『イラスト奮闘録。イラストレーターになりたい、と走り続けた日々の物語』第8章「初めての連載依頼。春は来たけれど」

前編: 『イラスト奮闘録。イラストレーターになりたい、と走り続けた日々の物語』第7章「ブランクの時には」
後編: 『イラスト奮闘録。イラストレーターになりたい、と走り続けた日々の物語』第9章「パレットの年」

その1「初めての連載」

仕事が取れない日が続いていたある晩、
家に帰ったら留守番電話に「〇〇出版ですが」と言う
メッセージが入っていました。

すでにブランク歴1年半。
仕事の取り方も忘れた頃だったので、一瞬
「なにか懸賞に応募していたのが、当たったのかしら」
と思いましたが、実はこれは突然やって来た
初めての連載依頼でした。

久しぶりの仕事が、いきなり大手出版社での
連載だなんて「世の中は何が起こるかわからないし、
捨てた物じゃないかもしれない」と思いました。
そもそもこの仕事が来たきっかけは、私が
5年ぐらい前に送っていた作品ファイルでした。

本当は掲載を予定していた別の作家さんが
いたそうですが、急きょ不都合が生じた為、
編集部の方で過去に預かっていたファイルの中から、
仕事内容に適合する作家を改めて探した際、
私に行きあたったそうです。
その時送っていたファイルは、「この雑誌に私の絵が使われたら、
こんな風に描きたいな」と、実際に誌面に掲載された時を
想定して作った作品だったので、編集部の方でも
「採用したら、こういう風に描いてもらえる」とイメージ
しやすかった事が決め手だった様です。

それにしても、こんなに時間差で営業に行った効果が
現れることに驚きを感じました。
やっぱりこの世界は、予想不可な面白さがあります。
その結果、私はラジオの英語講座のテキストに
半年間イラストを描かせてもらえる事になりました。

このお仕事は、とにかく間違いがないようにと
考証が非常に厳密でした。
人物の衣装や小物、時代背景や、地図など、描く物に関しては
徹底的に図書館やインターネットで資料を調べてから描き、
加えて「この資料は何処からの出典か」も厳密に問われました。
それだけ、作品を送り出すと言う事は社会に対して
責任がある事なのだと言う事を、教えられた気がしました。

結果的にこの仕事では100枚以上の挿し絵を描きましたが、
個人的には反省する事の方が多かったです。
例えばラジオドラマの章のイラストでは特定の登場人物を
描いていたのですが、半年間の内でずいぶん
登場人物の顔が変わってしまった事が難点でした。

しかし、これにはちょっと裏事情がありました。
それは、今回編集部で発掘された私のファイルが
5年前の物であり、絵柄もその当時の古い物だった点です。
なので要求されたのも、この「昔の絵柄」。

実は絵と言うのは、同じ人間が描いていても年月とともに
ずいぶん変化していきます。1年も経過したら大分変ります。
ましてや5年前の物となると…自身の作品とは言え
思い出しながら似せて描くだけでも至難の業でした。

なので未だにこの仕事を思い返しては
「ああ、もっと上手く描けたら良かったのに!!
折角のチャンスだったのに!!」と悔いばかり残っています。
それでも当時は120%の力を出して、毎回真剣に
描いていました。だから余計に、力が伴わないのに大きな
仕事を取ると、返って自分の至らなさが身に染みて
辛いと言う事を痛感しました。
この教訓は、後々も私の活動に大きな影響を及ぼしました。

また技術だけではなく、事務的な面においても
考えさせられる機会がありました。
と言うのは、郵送して先方に渡していたイラストの原画を
大半紛失されてしまった事でした。
約100枚描いて、戻ってきたのは30枚ほどです。
通常はすべて返却されるので、これは驚くべき事態でした。

原因は連載終了後に、担当編集者さんが
体調を崩して辞められた事でした。
後を引き継いだ方が、原稿の管理までは請け負って
いなかったらしく、待てど暮らせど、原画が戻ってきませんでした。
しかも出版社に2度ほど電話をしても「わからない」
との対応です。ようやく3度目に「自分で探してみます」と
言って下さる方が現れたのですが、見つけ出せたのは
ほんの一部だけ…と言う状態でした。

