとにかくリョウと言う子は決めた事は一生懸命やる。上手い下手は別にしてだが真面目に続ける事に関しては人並み以上だ。これはある種発達障害の子の特徴の一つかもしれない。言われた事はやるが応用が全くきかない。不器用もいいとこだ。そんなリョウが事もあろうに運動能力を頂点に使うようなスポーツのボクシングプロテストを受けると言うのだから大変だ。並大抵の努力では追っつかない。まずは基礎体力のトレーニングだ。何しろ筋力がない。パンチ力は小学生かと思うほど弱い。腹筋・背筋・腕立て・スクワットはもちろん筋トレはトレーニングの中でも欠かせない一つだ。私も必死にトレーニングに付き合った。

 そもそもリョウが発達障害と診断されてからは兎に角リョウと過ごす時間を多く取るように勤めていた。それは当時相談をした持田先生。(教育関係の本を出版していた大学の先生)から「兎に角お父さんと過ごす時間を多くしなさい」とアドバイスを受けた為だ。私は時間を見つけてはリョウと過ごした。二人でキャンプに行ったりジョギングをしたり色々だ。中学1年生の夏休みには妻の実家まで二人でジョギングで行ったりもした。妻の実家までは家から120kmもある。当然泊まりながらだがリョウは最後まで走り通した。そんな経験が功を奏したのかそれまでのいじめもいつの間にか克服していた。

 私はこれまで地元で市会議員をやっていたがこの年の4月の選挙で県会議員に立候補した。しかし落選しこの時は浪人中で比較的時間の調整もできる状況であった。落選から3ヶ月。大分元気にはなったがまだまだ敗戦のショックは完璧には拭えていなかった。選挙とは勝つと負けるとでは大違いだ。これまで近づいていた人間のほとんどが掌を返すごとく素知らぬふりをする。誹謗中傷も物凄い。そんな私を見てリョウもプロテスト受験を決意したのかもしれない。少しでも私を元気づかせようと。

 トレーニングは日曜日を除き連日行われた。リョウは真面目に一生懸命取り組んだ。しかし元来優しい性格だ。ボクシングは殴り合いのスポーツ。優しい子には不向きもいいとこだ。

 「リョウ。お前には闘争心がないんだよ。闘争心が。ボクシングは相手をぶっ倒さなけりゃダメなんだからよ。常に相手をぶっ倒してやろうと思わなきゃダメだ」成川が言う。

 リョウもそんな事は百も承知だろうが如何せんこれまでがこれまでだから体が言うことをきかないのだろう。私もトレーナーとの練習を見ていて頭を抱えていた。私はリョウとは違い勝気な性格だがやはり母親似なのだろう。祖父母からは天使みたいな子だと言われている程だ。「こんなんで大丈夫か」私は不安になっていた。

 この年の夏は特に暑く記録的な暑さが続いた。ジム内は真夏でもエアコンは使わない。暑さと男の汗臭さで慣れた人間でなければとてもジムには居られない。ものすごい匂いだ。トレーニングで使ったウェアーなどはむせる程の匂いだ。

 「ちょっとパパとリョウ。使ったウェアー洗濯機に入れないでよ。他の洗濯物に匂いが移っちゃうよ。それにしても物凄い匂いね」 

 妻が呆れるほどだ。ボクシングの練習は本番に合わせて1R3分を繰り返す。インターバルは通常1分だが矢沢ジムでは30秒だ。まずは柔軟体操、縄跳び2R、リングサイドステップ2R、ベンチシャドー2R、シャドーボクシング3R、サンドバッグ5R、ミット2R、シングル2R、ウィービング1R、腕立て、腹筋、背筋、スクワット等の筋トレ、時にマスボクシング2R、スパーリング2Rを行う。これがリョウの通常のトレーニングだ。21R+筋トレだ。経験した方ならわかると思うが3分間動き続けるのがどれほどの苦痛か。経験したことのない方は是非一度経験していただきたいと思う。それを21R+筋トレだからどれ程の汗の量か考えただけでもげんなりしてくる。私もリョウ程ではないが12Rはコンスタントにこなしていた。こう言った連中がジムでトレーニングしているのだからその匂いと言ったら想像しただけでも悍ましい。又、その後のウェアーだ。妻が呆れるのも無理はない。

