僕は発達障害「親父と息子」

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 リョウが着替えを終え戻ってきた。

 「さて、帰ろう。リョウどうだった」「うん。自分なりには出来たかなって」「そうか。でも厳しいかもよ。まっ明日に何なきゃわかんねーけどな。もしダメでもまだやるんだろう」「うん」「一度やると決めたんだから受かるまで頑張ろうぜ」「わかった」「でもよくここまで来たよ。もうちょいだもうちょい。もう11月だから今年も終わりだな。ダメだったらもう一回体を作り直して来年受けよう」「そうだね」リョウの会話は短い。

 翌日テストの結果が発表された。結果はやはり不合格。

 「リョウ。やっぱりダメだったな。どうする今日の練習は」「どうしよう」「まーそんな調子じゃ練習してもしょうがないから今週一杯休んで来週から又、気合い入れてやろう」「そうだね」この時はまだ二人とも次だ次と言う軽い気持ちでいた。

 私は一人ジムでトレーニングをしていた。「やっぱり根本的に力がないし痩せてるから見た感じも貧弱に見えるのがよくないよな。どうすっかな」今後のリョウのトレーニング方法を考えていた。「まずは足腰強化だな。ランニングはもちろんだけど俺を乗せてスクワットやらせるか。後は腕立てだな」成川が来た。「成川さん。やっぱりダメでした」「そうか。まっ仕方ないよ。次も受けましょうよ」「えーもちろんそのつもりで本人もいます」「やってりゃそのうち受かるよ」「そりゃそうですね。でも成川さんには感謝してます。成川さんが言ってくれたお陰であのリョウがテストを受けられるまでになったんですから本当ありがとうございます」「何言ってんの。そう言うのは受かってからにしてよ」「アッハハそうですね。まずは受からないとですよね」

 練習後いつも通り太郎に行った。

 「マスター。リョウダメだったよ」「そうかー残念だな。まっ次もあるよ」「そうだね。でも頑張ったよ。だいぶ上手くなって来たよ」「やっぱり継続は力なりだよな。諦めなきゃそのうち何とかなるさ」「そうだね。いやー今日も生がうまいよ。寒くなって来たけどやっぱり最初はこいつだよな。マスターも一杯やりなよ」「サンキューありがとう。ヘイ。生一丁。高杉君の奢りで」「何だよ俺にもご馳走しろよ」「あれ。先輩いたんすか。いいっすよ。今日は残念会だ。丸田さんにも生一丁ね」「はいよ!生一丁。高杉君につけといて」太郎はいつも陽気だ。

 週が明けて朝のトレーニングが再開された。

 「リョウ。今日からシャドーやるときバーベル持ってやれ。パンチ力もスピードもまだまだ全然ダメだからな。それと50mダッシュをもっと入念にやろう。それと最後に俺を肩に乗せてスクワット50回な」「えっ。できるかな」「できるかなじゃなくてやるの」「わかった」最初はやはり私を乗せてのスクワットはできなかった。ちなみに私は身長180cm、体重80kgだ。リョウは身長170cm、体重50kgだ。「やっぱ無理だよ」「大丈夫だ。やってりゃできる様になる」案の定一週間でできる様になった。「ほらな。できるようになっただろう」「うん。本当だね」やはり継続は力なりだ。

 朝晩のトレーニングは続いた。朝は6時半からランニングがスタートする。真冬のこの時間はまだ薄暗い。気温も低い。練習時間は凡そ1時間。トレーニング場所は近所の公園。終わる頃には汗びっしょりだ。その後家に戻りひとっ風呂浴びる。これが最高に気持ちがいい。朝練の辛さも吹き飛ぶ。リョウはこのあと約1時間一眠り。これが又、至福の時だ。朝練で疲れた体を睡眠で癒す。ベッドに横になると同時に吸い込まれて行く。まさに至福の時だ。私はと言うとストレッチをしながら8時からのNHKの朝ドラを見て朝食をとり9時から仕事だ。この朝ドラはクセになる。リョウは大学に行く。言葉に難があり会話が苦手であった為入試の時には面接で大変苦労したようだが何とか進学することができた。リョウが大学に行けるとは全く思ってもいなかったので受かった時には大泣きして歓喜の声をあげたものだ。

 夕方は6時からジムでトレーニングがスタートする。約2時間のメニューをこなす。これが二人のルーティンだ。只、私にはもう一つあった。それは練習後の一杯。太郎への出勤だ。これが私にとっての至福の時だ。 

 こうして平成27年も暮れようとしていた。

 「リョウ。次テストいつ受ける。年明けて2月にするか。それまでにはだいぶ筋力もアップして力強くなるだろう」「そうだね」「じゃー年明けジムが始まったら会長と成川さんに2月に受けますって言っとけよ」「うん。わかった」こうして初めてのプロテストを受けた平成27年も残念な結果だったが暮れて行った。


   平成28年幕開け


 平成28年元旦。リョウは宮城県の田舎にいた。「よし。今年こそプロテスト合格するぞ」決意新たに一人でランニングを始めた。私はと言うと地元廻りの為自宅で一人、正月を過ごしていた。遅くなったがここで高杉家の家族を紹介しよう。父親。私は晋作52歳。母親は真里51歳。妹のジュンは17歳。花の高校2年生だ。そしてリョウ19歳。大学1年生の4人家族だ。私と真里は大学時代に付き合い始めそのまま私が27歳。真里26歳の時に結婚。なかなか子宝に恵まれなかったが7年目にしてリョウが生まれ、その2年後に妹のジュンが生まれた。リョウが小学校1年生の時に私は市会議員に立候補し以降3期12年努めたが先の県議選で落選し現在浪人中だ。その為家計は火の車状態が続いている。収入は真里が以前からやっていた塾の講師の収入と不動産業を営んでいる私の手数料収入のみだ。この手数料も毎月決まって入ってくるものではない。まとまって入るときもあれば全く入らない月が続くこともある不安定な状況だ。当然リョウもアルバイトを始めジム代など自分でできるものは自分で賄っている。もちろん奨学金も受けている。妹のジュンは地元でも有数の進学校に通っている。来年はいよいよ大学受験だ。まさに家計的にも今が一番お金の掛かる状況だ。そんな中での私の浪人はとてつもなく辛い状況だ。しかし元来私は自分で言うのも何だが超ポジティブな性格だ。家族が後ろ向きになりそうになってもいつでも「大丈夫。何とかなるさ」これが口癖だ。そんな私に呆れながらも家族皆んなが明るくついて来てくれた。若干妹のジュンは反抗期で難かしい時ではあったが仲の良い家族だ。

 コミュニケーションを取るのが苦手なリョウを心配した私は小学校から私立の学校に通わせた。受験には面接もあったが幼稚園児にする面接だ。「好きな食べ物は何ですか」「ラーメン」こんな調子の面接だから何とか試験もクリアーした。リョウの通った小学校は中学、高校、大学まである学園だ。必然的に妹のジュンも同じ学園に通った。この学園は中学に上がるときに三つの選択肢があった。A、通常の付属中に行く B、進学校の付属中に行く C、学園とは縁のない中学に行く この三つだ。当然リョウはAだ。あまり勉強は得意ではない。ちなみに妹のジュンはBであった。Bの学校は県内でも有数の進学校で毎年東大に数十人が受かっている。

 私が危惧した通り私立でもやはりいじめはあった。もちろんリョウはいじめられる側だ。しかしリョウはこのいじめを克服した。当然面倒見のいい学校だと言うこともある。しかしやはり一番の要因はリョウ本人だろう。彼は常に自分の居場所を持っていた。学校内はもちろん学校外でもだ。自分の居場所があると言うのは精神的に落ち着ける所があると言うことだ。これは大きい。周りの人間を気にせず生活を送るルーティンを持つと言うことだ。学校外での居場所の一つがボクシングジムだった。ボクシングは根本的に個人トレーニングだ。これはリョウにはフィットした。私について中学2年生の頃から通い始め、そうこうしているうちに完璧にいじめはなくなった。その頃は只遊びでやっていただけなのでまさかプロテストを受けるとは誰もが夢にも思っていなかった。しかも誰の目から見てもセンスの欠けらもないのが一目瞭然でもあった。そんなリョウがプロを目指しているのだから彼の過去を知っている人間は驚いただろう。

 正月からのリョウのトレーニングが続いた。次のテストは2月8日だ。既に1ヶ月を切っている。「だいぶ良くなってるんだけどどうしてもスパーリングになると相手との比較になるからか弱さがはっきりしちゃうんだよな」成川が言う。「そうなんですよね。手足が長くて痩せてるから余計にそう見えますよね。最初のイメージで既にか弱さが出てますもんね」「まーこればっかりは体質だからな」「やたら14オンスのグローブがでかく見えますよね」「確かに」