この事件を機に「原画は郵送せず、全てパソコンから
送ろう」と決めました。大仕事は決して喜ばしい
側面ばかりではなく、反動もまた大きい。
こうして少しずつ、少しずつ、色々な事を
苦い思いをしながら改善しては、進んでいきました。

その2「2度目の個展を開催する」

2003年9月、初個展の時にお世話になった
ギャラリー神宮苑さんで、2度目の個展を開催しました。
そしてこの展示は、初個展以上に緊張を強いられるものでした。
何故かと言うと、初めての展示の時は興味本意で
来て下さった方も多く、またどんな内容になったとしても
「まぁ初めてだから」と言う温情も、多少はあったからでした。

しかし2度目になると「この道で本当にやっていく気なんだな」と
活動自体が一種の信頼を伴う物に変わるらしく、
実際に会場でも「初めにイラストレーターになると
聞いた時は正直心配しましたが、今日の展示を見て安心しました」
と言うご意見を、数多く頂きました。
みんなそんなに心配していたのか…。やっぱり。
しかし気付いたら、イラスト活動も8年目です。
連載の仕事もして、展示も徐々にこなし、なんとなく
安定してきたような雰囲気が出てきていました。
なので見に来て下さった方々もひと安心。
ついでに私もひと安心です。

実際に、この時は「イラスト人生に春が来た」と思っていました。
やはりやる気になれば、こうして何度でも
個展を開く事が可能だとわかったし、大手出版社で
半年間も連載を持てば、絶対に大きな影響があるはずだ。
そう信じていました。

しかし今では春が来ていたのは、私の頭の中だけ
だったと言う事も、わかります。
結論から言うと、この時の個展はかたち的には成功でした。
沢山の人に来て頂いて、沢山の褒め言葉と、
沢山の笑顔を見ました。それに綺麗な花束や贈り物も。
まさに可もなく、不可もなく。そして手応えもなく。

そう。一週間の会期を終えた直後に感じたのは
「全然手応えがない」と言う虚無感でした。
こんなに幸せなのに、贅沢な話です。
でも初個展の時の方が、まだ達成感はあったし
次の仕事に繋がる話もありました。
けれど今回は、終わったら何も残らなかったのです。

「このままだと、私は何度展示を繰り返しても、
ただ同じ所をグルグル回っているだけなんじゃないか?
これ以上、先には進めないんじゃないか?今いる場所は
頂点ではなくて、逆に私の限界地点なんじゃないのか…」
今まで勢いに乗じて、どんな時も「進めば上に行ける」と
信じて疑わなかった私が、薄っすら先が見える事の
恐怖を初めて感じたのが、この展示会の最終日でした。


その3「もう一度、勉強し直してみようと思う」

個展終了から、翌年春までの半年間は
比較的活動が安定した日々でした。
けれど個展最終日に感じた、漠然とした不安を
裏付けるかの様に、これだけ大きな仕事をし
展示を行っても、次につながる新しい依頼が来る事は
全くありませんでした。
次第に「私の技術や仕事方法には、何か欠点があるんじゃないか」
と、不安は募っていきました。

そんな折、ちょうどこの連載終了と同時に
非常勤で長く働いていた歴史史料館の仕事も
辞める事になり、8年間続いてきた生活のリズムも
一変を余儀なくされました。

なので「春からは生活環境も変わるし、時間だけは
沢山あるし。どこか絵の学校に行って、もう一度しっかり
勉強し直してみようかな」と思い立ちました。
早速いくつか気になっている学校の資料を取り寄せ、
あれこれ調べた結果、築地にあるパレットクラブ・スクール
と言う、イラストの学校に通ってみる事にしました。

もしこの時期、仕事の依頼が沢山来ていたら
「私の絵はこれでいいんだ」と思い込み、改めて
勉強し直してみようとは、思わなかった気がします。
そうしたらきっと、いつまで経っても同じ所を
グルグル回ってばかりで、そのまま終わっていたかもしれません。

でも活動8年目にして、限界を知りました。
「一から仕切り直そう」
この回り道はきっと、これからの私に必要な糧に
なると信じて。


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