 私は無類の酒好きだ。練習後の一杯が楽しみでしょうがない。特に真夏のトレーニングの後の生ビールはたまらない。「かーうまい。トレーニングの後のこの一杯がたまんねーな。この為に練習してる様なもんだ。なんつーかなカラカラに乾いたスポンジが水を吸い込んで生き返るみたいなそんな感じかな。まースポンジの気持ちはわかんないけどな。アッハッハ」「しかし高杉君もよくボクシング続くねー。すごいハードでしょう」

 言い忘れたがリョウの名字は高杉。高杉リョウだ。私の名前は晋作。どこかで聞いた様な名前だが高杉晋作だ。

 「いやーマスターいい運動だよ。ハードはハードだけど普通のスポーツジムなんかよりは全然面白いね。マスターもやれば、痩せるよ」「やりたいのは山々だけど痩せる前に死んじゃうよ」「そうだ。今度うちのリョウの奴がプロテスト受けるって言うんだよ」「えーあのちびっ子が」「そうそう。でももうチビではないけどガリガリだよ」「へー受ける気になっただけでも大したもんだ」「まーねっ。そんな事もあって親父としては頑張っちゃってる訳だよこれが」「なるほどねー。兎に角頑張れや」「押忍」

 この店には10年以上前から通っているジムの近所の焼き鳥屋太郎だ。店の客も常連客がほとんどだ。

 「なんだ高杉君の息子、プロテスト受けるんだ。実は俺もライセンス昔取ったんだよ」「マジですか丸田さん」「あーまー取っただけだけどな」「へーだから喧嘩強かったんだ」

 この丸田は高杉の六つ上の中学の先輩だ。数年前酔った帰りに自転車で転倒し車2台に轢かれ死の淵をさ迷い奇跡的に復活した男だ。

 「でも先輩。よくそこまで良くなりましたね。もう松葉杖も付いてないですもんね。驚きますよ」「まーな。俺もそう思うよ」「やっぱり若い頃体を鍛えていたからじゃないですか」「あー絶対それはあるよな」「俺は未だに鍛えてますけどね。まーリョウが無事にプロになったら応援してくださいよ」「あーもちろんだ」

 太郎はこう言った地元の常連客の集まりの場所だ。

 朝練から始まりジムでの真夏のトレーニングが続いた。

 「だいぶスタミナはついてきたな。でもまだまだ力強さが足りないな。ちゃんと筋トレやってんのか」「はい。やってます」「ただやればいいってもんじゃねーぞ。ちょっと腕立てやってみろ」「1、2、3」「なんだその腕立ては、そんなんじゃ力つかねーよ。もっと深く。ケツを落とすな。そんなやり方してんじゃ力つくわけねーよ。もっとしっかりやれ」成川トレーナーが吠える。リョウの練習時間帯には会長はほとんどジムにはいないので成川の教えが全てだ。リョウも成川を信頼し慕っている。

 地獄の暑さの8月も終わり9月に入ったがまだまだ連日30度を超える残暑厳しい日が続いた。

 「しかし今年は本当暑いなー。生ビールが上手くてしょうがないわ。どうマスターも一杯」「サンキュー。ありがとう」今日も練習後の一杯だ。「どうだい息子は」「うーん。やっぱり難しいな。上手くはなってるけど基本的に戦い方が全然わかってないよね。まともに運動もしたことがないから相手の裏をかくみたいな事もできないしフェイントももちろんダメだし、何よりやっぱり喧嘩もしたことないからどうやって戦っていいか全くわからないんだな。教えたことはやるんだけど全く応用が効かないんだよ。まー継続は力なりと言うからいつか変わる時がくると思うけどね」「そうだなーまー焦る事はねーよ」「わかってるんだけどね。この間入ったような高校生より力強さがないんだよなぁ。後これは難しいけど自分の距離がまだまだ掴めてないよね。この距離なら相手に届く。この距離なら相手のパンチは届かない。そう言うのがわかってないよね。まーこんなの全部できたらチャンピオンになっちゃうけどね。でもどっちにしてもまだまだだよ」「へいいらっしゃい」「あっ先輩どうも」丸太だ。「何だよ高杉君。又、ジムかよ。よくやるなー」「いやー飲むために行ってるようなもんですよ。練習後の生は最高っすよ。まさに至福の時ですよ」「全く飲みすぎんなよ」「そのままお返しします」「どうだ息子は頑張ってっか」「頑張ってますよ。これからこれから」「昔ちょこっとボクシングを齧ってたおじさんが頑張れって言ってたって言っといてくれ」「ありがとうございます。じゃー今日も飲みますか」ここは私のストレス発散の場でもある。