 トレーニングを続けテスト当日を迎えた。

 「どうだ。リョウ。調子は」「うん。普通」「そうか。兎に角自分から先に手を出して行け。テストは手数勝負だからな」「うん。わかった」相変わらず会話が短い。

 体重計量が終わった。今回もリョウは50kg。ナンバーは又、1番。最軽量だ。リョウは体のひ弱さもあるが顔も幼い。とても19歳には見えない。実際未だに中学生と言われるのがほとんどだ。そんな感じだから相手への威圧感が全くない。これも損をしている部分だろう。

 リョウのスパーリングが始まった。何事もなく1Rが終了した。「リョウ。ダメだもっと手を出さなきゃ。特に2R目はスタミナを見られるからな。しっかりやれよ」

 2R目が始まった。「もうちょっと手ー出せよ」私はひとりごちた。

 スパーリング終了。「おう。ご苦労さん。シャワー浴びて着替えてこい。前回よりは良かったぞ」「うん」

 私がシャワー室に行ってみるとリョウが何やら鼻歌を歌っていた。「何だあいつ。今回は自信あるのかな。でも微妙なんだよな。悪くはなかったけどな」

 リョウが着替えて出てきた。「おう。今日はどうだった」「うん。結構できたかなって感じ」「そうか。受かるといいな」「うん」発表は翌日だ。

 翌日。ネットで発表を見た。リョウの名前はない。「ふー参ったな。あいつがっかりするだろうな。そんなに悪くなかったけどな」矢沢会長に電話した。「会長。今回もダメでしたわ」「あーそう。私も見てたけど本当にもうちょっとなんだろうな。やっぱり力強さなんだよ」「もうそれしかないですよね。しょうがない。ありがとうございました」電話を切りリョウに結果を報告しに行った。「リョウ。残念だけどダメだったよ」「えーダメだったの」「会長も言ってたけど本当に惜しかったってさ、俺も見てて思ったけどそんなに悪くなかった。もうちょいだよ。それでリョウ。これからどうする。まだやるか。俺はな、ここでやめたら一生後悔すると思うぞ。せっかくここまでやったんだから受かるまで頑張ろうぜ。なっ。絶対に努力は報われる。努力は嘘つかないよ」リョウの肩を抱きながら言った。「うん。わかった。頑張るよ」「よし。じゃー頑張ろう。まっ。でもとりあえず2、3日休めよ。それから又、スタートだ」

 「あーあ悔しいな。今回は大丈夫だと思ったんだけどな。何が悪いんだろう。自分じゃ力強く打ってるつもりなんだけどなんでかなぁ。よくわかんないや。兎に角受かるまでは頑張ってみよう」

 私はこの頃ある決断をしていた。先の県議選で敗れて以来ずっと思い悩んでいたことだ。「民生党にはもはや俺の居場所はない。今の民生党の体質にもいい加減嫌気がさしているしな。原点に帰るか」元々私は地方分権、地域主権。地方から国を変えねばならないと言う考えだ。今の中央集権国家ではもはやこの国の未来はない。毎年増え続ける国の借金。これはもはや政策の問題ではなく根本的に仕組みを変えなければならない。政権が変わろうが仕組み構造を変えねば絶対に良くならない。そのためには道州制にして税金も国に吸い上げられた後に地方に降りてくるのではなくまずはしっかりと地域でまちづくりの出来る税を徴収しその他の部分で国が国防、外交、教育の3点を行えば良い。但し教育に関しては日本人としての大きな柱を示しその手法に関しては地域に任せる。国の役割はこの3点。後は地域に任せるべきだと考えていた。実はこの時私の考えと全く同じ考えの政党があった。それが新撰党だ。私はダメ元で新撰に公募してみようと思っていた。公募の内容は論文だ。「まっ。ダメ元でとりあえず出してみるか。参議院なんて学者先生みたいな人たちばかりだしな。タイプ的にも場違いだしな。でもいい経験にはなるだろう」自分にそう言い聞かせ論文を提出した。

 1週間後新撰から連絡がきた。書類が通ったので面接に来いと言う返事だ。流石に焦った。まさか通るとは思っていなかったので早速地元の支援者に集まってもらった。

 「実は前々から考えていたんですがもはや民生党に私の居場所はありません。これは皆さんも思っていることだと思います。しかしながら私はこれで政治を止めようとは思っておりません。それで自分の原点はなんだったんだろうと考えました。私はやはり地方分権、地域から国を変えていこう。今の一極集中政治では未来はないと言うのが持論です。これに立ち返ると現在この考えに合致しているのは新撰党だけです。そこで実はダメ元で公募にエントリーして見ました。そうしましたら先日連絡があり書類は通ったので面接に来てくれと言うことです。まさか通るとは本音を言えば思ってませんでした。ですが状況が変わってしまったので皆さんにご相談しようと本日お集まり頂きました」これにはさすがに皆が驚いた。「公募って一体何に応募したの」「参議院の比例区です」「えー」皆が驚くがそんな中「参議院の比例区だと地元で誰かとバッティングしないのか」「はい。誰ともしないと思います」「ふーん。じゃー応援できるな。やって見なよ」「そうだな。いつまでも何もしないでいる訳にも行かないだろう。やんなよ」今回集まった5人全てがそのように答えた。「わかりました。それでは面接に行って来ます。只、その前に民生党には離党届を出します。それはご了解下さい」こうして私は面接地神戸行きを決断した。

 

 1次面接

 「まずは我が党に公募した動機をお願いします」「はい。私はかねてより今の中央集権体制ではこの国の未来はないと思っています。その為の道州制。そして地方から国を変えると言う理念がまさに私の考えと合致しておりました」「わかりました。ところで高杉さん。どうだろう比例区ではなく選挙区で出て見てはくれないか」「いやーそれは全く頭にありません。地元の方々とも相談して比例区ならとのことですからそれ以外では出ません」はっきりと答え神戸を後にした。帰りの新幹線で「こりゃーやっぱりダメかな。まっそうなったらそれはそれでしょうがねーや。仕事を終えての新幹線の車中はこれが最高だよな」ビールだ。至福の時だ。 

 3日後連絡が来た。結果は2次面接を行うから再び神戸に来いと言うことだ。

 

 2次面接

 「どうですか高杉さん。やっぱり選挙区はダメですか」「はい。前回お話しした通り比例区以外では出ません」「そうですかわかりました。では比例区で頑張って下さい」「えっいいんですか」「はい。比例区でお願いします。その代わり選挙区でしたら党からの応援がありますが比例区はご自身で全てお願いします」内心呆気にとられた。帰りの車中。「いやいや通っちゃったよ。こりゃ大変だ。どうやってやったらいいんだ。とりあえず地元廻りをしてからだな。それにしても日帰りの神戸は慌ただしいな。もう今日は終わりだ。これに限るな」ビールだ。至福の時だ。

 翌日新撰党から連絡が入った。すぐに新聞発表をしたいとの事だ。「いやっさすがにちょっと待って下さい。色々報告をしないとならない方々がいますのでその前に発表されるとややこしいことになっちゃいますから少し時間を下さい」私は主だった方々を片っ端から廻った。それでも1日2日で終わるものではない。相手の都合もある。一通り廻り新撰に連絡したのは1週間後だった。「もう発表しても結構ですよ」それでは3日後党大会がありますのでその席で正式に発表しますので神戸に来て下さいとの事だ。「又、神戸かよ。毎週だな」

 

 党大会

 私は党大会にて参議院の候補者として壇上で紹介された。その後新聞社の質問などを受け夜8時過ぎの新幹線に飛び乗った。「いやー参ったな。やっぱり国政選挙ともなると全然違うな。何だよこの調査表の数は」各新聞社から配られた候補者の調査表だ。「写真はバンバンとられるし参ったな。まーでも今日も終わりだ。お疲れ様だ」車中のビールだ。至福の時だ。

 「昨日テレビに出てたね」何人もの方から電話が入った。「えっあんなの見てた人いるんだ」どうやら昨晩のニュースで映ったようだ。テレビの力は凄いと改めて感じた。

 比例区は対象選挙区が全国だ。とは言え芸能人ではあるまいし全国的な知名度など全くない。

 「まずは地元廻りだよな。その後はとにかく全国の知り合いをピックアップして片っ端から連絡を取ろう」

 まずは地元を廻った。廻ってみると参議院の比例区に対してほとんどの方が理解をしていないのには驚いた。「名簿は何番めだ」とか「新撰と書けばいいのか」だとか確かに新撰と書けば党の票にはなる。しかし私の票にはならない。比例区の順位は名簿ではなくあくまでも個人票の得票で決まるのだ。これを理解している人はほぼ皆無であった。

