『イラスト奮闘録。イラストレーターになりたい、と走り続けた日々の物語』第11章「イラスト活動、なぜかまたふりだしに戻る」

前話: 『イラスト奮闘録。イラストレーターになりたい、と走り続けた日々の物語』第10章「花開く、ポスターのお仕事」
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その1「とりあえず経済的な基盤を整える」

コツコツと地道に努力してきて、それなりに
形になったかの様に思えた10年間。
才能の豊かさは欠けていたけれど
それでも「頑張れば何とかなるかも」と、前向きに
思えた日々でした。

これから先は、今までの基盤を元に順当に
上に登っていけると、何の疑いもなく
思っていました。が、しかし。事態は相変わらず
思うようにはいかず、なぜかイラスト活動は
活動11年目にして「ふりだしに戻って」しまいました。
 それはなぜかと言うと…。
話は2006年の春から始まります。
大きな仕事を頂いても、そこから次にはつながらず
更に営業に出向いても、全然仕事につながらず…。
その結果「イラストだけで、ご飯を食べて行くのは困難だ」
と察し、まずは経済的な基盤を整える為に
再びイラスト以外の仕事をすることにしました。
 こうして見つけてきたのは、某アート系施設での
受付業務でした。ここは美術と関りが深い仕事
だったので、絵画や工芸品にずっと携われるし、
全国各地の最新アート情報も目にすることができる、
まさに勉強しながら働ける、理想の職場でした。

待遇は不安定なアルバイトの立場で、お給料も
安かったのですが、それでも定収入があるのは
フリーランスとしては非常にありがたい事でした。
 同時に、その施設に訪れる人々を見ていると
自然に「アートに興味がある人たちって、どういう方
なのかな」と言う事も、少しずつわかってきました。
例えば、絵が好きでアートに熟知している様な
人ばかりでは決してなく、日常生活からの気分転換として
絵を見たい人とか、斬新な感性に触れたい人とか、
はたまた単なる時間つぶしにとか、その理由は
まさに千差万別でした。
 そしてそこから、漠然と「アートはもしかしたら、
専門分野の人たちよりも、こうした一般の人の目に
触れる率の方が、高いんじゃないかな。
だとしたら、そういう人たちの心にとまるようなモノを、
描く事が大事なのかもしれない」と、そんな
『世の中の需要と、自分の作品との関係性』の様なものを、
この仕事を通じて掴めてきた気がしました。


その2「装画塾に通う、装丁を学ぶ」

この年の春、青山ブックセンターで開催されていた
装丁家S川さんのトークショー
「本の顔の作り方」を聞きに行き、改めて憧れの
装丁(この場合、主に本の表紙の事)の仕事が
してみたいと、思いを新たにしました。

折しも、そのS川さんが「装画塾」と言う名で6回ほど
装丁についての専門講座を開催されたので
早速申し込み「装画塾1期生」となった私は、
他の12名のイラストレーターの方々と共に、
そこで色々な事を学びました。

この塾は、S川さんの温かい人柄のせいか、
かなり楽しい内容で、そのため私たちも心置きなく、
様々な疑問や質問を、ぶつける事が出来ました。
そして全ての講義が終了すると、今度はS川さんが
私たちの作品を実際に装丁してくださり、それを基に
「装画塾展」と言うグループ展を開催しました。

またこの頃は、色々な方に作品を見てもらうと
「オリジナリティの毒が出てきている」などの
評価を頂けたものの、そこから先
「どうしたらもっと『面白い絵』が描けるのか」と、
伸び悩んでいた時期でした。なのでこの装画塾は、
その答えを見つける、一つの突破口としても
大きな刺激を貰えました。

 
その3「下北沢でルポを描く。これが次のサイクルのきっかけになる」

この年の夏、パレットでお世話になった
イラストレーターの森本美由紀先生が
「下北沢で刊行されているフリーペーパーが
あるんだけど。この冊子をより一層充実させるには、
もっとイラストを多用するといいと思うのよね」と、
ボランティアで作品を描いてくれる人を探していました。

ちょうどこの頃、時々イラスト付きの日記を書いたり、
学生時代にこの界隈でバイトをしていて、土地勘が
あった事などから、私も「よかったら描いてみては?」と、
声をかけて頂きました。
この時の心境を正直に言うと、その冊子に作品を
描くよりも、森本先生と一緒に活動できる事の方が嬉しくて、
二つ返事で承諾し、こうして始まったのが冊子
『シモキタ スタイル』での活動でした。

結論から言うと、この活動は約1年間続きました。
当時先生の声掛けで集まったのは、イラストレーターとして
既に仕事をしていた人や、これから活動を始めたいと
言う人まで、キャリアも絵柄も実に様々な6名の人達でした。
でも総じて、お洒落でかわいい子が多かったのが
印象的でした。