 本格的に練習を始め2ヶ月になるがスタミナがついた以外はあまり進歩がないのが実情だ。

 「真面目で素直でいい子なんだけどな。言われた事はきちんとやるし、やっぱりこれまでまともな運動経験がないのは痛いよな。サッカーと空手はやらしたけど本人は気づいてなかったと思うけどただのお客さん状態だったからな」

 暑さ厳しい残暑の9月もこれまで通りのトレーニングが続いた。進歩にウルトラCはない。地道なトレーニングを愚直にこなしていくしか成長はない。まさに継続は力なりを信じ、努力は報われると信じ。リョウはトレーニングに明け暮れた。


   平成27年秋


 暑い夏が終わり10月になるといよいよ実践練習。スパーリングだ。プロテストの内容は筆記試験とスパーリング2Rだ。この筆記試験は形式的なもので落ちるものなどいない。ボクサーにはまともに字を書けないものもいる。勘違いしないで頂きたいがごく稀にと言う意味だ。ボクサーに能書きは不要だ。強いものがのし上がるだけだ。だから筆記試験の勉強などはしない。スパーリング、実践あるのみだ。だいだい筆記試験の問題と答えは公表されジムに貼ってある。それを見ておけば落ちようがない。

 ジムにはリョウに合うウェイトの人間はほとんどいない。唯一いるとすれば女子のプロボクサーだ。それでも体重はリョウの方が軽い。必然的に出稽古に出かけなければならない。テストまであと1月半。週に一回の出稽古。それ以外はジムでトレーナー相手にマスボクシングだ。トレーナーと言っても成川ではない。若手のプロのトレーナーだ。誰も相手がいない時は私が付き合う。「おいリョウ。まだまだだな。俺に勝てなきゃプロテストなんか受かんねーぞ」「わかってるよ」私も伊達に6年ボクシングはやっていない。その辺の小僧には負ける気がしない。だがリョウは腐ってもプロ志望だ。50過ぎに勝てない様ではとても合格はしない。

 リョウは私とやる時は正直なかなかいい。しかし他人とやると従来の優しさが出てしまうのかなかなかパンチを当てる事が出来ない。

 会長の矢沢にはいつも「リョウ。パンチ当てろよ。そんなんじゃ受かんねーよ」と怒鳴られている。この会長の矢沢は元フェザー級の日本チャンピオンで15回防衛記録を持つ男だ。この記録は未だに破られていない。ちなみにトレーナーの成川は元日本ライト級チャンピオンでトレーナーとして2人の世界チャンピオンを育てている名トレーナーだ。

 ここで二人の現役時代について少し話しておこう。会長の矢沢は元フェザー級日本チャンピオン。フェザー級にしては身長が低く160cm弱だ。ボクシングスタイルは身長が低い事もあり相手の懐に入り兎に角連打。休まず打ち続けるタイプだ。兎に角スタミナがあり当時はタイトル戦は15Rだったが1Rも休む事もなく打ち続けるほどスタミナには定評があった。ずっと手を出し続けるものだから相手選手がほとほと嫌になるそうだ。それに対して成川は元ライト級日本チャンピオン。こちらはどちらかというと接近戦ではなく自分の距離をしっかりと保って戦うタイプのボクサーだ。正直全くタイプが違う。この事が実はリョウを悩ませる事になる。

 「リョウ。サンドバッグは全力で叩け。弱いパンチはいらない。手は絶対に休めるな連打連打」これが成川だ。

 「リョウ。全力じゃなく兎に角アッパー、フック、ストレートで短くてもいいから細かく手数出せ」これが会長。

 正直言ってる事が全然違う。元来不器用なリョウだ。それにすぐにパニックを起こしてしまう。どっちの言う事を聞けばいいのか頭を悩ませていた。

 「ねーパパ」「なんだ」「あのさー会長と成川さんが言ってる事が違うんだよ。どうしよう」「そーだな。俺も見てて思ったよ。会長は滅多に来ないから来た時だけ会長のいう事聞いてればいいじゃん。普段は成川さんのいう事聞いて」「そうだね」「それが世渡りってもんだ」「よわたりって何」「世の中をうまく渡り歩くってことだよ」「世の中って渡るの」「まーいいや。どっちにしたって二人とも言ってることに間違いはないだろうから。只、二人ともタイプが違うからしょうがないんだよ。お前もプロテスト受かったら自分のスタイルを作らなきゃいけないんだからな。まずはテストに受かる事だよ」「わかった」リョウの会話は極端に短い。