 「こりゃ大変だな。まずは仕組みを理解してもらわないと」それはそうだこれまで地元から参議院比例区に立候補した者はいない。誰一人投票経験がないのと一緒だ。

 「それにしても雲をつかむようなもんだな。どうするか」

 私は恩師の元衆議院議員で全国区にも出馬経験のある方に相談した。

 「先生。この選挙はどうやって戦ったらいいですか。全くわかりません」「高杉君ね。私もやったけどこれは難しいんだよ。私は選挙区に出る候補者の所に押しかけて構わず便乗選挙をやったよ。それぐらいしかないよね。誰か一緒にやってくれる人はいないのかい」「正直先日公認されたばかりでどんな候補者がいるのかもわかっていない状況です」「そうか君の地元の選挙区から出る人間はいないの」「今のところはまだいません」「それが決まればその人間と回るのが手だと思うよ。後は片っ端から知り合いのつてを辿るんだね」「わかりました。それしかないですね。ありがとうございました」

 その後は党主催の選挙説明会に出席した。その席での説明では比例区での個人票は選挙区の個人票の10倍の価値があるという事だ。要は比例区での1,000票は選挙区での10,000票に値するという事だ。新撰の当落ラインは50、000票と言われていた。そうすると選挙区で考えると500、000票ということになる。これはとてつもない票だ。やはり全国的に知名度のある著名人でないとこの選挙は難しいと改めて実感した。しかしだからと言って今後のこともあるのでやるだけのことはやらねばならない。もし今回ダメでも党での自分の立ち位置をきちんとしておかねばならない。そのためにもできる限りのことはやらねばならない。

 「選挙が終わるまではジムには行けないな」


 「りょう。話がある。実は又、選挙に出ることになった。それで選挙が終わるまではトレーニングは一人でやってくれ。もう何をやったらいいかはわかるよな」「うん。わかった。大丈夫だよ」「よし。しっかりやれよ」「うん」

 選挙戦が始まった。今は4月だから投票日まで3ヶ月半だ。まずは朝7時から8時半まで月曜日から金曜日まで地元市内各駅での駅頭。その後支援者廻り、昼と18時からは県内主要ターミナル駅での駅頭を主とした。

 その間リョウは一人で黙々とトレーニングに励んだ。元来自分で決めた事はバカが付くくらいやり通すタイプだ。これまで通りしっかりとトレーニングを積み4月のプロテストに臨んだ。

 「どうだリョウ。今度は行けそうか」「わかんない」「まー最近全然見てないからわかんないけどそろそろ何とかなんじゃないか」「うん。そうだといいんだけど」

 こればっかりはどんな選手とスパーリングで当たるかわからないので運不運もある。普段やらないサウスポーと当たったり、アマチュア経験者と当たったりすると最悪だ。

 そんな頃知り合いからダルマを頂戴した。

 「リョウ。ダルマに片目入れろよ。プロテスト合格祈願だ。受かったらもう一方に目入れしよう」

 リョウはダルマの片目に目入れをし祈った。「今度こそ頑張るぞ」

 そしてテスト当日。今日も筆記試験は免除。スパーリングのみだ。もちろん私は立ち会っていない。リョウ一人だ。相手は何と事もあろうにサウスポーだったそうだ。何とか2Rやり遂げたらしいが結果は明日だ。

 その晩「どうだったリョウ」「うん。わかんない。相手サウスポーだった」「そっか。ついてねーな。でもまだわかんないだろう。もしダメでも次があるよ」「そうだね」心なしか元気がない。

 翌日結果が出た。リョウの名前はやはりなかった。これで3度目の失敗だ。「なんだかここのところうちは運がないな。なんとかしないと」

 そんな時だ。妻の真里から嬉しい知らせが来た。

 「実はパパには黙っててって言われてたんだけどジュンが小説出すのよ」「はっ。意味がわからないけど」「あの子前から携帯小説に投稿してたみたいで中1の時に書いたのが結構人気があってそれを文庫化したいってことで出版社から話があったの。それで今度出版することになったの」「ちょっと待て。それって凄くねーか。向こうから出してくれって言われたんだろう。大したもんだな」「ねー私もびっくり」「いやーすげー。これはめでたい。久しぶりに明るい話だ。いいぞー。さすがジュンだ」「でもこれは発売するまで内緒だからね」「なんでよ。もう決定なんだろう」「そうだけど出るまであなたにも内緒にするって言っちゃったから」「なんだそれ。まっいいやわかった。いやーそれにしても凄い。めでたい」我が家にとっては久しぶりの明るいめでたいニュースだ。

 ほどなくジュンの本は出版された。私はその本を持ち歩き知り合いに会うたびに宣伝した。数多の会合での挨拶でも「実は私の娘がこの度小説を出版しました。13歳の時に書いた本で現在花の高校生17歳です。ぜひご覧ください」完璧な親バカだ。自分の選挙の事よりも熱心に話す始末だ。それだけ嬉しかったんだろう。何せここのところの我が家は負のオーラで包まれていたから尚更だ。

 私は近所の書店に行き「この本売れてますか」「あっそれ売れてますよ。でも不思議なんですよね。普通そういう本は若い人が買うんですけどやたら年配の方からの問い合わせが多いんですよね」

 そりゃそうだ私の支援者は高齢者が多い。そういう方々の会合で宣伝してるんだから必然的にそうなる。

 「あのこれ書いたのうちの娘です。地元なんでよろしくお願いします」又、こんなこともあった。後輩がやっている地元地域新聞にも「なあうちの娘が本出したから取材してくれ」こんな始末だ。究極の親バカだ。 

 「やっぱりジュンは俺に似たんだな。この才能はまさに俺だな」「何言ってんだか」真里も呆れっぱなしだ。

 実際にジュンの本は10,000冊出版され、まーまーの出来だったようだ。真里の話ではその他にも暖めているのが何冊かあるらしい。しかし、受験を控えた身だ。受験が終わるまでは執筆はお預けだ。しかしよっぽど本を書くのが好きなのか暇さえあれば勉強そっちのけで書いているようだ。思い返せば小さい頃から本が好きでハリーポッターなどはほとんど丸暗記していた。

 

 選挙も残すところあと2ヶ月の5月半ば選挙区での立候補者が決まった。

 「よし。これで多少票が出るかな」

 当初の予定では選挙区で候補者が出ればそれとの相乗りで相乗効果がでると言う目論見だった。しかし比例区は対象が全国。大票田の都市がある私の地元には日本中から有力候補者が集まってきた。その中には当然知名度の高い候補者もいる。選挙区候補者も当選を考えればそう言った候補者に乗っかった方が良いに決まっている。知名度のない私と回ってもメリットがないのだ。

 「なかなか思い通りにはいかないな」初めての全国規模の選挙に翻弄された。

 6月に入りいよいよリョウが4回目のプロテストに挑戦する。トレーナーの成川もいい加減なんとかなるだろうと思っている。そもそも可能性が0なら受けさせることもしない訳だ。ここまでは正直相手にもいまいち恵まれてなかったがそんな事よりもやはり一番の要因は力強さがない事だ。正直スタミナはテストを受けるには十分ある。それは成川も認めていた。後は攻撃力と力強さだ。やはり元来の優しい性格が仇となっている。リョウも今度こそとの思いが強いが生まれ持った性分はなかなか改善されない。

 私は選挙まで残り1ヶ月となり全くジムには顔を出していない。朝も早くから駅頭、夜も帰ったら風呂に入り食事をしてすぐに寝る為、リョウとはほとんど会話らしい会話は交わしていない。

 あっという間に6月のプロテストの日が来た。学科試験は1度受ければ良いのでリョウ

はスパーリングだけだ。例によってナンバーは1番。今日も最軽量。1番始めのスパーリングだ。このころになると後楽園ホールの試験管、レフリーでリョウの顔を知らない者はいない。さすがに4回目だ。誰しもが覚えている。それはプラスでもあれマイナスでもある。前回からあまり進歩してなければ恐らくダメ。逆に明らかに進歩がわかれば合格する。知られている分だけ厄介な面もある。リョウは精一杯やった。結果は明日だ。

 結果はネットで見られるので翌日私が確認した。結果はまたしてもリョウの名前がない。不合格だ。私は極力明るく言った。

 「リョウ。ダメだったよ」「えーまた」「次だよ次。10回目で受かる奴もいるそうだぞ。お前はこれまで全然運動もやってなかったからその分時間がかかるのはしょうがないんだよ。なっ次だ次」「うーん」

