運命なんてきっとないよ。ー出会って10年・交際0日で結婚したあいつとの話ー

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君と出会ったのは、10年前。この街の人混みがまだ物珍しかったあの日。



3月に生まれた街を出て、新しい生活をスタートさせた18歳の4月。知った顔が誰もおらず、日本中いろんな土地の方言が飛び交うその教室で私は、ひとり自分の指定された席に腰をかけていた。

この中の五分の一はゴールデンウィークまでに辞めるのか...とネットの掲示板でみた学校のうわさを思い出す。

私の入学した専門学校は、新宿の一等地にそびえ立つ銀色のビル。日本では有名なファッションの専門学校だった。見渡す限り自分のアイデンティティを身にまとったような人ばかりで、私は尻込みをしそうになる。

高校の同級生たちはその日から人生の夏休みが始まるというのに、私は猛烈な課題と授業に追われる予定で、ついていけるか不安で、それでも憧れ続けたこの東京の、有名な学校にいま自分がいる、ということで胸がいっぱいになっていた。

自己紹介や入学の手続きなどを一通り終わらせ、その日は終了。本格的な授業は土日が開けた月曜からだ。


私は荻窪駅から徒歩3分の母親と見つけたワンルームマンションに帰る。まだ日は暮れていない。

ベットに寝転びながら、クラスメートの自己紹介を思い出す。

個性を全開に出すものも多く、何人かは名前と顔を覚えた。元来人の名前を覚えるのが得意だったので、その辺りは余裕だった。帰り際には金髪の女の子に話しかけられもした。

多分、友達関係は問題ないだろう。

ただ、いろんな地域の方言が飛び交うのにはかなりの疲労感を感じていた。自分自身が標準語に慣れていないということもあったが、まるで海外にいるみたいだった。

気がついたら、私は普段着のまま眠りについていた。


授業が始まって1週間。予想通り友達は何人かできたが、針も糸もまともに触ったことのない私は授業についていくのがやっとだった。

したことのない家事をこなしながら毎日授業を受けるのは、想像以上に労力を要したが、なんとか私はその日その日を過ごしていた。

その週の金曜日、早速クラスを仕切っているらしい年上の女の人が、みんなで親睦会を開こうと言った。つまり飲み会だ。

私は仲良くなった女の子2人が行くというので、出席に丸をつけ、渡された紙に電話番号を記載した。



親睦会は新宿の東口で開かれた。東京の居酒屋は初めてだったが、これは田舎とさほど変わりない。

40名ほどの参加者のみんなが思い思いに酒を飲み、会話をする。1週間のうちに話せなかった人とも話せて、とても有意義だったと思う。

二次会はカラオケに行くと幹事の女の人が仕切る。仲良しの2人は家が遠いのでここで帰ると言った。私は行くかどうするか迷ったが、その日初めて話したがなかなか気の合った女の子に誘われて一緒に行くことになった。

人前で歌うことも別段苦じゃなかった私は、いつの間にか乗せられて色んな歌を歌わされていた。年齢も出身地もバラバラな人ばかりだが、音楽は国境を越える、のかーー。

その時、私たちの部屋の扉がバーン! という大きな音を立てて開いた。私はびっくりして歌うのを止める。安っぽい伴奏だけがその場に鳴り響いた。

皆の注目を集めてしまったその張本人は、イェーイ!といって顔を真っ赤にして叫んでいる。そして、数人の同級生に羽交い締めにされてじゃれ合っていた。

私は一緒にきた女の子に「あいつ、だれ?」と聞くが、速攻で「だれやろ」と返された。

どうやら同級生のようだが、全く記憶にない。

あらかた酔っ払っているのだろう、と私はそのまま歌うのを続けた。


私らの出会いは、こんなもんだった。運命の人に出会った時はビビッとくる!なんて言うけれど、そんなものはない。

そんなものがあったら、どんなにわかりやすかっただろうか、と思うが、やっぱり本物の人生は月9のようにはいかないんだろうな。

とにかく、私の第一印象はつまり、第一印象にもならないくらいの印象だったのだ。


ーーーーー

新しい生活が始まって2ヶ月が経った。学校中に知り合いができ、忙しくも充実した生活をおくっていた。予想通り、80人いたクラスの三分の一は授業についていけず休学や退学をし、高い入学費を無駄にしているようだった。