先生の描くジャンルが「ファッションイラスト」と言う領域だった
せいもあり、先生に憧れる人はお洒落な子が多いのだなと、
改めて思いました。(イラスト界は同じ絵の世界でも、
ファッション系や絵本系、ルポ系など描くジャンルによって、
割と作家のタイプが明確に異なる気がします。特に
ファッションイラストの領域は『お洒落な人は、お洒落な絵を描く』
と言う、格言をそのまま体現した人が多い気がします)
 みんながそれぞれの持ち味を生かして、色々な内容の
作品を自由に描かせてもらえましたが、その中で
私が担当したのは街歩きのルポでした。
毎回カフェとか、古着屋さんとか、おもちゃとか、
テーマを決めては、自分の足で歩いて見つけた
素敵なお店を紹介していました。
なのでこの頃は週1~2日ペースで、ずっと
下北沢に入り浸っていました。

でも活動自体は楽しかったけれど、ここでの私を取り巻く
環境は、イラストレーターになったばかりの頃に
通っていた、編集プロダクションと酷似していました。
アットホームな感じの編集部や、スタッフが少人数で
構成されている点。打ち解けやすくて楽しいけれど、
その内に原稿を描くだけではなく、冊子の配布とか、
色々とイラスト以外の作業も「ボランティアの内だから」と
頼まれるようになってきた事など…。

今思うとその程度のお手伝いは、進んでしても
構わないものでしたが、この時は
「どうしてふりだしに戻っているんだろう、私?」と、
すごいジレンマを抱えてしまいました。
 だって自分は10年頑張ってきて、色々なスクールに
通って勉強もして、そして大きなお仕事も頂いて
「さぁ、これからもっと上に行くぞ!」と信じて
意気込んでいたはずだったからです。
なのにどうしてまたイラストレーターになった頃と
同じような状況になって、新人の人たちと同じように
扱われているのか。

考えれば考えるほど「なんで?」と思わずに
いられませんでした。もしかしたら、少し自分にも
奢りがあったのかもしれませんが。
 けれど後から振り返ってみると、この時の私は
今までとは全然違う、新しいジャンルの作品を
発表する直前の状態でした。
当の本人ですら、この下北沢での活動がこの先
どんな芽を出し、どれだけ自分に力を与えるのかを、
全く予期していませんでした。

だからある意味『スタートラインに戻った』と感じたのも
決して間違った感覚ではなかったのですが、当時は
やはり先が見えず不安でした。


その4「シモキタ スタイル展」

冊子『シモキタ スタイル』は、ボランティアの
お仕事だったので、原稿料が無料なのはもちろん、
交通費や、記事のための飲食費など、経費類も全て
自分持ちでした。
その事を気に留めて下さったのか、冊子の編集長さんが
「お礼に」と、当時その方が下北沢に所有していた
ギャラリーを、無料でみんなに貸してくれました。

こうして2007年1月に開催されたのが
「第1回シモキタ スタイル展」でした。この時、私は
絵具で下北沢の人々や、情景を描いた作品を4点作成しました。
作品についての評価は、可もなく不可もなくと言う
感じでしたが、今まではずっと原宿界隈で展示を
していたので、場所が変わると客層や雰囲気も
微妙に変わるものだなと、そんな事を新鮮に感じていました。
 

その5「だけどスランプな日々」

シモキタ スタイル展の開催と同時期に、
バレエ教室の体験ルポの仕事を行いました。
きっかけは当時使っていたSNSで、ルポが描ける
イラストレーターを探していると言う記事を
目にした事でした。

「今やSNSからも、仕事が取れる時代なのか」と
当時はその事が妙に新鮮でした。そして実際に
教室に行って、バレエのレッスンを受けて描いた
この作業は、なかなか楽しかったです。
「ルポは自分の性に合ってるかも」と思えた仕事でした。

11年目は、外交的にはこうした色々な種類の
活動をこなした1年でしたが、逆に自分自身の方向性は
上手くつかめずにいました。
大きなポスターの仕事をしたけれど、その方面から
新たな仕事依頼が来るでもなく、装画塾に通ったけれど
実際に装丁の仕事を取れたわけでもない。
ルポは性に合っているけれど、それがやりたい分野なのか
まだ良く分からないし、下北沢の活動に至っては、
ふりだしに戻ってしまった感じがする…。
 
自分の軸が定まらず、ぶれまくっていました。

更に自分が「これだ」と言う道を、見極められずにいる内に、
周囲の友人たちは着々と大きな賞を取ったり、次々と
装丁のお仕事をこなしたり、と確実にレベルアップして
先に進んで行きました。
なのに私は描きたい方面に進めない。
ものすごく焦るけど、どう進んでいいか、
考えれば考えるほど、わからない。
 
悩んだ挙句、全ての事が八方塞がりになり、
とうとう何も頭に浮かばず、ついに描けない状態に
なりました。そしてこの先3か月ほど、筆を置くことになります。
どんな事にも負けない心意気で、仕事を始めたのに…。

何も描くことが思いつかないなんて、初めての出来事でした。


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