 さすがのリョウも落ち込んでいた。

 「まっ今週一杯休んで又、頑張ろう」「うーんそうだね」 

 7月いよいよ投票日まで残り1週間。参議院選挙は3週間。日本一長い選挙も残りわずかだ。私はできる限りの事をした。ポスティング、ハガキ等許されるものは全て行った。参議院選挙は他の選挙とは桁が違う。特に比例区は凄い。法定ハガキだけでも25万枚だ。これだけの数を出すところを見つけるのも大変だがそれを出す作業はもっと大変だ。支援者も総出で頑張ってくれた。何とかやるだけの事はやったが地元では知名度があってもやはり全国的な知名度は皆無だ。私はこれは次への布石だ。その為にも精一杯やる事はやらねばと思っていた。

 投票日当日。即日開票だが比例区の結果は遅い。深夜。結果が出た。やはり思った通り惨敗だ。唯一の救いは地元では全候補者の中でトップの票をとった事だ。

 「あー疲れたな。ダメだろうとは思ってたけど実際に結果が出るとやっぱしんどいな」実は選挙は本人はもちろんだが家族も相当苦労する。妻の真里はもちろんだが驚いたのは子供達だ。特に娘のジュンの落ち込みは相当なものだ。実は今回の選挙から初めて18歳以上が投票権を持った。要は子供達の年代が投票できるようになった訳だ。子供達は真里に言われ友達に私への投票をお願いしていたのだ。結果が出てジュンは2、3日学校を休んでしまった。流石の陽気な私もこれには参った。それはそうだ。自分の父親が惨敗したのは友達全員いやそれ以外の人間にも知れ渡り噂になっているのは明確だ。学校に行く気にはなれないのは当たり前だ。

 「本当。俺はバカだな」家族のグループラインに書き込んだ。「俺が言うのも変だけど皆んな元気だそう。人生山あり谷ありだ。そのうち何とかなるさ。頑張ろう」誰からも返信はなかった。

 元々ジュンは難しい年頃で私とはまともに口も聞かない状態だったがこれ以降輪をかけて酷い状況となった。

 その頃リョウはジムのトレーニングを続けていたが家計の状況もありアルバイトを探していた。これまでアルバイト等したこともないのでどうやって探したのかもわからないがいくつか面接を受けた。やはり全て不採用。コミュニケーションの苦手なリョウだ。接客は到底務まるとは思えない。ある時「ねーパパ。これなんかどうかな」見ると警備員の仕事だ。「お前これ多分。ガードマンだよ。しかも道路工事とかの。どこで仕事するかわからないしジムの練習もあるから時間がきちんと決まってる所がいいんじゃねーか」「でもないんだよ」「そこの回転寿司は」「あっそうだ」「お前ねーもうちょっと考えろよ。あそこなら皿洗いとか色々あんじゃねーの。受けてみろよ」「わかった」

 結局近所の回転寿司に決まった。

 私はと言うと選挙の敗戦処理に廻っていた。地元廻りはもちろんだが神戸の本部に出向き今後について話し合った。

 「高杉さん。お疲れ様でした。どうでしたか」「いやーどうもこうもこの比例区と言う選挙はとても手に負えません。正直二度とやりたくないですね。でもおかげさまでもうどんな選挙も逆に言うと怖くないですね」「そうですか。今後はどうしますか」「もちろん新撰として活動して行きますよ」「どうですか次の衆議院選挙は」「いやー下手をすると今年中にあるかもしれませんよねー。流石に対応できません。それに今、家族の状況が芳しくないですわ」「とっ仰いますと」「実は娘が高校生で友達が18歳の子が結構いてその子たちに選挙の依頼をしたんですけど結果がこれでしたからショックで参りました。ですから今は選挙の話はとても流石に切り出せません。今は思いっきり格好悪いオヤジですから」「そうですか。まっまだ時間がありますからじっくり考えてください。そして今度こそ格好いいオヤジを見せてやりましょうよ」「そうですね。ありがとうございます。今後は党と相談しながらやっていきます」

 帰りの車中。「いやーこれで当分神戸に来ることもないだろう。ひと段落だな」仕事帰りの新幹線はやっぱりビールだ。至福の時だ。

 9月に入りジムに復帰した。ところがいつもいるはずの成川がいない。「どうしたんだ。会長。成川さんは」「んーちょっと体調崩して休んでるんだ」「あっそうですか。悪いんですか」「いやー酔っ払って階段から落ちて頭打ったらしいんだよ。幸い脳には異常ないみたいだけど」「そりゃー危ないな。成川さんも飲むからな。じゃー当分無理ですね」「そうだねー」

 実はリョウは8月に5回目のテストを受けまたしても失敗していた。その時には成川はいたはずだ。成川は「このままじゃリョウの将来にとっても良くない。こんなプロテストごときで挫折したらダメだよ。何としても受からせましょう」と言ってくれていた。リョウも成川のことを頼りにしていた。それはそうだそもそものきっかけが成川の言葉からだ。その成川がいないのだ。「どうりで最近リョウの様子が可笑しいと思った」先日のプロテストに落ちた後いつもの様に「大丈夫だ。リョウ。そのうち受かるよ」と声をかけた。すると「僕。いくらやってもやっぱりダメなのかな」「何だお前。どうした。らしくないぞ。大丈夫だよ。努力は必ず報われる。努力は嘘つかない。信じて頑張れ」「なんか自信がなくなっちゃった」「お前ここまで頑張ったんだからここでやめたら一生後悔するぞ。来月から又、俺もジムに行くから一緒に頑張ろう」「うん。そうだね」これまでにないリョウであった。

 「成川さんがいないのは痛いな。それになんかジムの雰囲気が良くないな」私は怪訝に思った。ジムに復帰し2週間が経った頃その原因がわかった。皆5回もテストに落ちているリョウに呆れているのだ。私には気を使っているがそれは雰囲気でわかる。成川と言う後ろ盾もいない。

「くそっ。参ったな。関係ねーや。堂々とやってやらー」ひとりごちた。

 ところが9月に入りどうもリョウの様子がおかしい。リョウは小さい頃よりいじめにあいそれを克服する位打たれ強いし根性もある。そのリョウの様子がどうもおかしい。

 「おい。リョウ。風呂入ろーぜ」久しぶりにリョウと風呂に入った。「お前最近なんか変だけどジムで何かあったのか」「別に」最近のリョウの口癖だ。「別にじゃねーよ。何だはっきり言え」「いやー実はさー。なんか変なんだよ。悪い僕と良い僕が出て来るんだよ」「はっ。何だそれ。意味がわからん」「んー何だろう。悪い僕はお前なんて才能ないんだからボクシングなんてやめろって言うんだよ。でも良い僕は努力は必ず報われるから頑張れって言うんだよ」「何だそれ。夢に出て来るのか」「いや夢じゃないんだよ。普通に起きてる時だよ」「何だそう言う感覚に陥るってことか」「んーもっとなんて言うか2人が入れ替わり出て来るって言うか。とにかくそんな感じ」「まー何だかよくわからんけどとにかく良いもんリョウの方で行け」「うーん。そうは思ってるはずなんだけど」

 さすがのリョウも5回の失敗、父親の落選、成川がいなくなる等色々な事があり精神的に参っているようだ。又、リョウ自身もジムの雰囲気がこれまでとは違うのを肌で感じてるようだ。元来超マイペースで我関せずなのだがここまで結果が出ないのでは堪えるのも無理はない。

 そんな状態の9月であったが6日の日にリョウは二十歳の誕生日を迎えた。練習が終わりリョウを連れ太郎に行った。以前から二十歳になったらビールが飲みたいと言っていたのだ。「マスター生二つね」「あいよ。おっ今日は息子も一緒か」「そう。今日誕生日で二十歳何だよ」「へーそりゃーめでたい。親父に似て飲兵衛なんじゃないか」「どうだろうね」「はいよ。生2丁」「よし。じゃーリョウ乾杯。おめでとう」「にがっ」「アッハハ。苦いか。これがそのうち上手くなるんだよ。ところでどうだ調子は」「うん。普通だよ」「そうか。まー色々言う奴もいるかもしれないけど気にするなよ」「うん。大丈夫」「絶対何とかなるさ。受かったらここで又、一杯やろう」リョウはなんだかんだ言いながらもあっさり生を飲んだ後、グレープフルーツサワーを飲んでいた。やっぱり親子だ。飲兵衛だ。「リョウ。ボクシングやってるうちは酒はあんまり飲むなよ」「わかってる」

 