そして、カラオケの時に騒いでいた同級生とはあれ以来すっかり仲良くなり、学校の日も休みの日も、ほとんどの日を一緒に過ごすようになった。なぜか落ち着く、と感じていたのは、きっとお互いに周りが田んぼだらけの田舎出身者だからだろう。

そいつはあの日はあんなに騒いでいたけれど、実は内気で恥ずかしがりの男の子。どうやら酒に弱いらしい。(顔が真っ赤だったのは、照れと酒の両方)クラスでもまったく目立たないため、親睦会の日まで存在に気がつかなかった理由も頷ける。


そして、あの後、カラオケで私が入れたマイナーなバンドの曲に、ノってきてくれたのもこいつ。

だれも知らないだろうと思っていたので、正直びっくりした。

音楽だけじゃない、とにかく気が合ううちらは、周りからはよく「兄弟みたい」なんて言われていて。それをお互いに悪くない、と感じていたと思う。

二人とも、憧れた都会生活になんとか慣れようと必死だった。だけどどうしても疲れてしまうので、二人でいると田舎生まれの独特の安心感があった。それはまるで、兄弟というか家族のようだった。

どちらもある程度の仕送りはもらっていたものの、服を作る生地代にまわしてしまうのでお金に余裕がなく、パンの耳を学校の購買でもらったりしていた。あの頃は私たちの人生で一番貧乏な時期だったと思う。

朝まで二人で課題をすることも、よくあった。

1年生の夏休みが終わる頃、私が一人では終わらせられる自信のなかった課題を手伝ってもらった時があた。シャツのボタンホールの穴かがりをしなければならず(本当はミシンに付属でつけるアタッチメントを使うとすぐなのだが、お金がなくて買えなかった)、手縫いでボタンホールの縁を刺繍していた。これはかなり時間のかかる作業だ。


学校のこと、音楽のこと、いろんなことを話しながら糸と針を動かす。誰が誰を狙っているとか、あの曲は名曲だ、とか。一人だったら途方もない作業だけれど、二人だと不思議と手も進んだ。

ただひたすら、布に糸を通す。難しいことを考える必要は、一つもなかった。

私がやっと5個分のボタンホールの縁を縫い終わった頃には、夜は明け、すっかり朝日が差し込んでいた。

「終わったーー!」

先に作業が終了した私はジャーンと言って自分のシャツを広げる。するとあいつはなぜか大笑いをし始めた。

必死に手縫いで作業をしていたためか、刺繍の糸が手垢で真っ黒になっていたのだ。

「きたねーー!」

ビルとビルの隙間から、オレンジに染まった朝日が差し込む。あの日の朝日は、東京で見た景色の中で一番美しかった気がする。隣ではあいつが、頰を上げて笑っていた。

私たちはこんな風に笑って、笑って、辛い学校生活をなんとか乗り切っていったのだ。


ーーーーーーー

私たちは無事初年度を終え、2年生に進級した。仲のいい友達は皆クラスがバラバラになり、少しだけ不安になったが本来の目的は友達を作ることではないことに気がつく。

というか、私は誰彼構わず仲良くなれる習性を持っていたので、そこまで不安がることもない。心配なのはあいつの方だ。また新しいコミュニティで、一から友人関係を築くのは一苦労だろうなあ、と、親睦会のカラオケを思い出し、なんだか笑えてくる。

案の定私は初日から友達ができた。同じ県出身ということで共通点の多い子で、しかも可愛い。私は自分から話しかけ、お昼を一緒に取ろうといった。

なんでも県内の大きな整骨院の娘らしく、振る舞いも私とは違ってどこか上品だった。身につけているものも高そうだった。私がいつも通りカップ焼きそばだけで済まそうとすると、彼女は驚いていた。そして、私が寄り付いたこともないワゴン販売の並ぶ道路にしようと言う。私は正直痛い出費だ……(と言ってもお弁当一つ500円なのだが)と思ったが、友好関係を結ぶために仕方なく従った。

話してみると、彼女は箱入り娘だったのか、男性経験がほとんどないと言う。モテると言うよりは自分からガツガツ行くタイプで、高校生の頃からほとんど彼氏が途切れたことのない私にとっては信じられない話だった。