 「ダメだなー。やっぱり全然闘争心が感じられない。ボクシングにとってある意味それが一番大事だからその部分がないとテストは受かんねーぞ。もっと向かって行かなきゃ」成川が言う。

 「はい。やってるつもりなんですけど」リョウにすれば精一杯やってるつもりなんだろうが側から見ると全くそれが感じられない。決して逃げているわけでもないのだが迫力が感じられないのだ。これはガリガリに痩せているのもあるだろうがやはり根本的に力がないのだ。パンチが軽く弱く見える。筋トレは続けているがこれまでスポーツ経験が無かったと言うのはやはり大きな弱点だ。ボクシングをやるような子は小学校、中学校、高校と運動には自信のある子たちばかりだ。この差を埋めるのは容易ではない。

 「まー兎に角実践あるのみだな。テストまで1ヶ月もないからこれから体づくりじゃ間に合わないしな」成川が言う。

 10月の後半に私は軽い心筋梗塞を起こし入院してしまった。幸い大した事もなく退院したが流石にリョウとのスパーリングは当分お預け状態になってしまった。

 10月も終わりテストまでは後25日。11月26日がテスト日だ。

 「高杉君。どうだい倅は」「そうだなーまー今回は厳しいんじゃないかな。まっ1回で受からなくてもいいよ。運動なんて全然やった事もない子だからね。今回ダメでも受かるまで頑張れって言ってるよ」「そうだな。それでいいんだよ」私は練習後の一杯をやりに太郎にいた。例によってマスター相手に与太話だ。

 「でもねマスター。俺は嬉しいんだよ。あのいじめられっ子のリョウがボクシングのプロテストだよ。信じらんないよ。まー内藤チャンピオンもいじめられっ子だったみたいだけど実際に自分の息子がプロを目指すと思うとなんとも言えない気分だよ。でもあれだねやっぱりスパーリングで息子が殴られてるのを見るのは嫌だねー。女房が見にこないのはわかるね」「そりゃそうだろう。自分の子が殴られるのなんて親なら誰でも嫌だろう。特に女親はな」「そうだよなー、でも後楽園ホールなんて行くときゃっきゃっ言いながら指の隙間を大きく開けて一番はしゃいで見てるのは女の子だけどね」「そっ。女は血を見るのに慣れてるからね!それに戦いが好きなんだよ。基本的に。ライオンも狩をするのはメスだからね」「なるほどね。でも結構可愛い子が多いんだよね。ボクシングファンは。リョウもモテるかな」「そりゃー強くなればモテるよ」「そりゃー楽しみだ。まっ難しいと思うけどな」今日も与太話だ。

 「さて、誰かリョウとスパーリングやる奴いないか?おっ畳屋お前やれ」成川が言った。「えっ俺っすか。全然ウェート違いますけど」「いいんだよいないんだからグズグズ言ってないでやれ」「わかりました」この畳屋と呼ばれた練習生は元々アマチュアの選手で現在は畳職人だ。実力的には十分プロのレベルである。しかしウェートはリョウより10kg以上重い。なかなか男子でリョウ程度の体重の人間はいない。通常フライ級の選手も減量してその体重にするのであって普段ははるかに体重は重い。しかしリョウは減量も何もせずに普段から50kg前後の体重だ。相手を探すのは一苦労だ。

 「普段から重いのとやってた方が本番になれば楽だからいいよ。本番では同じくらいの奴と当たるんだろうから楽に感じるだろう」「でもパンチの重さが違いますけど」「パンチもらわなきゃいいんだよ。いいなリョウもらうなよ」「はい」「はいってリョウ俺のこと舐めてる」「いいえ」「もういい。とっと始めろ」「ブー」ゴングが鳴った。やはり畳屋はうまい。伊達にアマチュアではやっていない。今の時代。世界チャンピオンを見渡すとほとんどがアマチュア出身の選手だ。そうでないのはパッキャオくらいだろう。それだけアマチュア全盛の時代だ。