 私はと言うと選挙後の処理を済ませると同時に4年前に実質倒産にした会社の法的整理を済ませた。これも相当の誹謗中傷に晒された。当然ながらご迷惑をかけた方もいる。しかし人間「人の不幸は蜜の味」とは良く言ったもので、あることないこと面白おかしく全く関係のない人間が触れ回る。「おい。あいつはかみさんに愛想つかされてどっかに飛んズラしたらしいぞ」とかありもしない事を言う。だいたい普通愛想つかして出て行くのはかみさんのはずだ。「どうやらあいつは養子だったらしいぞ」終いにはこんな噂も出た。こんなものは可愛い方でもっとひどい噂も数多出た。これはこれまで私が議員をやっていたり目立つ存在だったからと言うこともある。噂にするには格好の的だ。いじめは子供社会だけの問題ではない。大人の社会にも当然ある。まさに村八分とは良く言ったものだ。只、私の人生訓の中に「絶対に逃げない」と「人の悪口は言わない」と言う信念があった。これは何も今に始まった事ではなくこれまで生きてきた中で何に直面しても逃げない、逃げたら絶対に立ち直れないとわかっていたからだ。又、人の悪口を言うと周りが不快になるし自分も後ろめたくなり前向きにもならないと思っていた。だが多くの人間は噂好き「人の不幸は蜜の味」だ。こう言う状況だから新しく仕事を始めようとしてもなかなかうまくいかない。ご丁寧にわざわざ商売相手に噂を吹き込みに来る奴もいた。

 私は自分から弁解もしなかった。人の口に戸は立てられないと思っている。噂に弁解してもキリがない。正面切って質問して来る人間が入れば真実を伝えようと思っていた。しかしそう言う人も皆無だ。要は関わり合いになりたくないのだ。当然ながら周りから人はどんどん減って行った。しかし元来私は一人で酒を飲みに行ったりするのが好きなタイプであり、一人で過ごすのが実は好きであった。この点はやはり親子なのかリョウと似ているところがある。だからほっておくだけだった。とは言え収入がなければ生活は出来ない。今までの経験を生かし色々な会社の相談に乗り顧問として収入を得る事と不動産取引の仲介で収入を得た。不動産取引は水物だ。定期収入とは違う。もう一つ家計を支えたのは真里の塾の講師としての収入だ。それでもまだまだ足りずリョウもジュンも奨学金を受給した。大変な状況だ。ジュンの受験も控えている。我が家は最大のピンチを迎えていた。

 ジムに復帰しリョウと二人三脚で再びプロテストに向け再始動した。基本的な練習は変わらないが兎に角もう少し見た目の力強さが必要なので下半身はもちろんだが上半身の筋トレに力を入れた。プロテストのスパーリングは兎に角手数が重要だ。其のためのスタミナ作りも欠かせない。次のテストは10月だ。

 「リョウ。だいぶ良くなってるよ。自信持てよ。誰が何を言おうが関係ねーよ」「うん。わかってるんだけど悪リョウと良リョウが前よりも多く出て来るんだよ。それも悪リョウの方が多いんだ」「それって自分で全然意識してないのか」「全然してないよ」「そうか」私は首をかしげるしかなかった。

 リョウのトレーニングは続いた。そしていよいよ10月の6回目のテストの日を迎えた。

 「リョウ。リラックスして行け。いつも通りやれば大丈夫だよ。兎に角先に仕掛けて行け」「カーン」スパーリングの第一ラウンドが始まった。「あっ。サウスポーだ」私は舌を打った。「本当。ついてねーな」1ラウンド目が終わった。「まーまーだけど次のラウンド次第だぞ。こっちから攻めてけ。後はスタミナな」「カーン」第二ラウンドが始まった。若干相手に押され気味だ。「カーン」終了の鐘がなった。「はい。お疲れさん。シャワー浴びて着替えてこいよ」

 「微妙だな。正直ちょっと厳しいな。なんで自分からもっと積極的に行けないんだろう。やっぱり根っこは変わらないのかな」私は正直今回も厳しいと感じていた。何しろ後楽園ホールのレフリーは全てリョウを知っている。はっきりと成長が見えないとなかなかもはや受かる状況にはない。

 帰り際にリョウと遅い昼食をとった。「リョウ。もうちょっと自分から行かなきゃダメだよ。なんでもっと手を出さないんだよ」「えーそんなに悪かった。ちゃんと出来たと思ってるんだけど」いつになく強い口調だ。「まー明日になんないと結果はわかんないけど厳しいと思うぞ」「そんなー」

 翌日結果が出た。やはりリョウの名前は無い。

 「参ったなぁ。何て言うかな。まーいつも通り言うしか無いな」流石に気が重かった。「リョウ。ダメだったわ。でも絶対諦めるなよ。受かるまで頑張ろうぜ。皆んなを見返してやろうぜ」しかしリョウからの返事は無い。

 リョウはジムを休んだ。私はいつも通り自分のトレーニングに行った。行くと矢沢会長が「高杉さん。次もやるんでしょう」「えーやると思いますよ。リョウももう20歳何で基本的には任せますけど受かるまでやると思いますよ」「今ひとつなんだよねー。本当に力強さが無いからね」「そうですよね。手足が長くてガリガリだから見た目でも損ですよね。あれでもう少しおっかない顔でもしてりゃいいんだけどどっから見ても中学生位にしか見えないですからね」そう。リョウは恐ろしいほど幼く見える。スパーリング相手がビビるはずがない。「あーあ。優しくて癒し系で最高なんだけどな。ボクシングとは真逆だよな。まっ1週間位ほっとくか」ひとりごちた。

 「おいリョウ。そろそろトレーニング始めろよ」「うるせーな」「あっ。何だお前この野郎」リョウがこんな口の聞き方をするのは初めてだった。「どうしたんだお前」「えっ。何が」「何がってお前。今俺にうるせーなって言っただろう」「えっ言ってないよ」「はあ。お前おかしいんじゃねーの」「あーパパ。悪リョウが出たんだよ」「何だそれお前意識ないの」「そうなんだよ。最近悪リョウの方が多く出るんだよ」「大丈夫かよ。体動かせ。今日からジムに行け。汗かかないからだよ。汗かけばストレス発散にもなるしよー」「でもさっ。なんかもう自信ないよ。やっぱり悪リョウの言う通りなのかな」「お前。何弱気になってんだよ。ここで諦めてらんねーだろう。絶対に大丈夫。努力を信じろ。お前は人一倍頑張ってる。結果が出るのは人それぞれ時間が違うんだよ。お前は必ずこれから練習の成果が現れる。良リョウの言うことを信じろよ」「わかった」リョウの様子が以前にもましておかしくなってきた。精神的にも限界かもしれない。流石の私も頭を悩ました。ジムの雰囲気も日増しに悪くなっている。皆がリョウと私に呆れているのがはっきりとわかる。これまではリョウにとってジムはまさに自分の居場所の一つであった。しかし其の心の拠り所の居場所が居心地の悪いものとなっている。元来リョウは子供の頃から自分の居場所を見つけそこで自己コントロールしいじめなど嫌なことを乗り切ってきた。リョウのような発達障害の子にとって自分がホッとできる居場所と言うのは何よりも替え難いものなのだ。リョウの様子がどんどんおかしくなってきた。朝も起きてこない。声をかけても以前には考えられないような口の聞き方をする事が多くなった。普通の男の子なら親父に対して口答えするのはこの歳では珍しくないがリョウはそうではない。明らかに精神的に揺らいでいる状態だ。「これ位悪たれの方がボクシングはいいかもな」当初は心配したが視点を変えればこれも良しと考えるようにした。

 会長から電話が来た。「高杉さん。今協会にいるんだけどリョウの次のプロテストの事で話をしたらまだ受けさせないでくれって言うんだよ」「ちょっと待ってくださいよ。本人はやる気んなって受かるまでやってやるって言ってんですから。ここまでダメだけど頑張って来てるのを踏みにじるのは勘弁してくださいよ。ここで諦めたら今後の人生にも影響しますよ。もう一回話してください。お願いします」「わかりました。又、連絡します」電話が切れた。「冗談じゃない。ここまで頑張って今更ダメなんてあるか。絶対に努力は報われる。努力は嘘つかないって言って来たんだ何が何でもやってやる」

 数時間後「高杉さん。何とかOKしてもらったよ。最後は私も怒鳴りつけたよ」「すみません。ありがとうございます」「でも次こそ頼みますよ」「はい。頑張らせます。ありがとうございます」電話を切り「これがラストチャンスかもな」ひとりごちた。

 ジムの雰囲気は悪くなる一方だ。「どうせ次も受かんねーよ」「センスないんだからやめちゃえよ」聞こえよがしの悪口を言うものまで出て来た。「うるせーよ」リョウが言う。皆が目を丸くして驚いた。そりゃそうだ私同様みんなリョウに対しては大人しいイメージしか持っていない。悪リョウが頻繁に出るようになったのだ。「くそ。絶対に受かってやる。努力は必ず報われる。努力は嘘つかない」良リョウだ。この頃には悪リョウと良リョウがひっきりなしに出てくるようだ。又、それが相乗効果になって良い方に向いて来ているようだ。逆にいいかもしれない。次のテストは12月だ。あと1ヶ月だ。

