35年間いつも側にいてくれた人と別れたいと思った理由【5】勇気を出して初告白

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10年前の春、私は鬱になり、生きる気力を失った。


その時、この結婚生活に、しがみつく意味があるのか?


自問自答して、(離婚しよう!)という、結論に達した。


そして、意を決して、ヒロに

「離婚して欲しい」と、告白した。



当時のヒロの反応はと言うと、

「どうして、そんな事を考えているの?これから一人娘が、小学校に上がり、成長していく過程を、家族として見守ろうという時に‼︎」

と、私の気持ち等おかまいなしに、強くはね除けられた。



確かに、言われてすぐに、

「はい、そうですか。」

と、素直に受け入れられる話ではない。


どうして、そう思うようになってしまったのか?


原因を探って、私の気持ちが、もち直せるように、私が、(これがイヤ!)というポイントを、少しずつ改善していけるように、努力するから!という事で、そのまま結婚生活を、続行した。



その後、3年するうちに、義父母の介護レベルは、ドンドン高くなっていく。



ある時、娘を連れて親子3人で、休日のレジャーを楽しんでいた所、家を出てから2時間後位で、ヒロの携帯に、義母から電話が入る。


「あんた達、今どこ?」


「○○(駅名)の近く(JRの駅で、3つ離れた場所)だけど、何?」


「まだ、そんな所に居るの⁉︎

 お父さん、トイレだから、早く帰って来て‼︎」


と、家に呼び戻される…。



こんな事が、日常繰り返される様になり、私は心の中で、

「私達親子は、お義父さんのトイレ番なの⁉︎」

と、叫んでいた。



それから、ほどなくして、夕飯後に、何故かリビングに、大便の匂いが充満する事態が発生。


だが、誰も真相に突っ込めず、口を噤んでいた。


お義父さんは、

「チャーの奴、どっかで(ウンチ)やってんじゃねぇのか!」

と、愛猫のせいにしていたのだが、寝る時間になり、ヒロがいつものように、おぶってベッドへ運ぼうとした時、事は発覚した。


お義父さんが、全く無意識のうちに、大便を漏らしていて、汚れて気持ち悪い筈なのに、その事にも、気付いていなかったのだ。


それほどまでに、お尻の筋肉も緩み、肌の感覚も、鈍ってきていたのだ。



それから、何回か同じ事が起きたが、毎回、本人は気がつかない。


周りの人間が、臭いで気がついて、

(もしや⁉︎)と、思って確かめると、粗相をしているのであった。


出てすぐなら、まだ処理も比較的、楽なのだが、時間が経って、こねて、こびりついてしまってからでは、ケアする方も、される方も、お互い、相当しんどい。


そんな時の処理は、必ずヒロがやってくれたので、私が直接、お義父さんの汚物に触れる事は無かったのだが、毎回、それをやられては、いくら息子でも、参ってしまう。



お義父さんは、もともとプライド高い人だし、頭はハッキリしてるので、最初はどうしても、紙オムツを嫌がって、履いてくれなかった。


再三再四、妻と息子に説得され、やっとオムツを履いてくれる様になった。



かと思えば、こんな事もあった。


普段は、身体が不自由なので、ほとんど外出したがらない両親を、毎年、年2回は、お墓参りに連れて行くのが、定例となっていた。


その時もお義母さんは、お気に入りのスーツっぽい服を着て、たまの外出を楽しんでいた。


が、事件は起きてしまった。



無事、御墓参りを終えて、何か美味しい物を、食べて帰ろう!という事になり、車で食事処への移動中、お義母さんが、

「トイレのある所に入って‼︎」と、

ヒロに声をかけたのだが、すぐには見つからず、やっと見つけたマクドナルドの駐車場に、車を停めるも、時すでに遅く、今度は義母が、粗相をしてしまった。


一瞬にして、大便の臭いが、車内に充満し、義母は、恥ずかしさと悔しさで、顔を真っ赤にしていた。



そのままでは、家に帰る事も出来ないので、私と娘は、徒歩で往復小1時間の場所にあった、ドラッグストアーで、タオルやら、消毒グッズやら、替えの下着になる物やらを、探して買い与え、車内に付いた汚物やら、お義母さんのケアやらをし終わると、どんなに頑張っても、取れない匂いの車で、娘を移動させるのは可哀想だからと、ヒロに促され、私と娘は、電車を利用して、なんとか家路に向かうこととなった。



その後、車は勿論クリーニングしてもらったのだが、なんとなく匂いが抜け切れていない様に感じてしまう。


家族の誰もが、トラウマになってしまう事件だった。


あれに懲りてか、その後は、二人共「お墓参りに連れてって」とは、言わなくなってしまった。



亡くなる何年か前までは、介護ヘルパーさんも、入れてなかった。


私が本気で離婚を考え始めて、相談に行った役所の方が、私の話を聞いていて、

「ご両親が、伺った話通りの状態なら、ヘルパーさんに入ってもらう事、充分できるので、少しでも、皆さんが楽になるなら、使ってみてはいかがですか?」と、ヘルパーさんの介入を促してくれたので、

「他人を家に入れたがらないんです。」と

答えると、

「皆さん、最初はそうですよ。」

と、言って、介護レベル認定の手配をしてくれた。


後に、お義母さんには、

「私達の面倒を看るのが嫌で、嫁が無理やり入れた。」


と、言われてしまうのだが、やはり、ヘルパーさんには、入ってもらえて良かった。



だが、それはそれで、納得いかない事も、多々あったのだが、肉体的な負担は、確かに少し軽減できた。


それに比例して、精神的負担は増してゆくのだが…。



初めて、離婚したいと告白してから、丸3年後、私は2度目の告白をする事となる。



    


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35年間いつも側にいてくれた人と別れたいと思った理由【6】勇気を出して2度目の告白

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