 「リョウ。もっと体振れ。正面に立つな。お前の方が手が長いんだからもっとジャブ出せ。ワンツー主体。ワンツー主体」

 2Rが終了した。「やっぱり全然力強さがねーなー。まっ今回はダメでも次があるからな。負けんなよ」「はい」受ける前から絶望的な言葉だ。

 なんやかんやであっという間にテストの日がやってきた。

 「リョウ。余裕持ってちょっと早めに行こう。12時までに着こう」「わかった」私はあまり車の運転は好きな方ではないので移動はほとんど電車だ。それに電車の方が時間が読める。しかしここのところ電車はよく止まる。事故が多いのだ。実はこの日も電車が止まった。「参ったな。どうするか。今更車で行く訳にもいかないし」「そのうち動くんじゃない」運よく10分足らずで動き出した。「やっぱり早めに出ておくもんだな。何かあっても対応できるもんな」テストは12時30分集合。13時からだが何とか集合時間には間に合った。テストはまずは体重だ。

 「はい。次」「矢沢ジム所属高杉リョウです」「はい。乗って。んー50kgジャスト」 

リョウのウェイトは50kg。ゼッケンは1番。やはりテスト生の中では一番軽い。

 「はい。体重測った人はこっちの部屋で随時筆記試験始めて」試験管の目もゆるゆるの試験だ。暫くするといきなりリョウが手を挙げた。「すいません。ここわかりません」

 「はあー。お前何言ってんだ」前代未聞である。わからない問題の答えを堂々と尋ねるとは流石の試験管も呆気にとられた。しかし驚いたことに答えを教えていた。さすがボクシングの筆記テスト。全然関係ない。結果は85点で合格。普通は100点か1問間違い程度だ。85点は相当低い方だ。しかし合格。そもそも合格ラインが何点かもわからない。要は筆記で落ちる奴はいないって事だ。無事に全員合格。

 「おい。リョウ。いくら落ちる奴はいないって言うけど試験管に答え聞く奴はいねーぞ。お前面白すぎ。それにジムに問題と答え貼ってあっただろう。見なかったのかよ」「あーそうだった。いやっなんかさ思わず手上げちゃったんだよ」「これで完全に目をつけられたな。まっいいや。兎に角スパーリング頑張れ」「うん。わかった」リョウの会話は短い。

 次はいよいよメインのスパーリングだ。通常は軽いクラスから行われる。そうなると当然リョウは一番最初だ。しかしこの日は女子のテストとB級ライセンスを受ける選手がいたのでこれらが終わった後に男子のC級ライセンスの試験が始まった。

 「リョウ。少し体動かしとけよ。リングに上がってシャドーでもやってろよ」「うん。わかった」今日のテストには私も付き添いでやってきていた。「しかしみんなうまそうに見えるな。大丈夫かリョウは」何だか不安になった。思わず対戦相手を探して見てしまう。

 さて、いよいよC級ライセンスのスパーリングが始まった。「1番」「はい」リョウが呼ばれた。相手は2番の選手だ。スパーリングでは名前ではなく番号で呼ばれる。囚人の様だ。スタイルは上半身裸、下は短パンだ。中央でレフリーの注意が終わった。「ボックス」いよいよ始まった。ボクシングで「ボックス」と言うのは「始め」の合図だ。1R中盤。いきなり止められた。バッティングの注意だ。プロテストではバッティングは特にうるさい。何とか1Rは乗り切った。続いて2Rが始まった。ここからはスタミナ勝負だ。だが途中またしても止められた。ここでスパーリング終了。最後までやることはできなかった。リョウがリングを下りてきた。やはり相当息が上がっている。テスト本番は普段の倍疲労すると言われている。そりゃそうだ初めての聖地後楽園ホールのリング。スパーリングの相手は初対面。緊張するなと言う方が無理だ。

 「おーリョウ。お疲れ。とりあえずシャワー浴びて着替えてこいよ」「ハアハア」「何だ疲れたか。ここで待ってるから着替えてこい」「わかった」

 「会長。今回はやっぱりダメですね」「まーいい経験じゃないの。次も受けるの」「そりゃーそうでしょう。受かるまでやるでしょう」「じゃー次頑張りましょう」「そうですね」

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