 平成28年も12月に入りいよいよ今年も終わりと言う事で恒例のジムの忘年会が行われた。この席で事件がおこった。酔った年配の練習生が私に絡んできた。「だいたいよーボクシングは体育会系何だよ。ろくに挨拶も出来ねー奴が受かるはずねーだろ」「何だお前。うちのガキの事言ってんのか。うちのは最初と最後きちんと挨拶しとるわ。いつも後から来て先に帰ってる野郎が何言っとんじゃ。わかるわけねーだろう。オメーこそ酔っ払った時だけ声がでかくて普段はボソボソ何言ってかわかんねーんだよ」「うるせーよ何回受けても受かんねーガキはジムの恥なんだよ。受けさすんじゃねーよ」「何だとこの野郎」立ち上がった。途端に他の若い練習生たちが一斉に止めに入った。危なく乱闘になる騒ぎであった。

 忘年会もお開きになり私は一人で太郎に行った。「ちきしょう。皆んな勝手な事言いやがって。一番辛いのは本人なんだよ。どんな想いで頑張ってると思ってるんだ。リョウのことを何も知らねーくせに、小さい頃からここまでどんだけ苦労してると思ってるんだ。ふざけんな。どんだけお偉いか知らねーがよくもまー親の前で人様の倅の悪口が言えるよなー。信じらんねーや。あれで元市会議員だからな呆れるわ」そうこの男は1期だけ私と共に市会議員をしていた。酔っているとはいえ人様の息子をその親の前で平気でボロクソ言う輩は絶対に許せないし人間失格だ。

 突然目から涙が溢れ出した。「どうしたの高杉君」「いやー何でもないよマスター。只、悔しくてさー。こんな悔しいのはねーよ」私は飲んだ。そりゃそうだ発達障害と診断されてから特にリョウと必死に生きて来た。そしてリョウがどれだけ辛い思いをして来たかも知っている。そのリョウをボロクソ言われたのだから悔しさは計り知れない。

 その晩は泥酔し家に戻りリョウに「リョウ。今度こそ絶対受かろうな。皆んな見返してやろうぜ。ちきしょう。馬鹿野郎」「どうしたの」「リョウ。ほっときなさいもう寝てるから」「ガー」私は驚くほど寝つきがいい。

 二日後いよいよリョウのプロテスト7回目の挑戦の日だ。この日はリョウを含め3名のジム選手が受験する。計量が終わった。今回もリョウは最軽量。ゼッケンは1番だ。まずは女子のスパーリングだ。続いてB級ライセンスのスパーリング。いよいよリョウの番だ。「リョウ。兎に角自分から攻めて行け。もう皆んなお前の事はわかってるからこれまでとの違いを見せれば何とかなるからお前に足りないのは積極性だよ。思い切って行け」

 「カーン」第一ラウンドが始まった。「あっちゃーまたサウスポーかよ。本当ついてねーな」「カーン」1回目終了の合図だ。「リョウ。もっとガンガン行け。頭からは行くなよ。止められたら終わりだからな。最後はスタミナ見てるからな」「カーン」第二ラウンドが始まった。「もっと自分から行けよ」「カーン」あっという間に2回目が終わった。「はい。お疲れさん。シャワー浴びて着替えて皆んなのスパーリング見学しろ」リョウのテストは終わった。「参ったな。又、ダメかもしれない。あー頭痛テー」私の自己裁定では不合格だ。

 テストは終了したがこの日は知り合いのジムの選手の引退式がある為、私は一人後楽園ホールに残った。セミファイナルは元バンタム級日本チャンピオンの選手の引退式とファイナルは日本ライト級のチャンピオン戦だ。引退式もチャンピオン戦も素晴らしい内容だった。しかし心底楽しむ事はできなかった。それはそうだリョウのテストの結果が気が気でならない。私の中では今回もダメだと思っていた。今後の事を考えると頭が痛いのだ。後楽園ホールからの帰り道は憂鬱でしょうがなかった。「まっ結果は明日だ。今日は考えるのをやめてそっとしてよう」

 矢沢ジムは駅から自宅に向かう途中にある。「あっそうだ。今日もらったポスタージムに置いて行くか」何気にジムに寄った。「お疲れ様」ジムには女子プロ選手と女性トレーナーの高木の二人がいた。「ちょっと今電話があってもう今日のテストの結果が発表されてるって。何だかリョウ君の名前が載ってるとか載ってないとか言ってたよ」「えっ本当。だっていつも明日じゃない」「ちょっとネットで見てよ」私はスマホで協会のホームページを開いた、「んっ。あっ本当だ載ってる。ちょっと拡大して見るよ」そこには高杉リョウとはっきり記載されていた。「うぉー受かった。受かったぞ」「いやったー」「いやったーおめでとうございます」二人と握手を交わした。トレーナーが「よく頑張ったよ。普通2、3回落ちるとめげて諦めちゃうもん。いやー良かった」女子プロも「おめでとうございます。なんかめちゃくちゃ嬉しいです」「いやー本当にありがとう。早速リョウに知らせてきます」私はジムを出て自宅まで急いだ。「いやったーいやったぞリョウ」目からは涙が溢れていた。「ただいま。リョウいるか」「いるよ。なーに」「受かった。受かったよ」「受かったってプロテスト。発表明日じゃないの」「ところがもう発表されたんだよ。見ろ」スマホを差し出した。「あっ本当だ。受かった」「だろう。受かったんだよ。万歳。万歳」私はリョウを抱きしめた。「なっ。努力は必ず報われる。努力は嘘つかなかっただろう」「うん。本当だね」「よーしこれからも頑張ろう」「何だかリョウよりパパの方が喜んでるね」真里が笑った。ジュンは呆れていた。

  

息子

  平成28年幕開け

 結局プロテストはダメだった。夏から一生懸命やったけど残念な結果になってしまった。考えてみれば平成27年はうちにとっては最悪な一年だった気がする。父さんの落選、僕のプロテスト失敗など。まー父さんじゃないけどなんとかなるさで頑張るしかない。気持ち新たに新年を迎えた。

 僕ら家族は毎年正月は田舎の宮城県で過ごすことにしていた。しかしこの年は父さんは一人で家に残っていた。選挙の後始末やら色々ある見たいだ。正月を一緒に過ごさなかったのは初めてかもしれない。まー段々と家族の生活も変わって来るのは仕方ない事だと思うけどやっぱり寂しさはあった。来年はジュンも大学受験だからきっと田舎に来ないで家に残るだろう。そうなると母さんも家に残るだろう。誰も来なくても僕は必ず田舎に行く。これも僕のルーティンだから。田舎には爺ちゃんとあーちゃんがいる。爺ちゃんは80歳をとっくに過ぎてるけど元気だ。あーちゃんは歳はよくわからない。何で女の人は母さんもそうだけど自分の歳を言わないのかな。不思議でしょうがない。でも皆んなあーちゃんの事は「若い若い」って言ってるから若いんだろう。二人は僕がボクシングをやっている事には反対みたいだ。爺ちゃんが以前父さんに「お前。リョウにボクシングなんかやらせるなよ。リョウに合うはずないだろう。あんな優しい子に」「別に本人が好きでやってんだからいいだろう。大体男は武道、格闘技の一つでもやってた方がいいんだよ。議論しててもいざとなったらこいつぶっ飛ばしてでも分からせてやろうと思う時がある。そんな時腕に覚えがあった方が気持的にも優位になるんだ。まっ実際にやったらアホやけどそういう気持ちを持つのは大事だと思うよ。だから本人がやりたいならやらせる」こんな話をしてた時があった。何だかよく分からない理屈だけどそもそも僕は父さんが言うことには小さい時から何でもYESだ。ボクシングも父さんから「お前もやるか」って誘われたのがきっかけだった。でもやって良かったと本当に思っている。僕の大切な居場所になった。

 田舎は大好きだ。何がいいってやっぱりご飯が美味しい。家で食べてるのも同じお米らしいが全然味が違う。あーちゃんが言うには水が違うらしい。本当に美味しい。それと空気が美味しい。特に冬は寒いけど美味しい。これだけで満足だ。前は毎年スキーに行ってたけど色んなことがあって行けなくなった。でも又、いつか行ける様になると思う。父さんも必ず復活するし、僕も頑張る。なにせもう今年で二十歳になる。 

 この年の正月三が日は田舎でのんびり過ごしたが翌日家に戻り早速トレーニングを開始した。とはいえジムは5日からなので軽いランニングとシャドー、筋トレから始めた。父さんは正月の飲み過ぎでまだだらだらしていた。「いやー正月太りだ。2㎏太った」とか言っていた。僕は体質なのか正月休んでもほとんど体重は変わらない。「僕なんか休んでも全然変わらないよ」「あのね。若い頃は代謝がいいから太んないんだよ。俺だってお前の歳の頃は今より15㎏位痩せててめちゃくちゃカッコ良かったんだぞ。なあママ」「はいはい」相変わらずだ。「それよりリョウ。次の試験来月だよな」「うん。そうだよ」「あっと言うまだぞ。大丈夫か」「うん。大丈夫だよ」「よし。ジムが始まる5日から俺も始動するぞ。今度こそ頑張ろうな」「うん。わかった」僕の会話は短い。

 ジムが始まり本格的なトレーニングが再開した。再開したと言っても基本的にはこれまでのトレーニングと一緒だ。違うのは力強さがないので体感トレーニングと筋トレを増やした。あとはスパーリングしかない。僕は言われた事は昔からやる方だ。でもできる様になるまでは人より時間がかかる。これは小さい時から父さんに「リョウ。お前は人より時間がかかる。だからって卑下したり焦る事はないからな。継続は力なり。努力は必ず報われるからしっかり続ける事」って言われてた。僕は自分なりにやってるんだけど相手が嫌になって来るみたいだ。特に父さんはたまに「何回言ったらわかるんだー」「何でできねーんだよ」なんて切れる時がある。自分が焦るなとか言ってるくせにだ。僕だって頭にくる。時には「あー」とか言って切れてやる。そうすると父さんは「お前何切れてんだ」って言うけど先に切れたのは父さんだろうって感じだ。

 そんなこんなであっという間にテストの日を迎えた。場所はボクシングの聖地後楽園ホールだ。2回目とはいえやはりちょっと緊張した。今回は筆記試験はない。スパーリングのみだ。僕は体重が軽いのでいつも一番最初にスパーリングを行う。この日もそうだった。2Rのスパーリングを無事に終えると「リョウ。今日はこの前より良かったぞ」父さんが言ってくれた。実際僕も手応えがあった。正直この日のスパーリングは自分ではよくできたと思った。ところがだ翌日の結果発表で僕の名前は載ってなかった。父さんも心の中では何とかなったんじゃないかと思っていた様で結構落ち込んでいた。「リョウ。本当惜しかったよ。会長ももうちょいだったって言ってたぞ。次頑張ろう次だ」「うん。わかった」そうは言ったけど本当にショックだった。トレーナーの成川さんは5回も受ければ受かんだろうなんて言ってたけど勘弁してもらいたかった。「こっちの身にもなってくれ」

 3月に入ったら父さんに呼ばれた「リョウ。又、選挙に出ることになった。だから当分ジムには行けない。お前一人でできるな」「うん。わかった」何と又、選挙に出ると言う事だ。正直僕は父さんはあまり政治家に向いてないんじゃないかと思っていた。理由は優しすぎるから。何となく政治家のイメージに優しい人はいない気がしていた。まー強いて合っているのかなと思うのは前向きなところと信念の強さだ。

 そんなこんなで一人でのトレーニングが始まった。一人と言ってもジムには成川トレーナーがいた。僕は成川トレーナーを絶対的に信頼していた。次のテストは4月だ。今度で3度目。3度目の正直だ。正直に言うと父さんが朝練に出なくなってからは実は時々寝坊してさぼった事もあった。でも自分なりに一生懸命トレーニングは続けた。

 4月のテストの前日、成川さんが「リョウ。明日は俺も見にいくからな。今度は大丈夫だろう」と言ってくれた。毎日練習を見ていてくれた成川さんが太鼓判を押してくれたのだ僕も今度は行けると思って明日を迎えた。

 3度目のプロテスト。スパーリングも無難にこなした。結果は翌日。

 しかしまたしても僕の名前は合格者の中にはなかった。父さんがいつもの様に「リョウ。次だ次。絶対に努力は嘘つかない。努力は絶対に報われるよ」と言ってくれた。だけどこれで3度目だ。さすがに落ち込んだ。1週間程ジムを休んで行って見ると「そんなに悪くなかったぞ。何で不合格なんだ」成川さんが怒っていた。僕が成川さんに「又、頑張りますのでよろしくお願いします」と言うと「こんなんで諦めるなよ。絶対受からせるからな」「はい。ありがとうございます」そうだ成川さんも父さんも応援してくれている。僕は何でも時間がかかるんだと自分に言い聞かせた。

 

 プロテストが終わってちょっとすると我が家にびっくりすることが起きた。何と妹のジュンが書いた本が出版されると言うことだ。これには父さんと僕は驚いた。母さんは知っていた様だ。「リョウ。すげーなジュンは」「本当だね」「あいつ昔から本好きだったからな。あとこりゃパパの作戦がハマったな」「何それ」「いやーパパとママの仲人の所に昔遊びに行った時にリビングに本が一杯合ったんだよ。そしたらその人がみんなの目の付く所に本を置いとくと子供は必ず読む様になるって言ってたんだよ。だからうちは廊下と階段廻りを全部本棚にしたんだ。そうすればお前らも見ると思ってな」「ふーんそうなんだ」実際うちには小説とか本は沢山あった。「この作戦。見事にハマったな。お前はダメだったけど。でもこれからだよ。本は一生だから、俺だってこんなに読む様になったのは30歳を過ぎてからだからな。いやーでも本当にめでたい。皆んなに言わないとな。お前も友達に言えよ」「えー嫌だよ」「何でよ。可愛い妹だろうが」「全然可愛くない」正直ジュンとはあまり仲は良くなかった。父さんはジュンの本を沢山買って皆んなに自慢して歩いてた。ジュンは僕と違い勉強も出来た。ちょっと悔しかったけど選挙、プロテストと失敗続きだったので我が家にとっては久しぶりの明るいニュースだった。

 5月に入ると父さんの選挙も佳境を迎えていた。今度は比例区と言う選挙に出るらしく全国が対象という事だった。又、この選挙から18歳以上に選挙権が与えられるという事で僕も投票できた。母さんから「友達にも投票のお願いしてよ」と言われたけど元々あんまり友達はいないのでSNSで配信した。何だか今度の選挙は今までとは違うのが僕が見てもわかった。普通は町中に選挙カーが走っているんだけどこの選挙ではほとんど見なかった。何でも参議院選挙という事で規模がでかいのであまり目立たないそうだ。何れにしても僕が手伝えることはほとんどない。それに父さんから「お前は次のプロテストに向けてしっかりトレーニングしろ」って言われたのでこれまで通りトレーニングを重ねた。次のテストは6月だ。やる事は決まっている兎に角筋力をつけて積極的にスパーリングで打ち合う。プロテストのスパーリングは勝敗ではない。技術、スタミナを見る。要は手数を多くし積極的に打ち合い2R戦い続ければ合格する。自分なりには1回目のテストからやってるつもりなんだけど受からない。正直悩んでいた。「どうすれば受かるんだろう。言われた通りやってるつもりなんだけどな」そんな事ばかり考えていた。

 そして6月のテストを迎えた。結果はやはり不合格。「やっぱり僕はダメなのかな。才能ないのはわかってるけど何やってもダメなのかな」「お前。何言ってんだ。大丈夫必ず受かるから諦めるな。ここで諦めたら一生後悔するぞ」父さんは言ったけどさすがに4回目だ嫌になった。

 いよいよ父さんは選挙戦に突入した。この選挙は日本一長く期間は3週間だそうだ。この年は特に暑い日が続いた。選挙区は全国だがさすがに全国行脚は出来ない様で地元が中心の選挙の様だった。父さんは去年の選挙の時から目に異常をきたしていた。目と目の周りが真っ赤なのだ。原因はわからなかったが何れにしても辛そうだった。1年に2回も選挙をやるのだから疲れも出ていたんだと思う。僕は密かに期待していた。これで受かれば大逆転だ。

 父さんは連日連夜奔走していた。手伝いに来ている人達も一生懸命だ。でも手伝いに来ている人達がこれまでと違っている気がした。後で聞いたらどうやら党を変えたのが原因でこれまで来てくれていた人達が来てくれなくなったそうだ。それでも新しい人達が多勢手伝ってくれていた。感謝。感謝だ。

 しかし結果はまたしても落選。父さんと母さんはクタクタだった。そして誰より落ち込んでいたのがジュンだった。ジュンは友達に父さんへの投票依頼をしていたのだが結果は落選だ。格好がつかなかったのだろう。学校も2、3日休んでいた。これを見た父さんが更に落ち込んでいた。本当に最悪だった。でも父さんは直ぐに立ち直って色々動き始めていた。全くもってタフだ。僕も負けてられない。5回目のテストに向けて練習を再開した。今度は8月だ。

 成川さんからテスト受けてみろって言われちょうど1年がたった。あっという間の1年だった。自分でも随分筋力はついたと感じていた。言われた通りにやっているつもりでもあった。でも受からない。周りの人たちは全然変わってないと言う。何がいけないのか自分でも分からない。そんな思いのまま8月のテストを迎えた。

 結果はまたしても不合格。これで5回目だ。さすがにもうやめようかと思った。更に僕にとって大きな痛手が起きた。このテストの後、成川さんが怪我をしジムに来れなくなってしまったのだ。これにはさすがに参った。そしてこの頃からジムの雰囲気がおかしくなって来た。僕に陰口を言う奴が出てきたのだ。別に悪口を言われるのは小さい頃から慣れてるからどうってことない。でも父さんの事まで悪く言う奴だけは絶対に許せなかった。こそこそ話をしている奴がいたから言ってやった「てめーグズグズ言ってんじゃねーよ」みんな驚いていた。そりゃそうだ僕は大人しくて有名だったから驚くはずだ。この頃からだ僕の体に異変が現れたのは。自分が自分でなくなる時があった。父さんは「悪リョウと良リョウだ」なんて言ってたけど不思議な気分だった。父さんは最初心配している様だったけど途中からは笑っていた。「なんて奴だ」こっちはこれでも悩んでいたんだ。

 選挙の整理もつき父さんは9月からジムに復帰した。「リョウ。ビシバシ鍛えるからな。成川さんの為にも絶対受かるぞ。それが恩返しだからな。もう受かるまでやるぞ。言いたい奴には言わせとけ。関係ねーよ。わかったか」「うん。わかった」僕の会話は短い。

 父さんとのトレーニングが再開した。今度のテストは10月だ。成川さんがいなくなったぶん父さんはこれまで以上に厳しくなった。

「リョウ。もっと身体振れよ。何回言わせんだよ。そんなんじゃ又、受かんねーよ」練習中はボロクソ言われる。正直頭にきて時々切れる。「お前、何切れてんの。悔しかったら出来るようになれよ」本当ムカつく。

 9月6日。僕の二十歳の誕生日の日だった。父さんと初めて太郎に行った。

 「マスターこいつが二十歳だよ。笑っちゃうよね」「本当だな。はえーなー。ついこの間まで親父の足にしがみついてたチビがな。もう二十歳だもんな。俺らも歳とるはずだわ」「本当だね。ところでマスター生二つね。こいついっちょまえにビールが飲みたいんだって。笑っちゃうよね」「高杉君の息子じゃ飲むだろう」「どうだかね。でもリョウ。ボクシングやってるうちはあんまり飲むなよ」「わかってる」「いいねー親子で飲むなんて」「ねーなんだか夢のようだよ」父さんは僕と飲むのを楽しみにしてたみたいだ。でも初めてのビールは苦くて正直あまり美味しくなかった。そのあとに頼んだ酎ハイはなかなかいけた。

 そして10月。6回目のテストを迎えた。「いいかリョウ。兎に角自分から積極的に行け」「わかった」

 2Rのスパーリングを無事に終えテストは終了した。正直今回のスパーリングは良かったと思った。でも帰り父さんとお昼を食べている時に「お前何でもっと自分から行かないんだよ」とか散々言われたので「そんなに悪かった」と声を荒げてしまった。自分では良く出来たと思っていたから思わず荒げてしまったのだ。

 翌日結果が出た。不合格。父さんの言う通りになってしまった。

 「もう分かんないよ。僕なんかやっぱりダメなんだよ」「ちょっと待て。何言ってんだ。ここまでやってきて諦めるな。絶対に努力は裏切らない。俺を信じろ。まだ6回だろう。10回かかった奴もいるらしいぞ。諦めるな」父さんはこう言う時必ず僕を抱きしめる。僕はもう二十歳何だけど。でもなぜか父さんに抱きしめられるとホッとして落ち着くそしていつも「うん。わかった」と言ってしまう。「よーし次は12月だな。さすがに今年中にはなんとかしような」「うん」僕の会話は短い。

 7回目のテストに向けてのトレーニングが始まった。やる事は基本的には一緒だ。只、これまでの筋トレの成果かだいぶ力はついてきていた。あとは戦いなれする事が兎に角大切だ。

 テストを二日後に控えた夜。父さんがベロベロに酔って帰ってきた。「リョウ。絶対受かるぞ。頭きた。絶対見返してやるぞ」どうやらジムの忘年会で僕の悪口を言われたらしい。僕も父さんの悪口を言われると切れるが父さんも同じようだ。

 いよいよ7回目のテストを迎えた。「リョウ。もう何も言う事はない。兎に角自分のボクシングをしろ」「うん。わかった」ゴングが鳴った。相手はサウスポーだ。ついてない。「ジャブジャブ」相手のパンチをかわしボディだ。「ドスン」相手も攻めてくる。何発かもらった。でもこっちも打ち返してやった。2Rはあっという間に終わった。「お疲れさん。シャワー浴びて着替えて皆んなの応援しろよ」「わかった」「なんだろう父さん何も言わない」やっぱりまたダメだったのかと思った。着替えて戻ると「リョウ。俺は今日はこのあと知り合いの選手の引退式があるからこのまま後楽園ホールに残るから皆んなと先に帰れよ」「わかった」

 どっちにしても結果は明日。自分ではできたと思った。

 「バタバタバタバタ」父さんが帰ってきた。「リョウ。受かったぞ受かったぞ」「えっ何プロテスト」「そうだよ受かったんだよ」「でも発表明日じゃないの」「それがもう発表されたんだよ」「嘘」「本当だよ。見ろ」父さんがスマホを出した。そこには高杉リョウとはっきり写っていた。「やったー。パパやったー」「やったやった。なっ努力は嘘つかないだろう」「本当だね」「何。リョウ。受かったの」「うん。ママ受かった」「良かったねー。でもパパの方がリョウより喜んでるよ」「そうかな」「そうだよ。だってパパ泣いてるよ」「本当だ」

 やっと受かった。7回もかかった。1回目からちょうど1年だ。努力は嘘つかない。努力は必ず報われるだ。

  想い


 翌日正式にジムの会長から連絡が入った。結果は見事合格。直ぐに父さんに知らせた。「父さん。受かったよ」「よっしゃー。良くやった。ママ。リョウ正式に受かったぞ」「本当に凄いじゃん。あのリョウがプロボクサーねっ。何か信じらんない。一番小さくていつもいじめられてたのにね。びっくりだわ」「俺のおかげだな」「何言ってんのよ。リョウの頑張りよ」「そりゃそうだ」

 これで一つ目標達成だ。自分でもこんなに強くなるなんて小さい時には思ってもいなかった。考えて見れば僕にはいい「居場所」があった。持田先生のところ。うちの前の塾。そしてボクシングジムだ。特に僕みたいな発達障害の子どもには「居場所」は大切だと思う。持田先生が父さんに「兎に角父親と一緒にいる時間を増やしなさい」とアドバイスしてくれなかったら今の僕はいない。持田先生ありがとうございます。又、それをきちんと実行してくれた父さんに感謝だ。ありがとうございます。そしていつも親身に相談にのってくれた塾の先生にも感謝だ。ありがとうございます。会長。成川さん。高木さん。木滝さん。ジムのみんな。母さん。ジュン。そして僕を見守ってくれたみんなに感謝だ。ありがとうございます。

 父さんがある時こんな事を講演で言っていた。「子どもは徹底的に愛してやらなくちゃダメです。自分は本当に愛されているんだと子どもが実感すれば決して誰かをいじめたりはしなくなると思います。いじめを無くす第一歩が子どもを徹底的に愛してやる事です。それと「居場所」を作ってやる事も大切だと思います。「居場所」を自分で見つける子もいます。それができない子もいると思います。ですからそれを見つけるチャンスを与えてやるのは大人ができる事の一つだと思います。私の息子は言語の発達障害で自分の意思を伝えるのが苦手です。今だに会話はダメです。当然子どもの頃はいじめられました。でも彼は自分の「居場所」を見つけた。私にできる事はその機会。チャンスを作る事だけでした。結果彼はいじめを克服し楽しい学校生活を送りました。いじめは結局自分で克服するしかありません。ですがそのチャンスは我々大人が与えてあげられると思います。子どもを徹底的に愛してやる事。「居場所」を見つけるチャンスを作ってやる事。この2点がいじめを無くす大きな要素だと思います。そして最後に私は息子に常々言っていた事があります。それは努力は必ず報われる。努力は嘘つかないと言う事です。彼はボクシングのプロテストを6回失敗しました。普通は挫折します。でも彼は頑張りました。私の言葉を信じて。結果7回目で見事合格しました。いじめを克服するには最終的には本人の意思しかありません。それをくじけずにやり通す言葉をかけ続けてやるのも大切です。それも親の役目だと思います」

 正にその通りだと思う。会話は相変わらず苦手だけどとりあえずここまで来た。父さんもいつ再発するかわからない。母さんと妹もいる。障害何かに負けちゃいられない。




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