「なら、いい人がいる、紹介しようか」

今でも変わらないのだが、変に他人の面倒を見たがるのは、私の悪い癖だと思う。まるで、失恋をした、恋人が欲しい、と嘆いている親戚に対し、すぐ見合いを勧めてしまう叔母のようだ。

もちろん頭に浮かんだのは、あいつ。ルックスが飛び抜けて良いわけではなかったが、お酒も弱いが、センスがあって背も高く、何と言っても心の優しい人材だ。

そして二人を会わせ、数日後には付き合うことになっていた。ことが運ぶのが早すぎて、紹介したのは自分だが困惑していた。だが、素直に二人を祝福した。

それが、19歳の春。

彼女は経験の無さからか、お嬢様気質だったのか、仲良くなっていくにつれその「性分」が明らかになっていった。悪い子ではないため私もあいつも言うことを聞いたが、困ったのは「他の女の子と仲良くしないで」という言い分だ。もちろん、紹介した私であっても。

クラスは違えど、同じ校舎の隣の教室で過ごしていた私たちは、顔をあわせることは日常茶飯事だ。1年生の時のように(まるで兄弟のように)じゃれ合っているところを見られたものなら、彼女は誰も手のつけられないくらい不機嫌になった。もちろん、紹介をした私でさえも。


廊下ですれ違っても言葉を交わすことすら躊躇をしなければいけない。もちろん学校外で会うことはゆるされない。

そんな生活が続いたある秋の雨の日。

私とあいつはたまたま喫煙所に二人で居合わせたことがあった。

「おう」

「ん」

なんとなく気まずい雰囲気を醸し出しながら、隣に座る。少しだけ肌寒いが、まだ羽織物は必要ないくらいだ。

「最近どう?」と私が聞く。

「ダメ、全然お金が足りない。デート代が大変」とあいつが漏らす。

「彼女お嬢様だもんねー、うちらみたいな生活じゃ満足できんでしょう」

そう言うと、あいつはハハッと声だけで笑った。

その時、次の週の週末にうちらの好きなバンドのライブがあったことを思い出す。そいえば、といって誘おうとしたが、彼女のことが頭をよぎって口をつぐんだ。休みの日に二人で会うなんて、あいつの彼女が許すはずがない。


どうして、友達と普通に話すこともできないのか。

どうして、休日に誘うことも許されないのか。

仕方がないことだけれど、納得がいかないのは誰のせいなんだろう。


なんだか悔しい気分になってあいつの顔を見ると、懐かしい笑みを浮かべていた。雨が簡易的に作られた布の屋根を伝う音が聞こえる。

私の頰には、気がついたら雨よりも暖かい水滴が伝っていた。鼻の上あたりが赤くなるのがわかる。あいつは焦ったように「どうしたーー」と聞くが、理由はわかっているようだった。

「俺も今の生活は不本意だよ」

そう言って強すぎるくらいの手つきで頭をわしわしする。

「イタイイタイ」

そう言ってちょっと笑って顔を上げると、あいつの目も少し赤くなっていた。

まるで、あの日の酔っ払っていた時のように。

同じ気持ちだと言ってくれたことで、私は彼女の理不尽な束縛を耐えられるような、そんな気がしていた。


そこから卒業をするまでは、あの雨の日以前よりかは心が楽だった。家族のように思っている相手がいくら誰のものになっていても、それを目の前にしなければいけなくても、心がざわつくことはなかった。これが「実は自分も恋していました」なんてオチだったら、もう気が気ではなかっただろう。

多分、大好きなお兄ちゃんが居たとして、もし彼女を紹介されたら、こんな気分になっていただろうと思う。

きっと、家族のような愛なんだって、そう思って過ごした。


そうして2年がすぎ、私たちの学生生活が終わろうとしていた。相変わらずあいつは彼女に振り回され、私はそんな二人を近くで見てきた。就職難で誰一人就職先は決まっていなかったけれど、一つの目標を終えたようで私は満ち足りた気分でいた。

東京の生活にもすっかり慣れ、人ごみを歩くのも上手くなっていた。歩く速度もどことなく早くなり、私は21歳になろうとしている。

卒業式の後、私たちは1年生の時のクラスの仲の良かったメンバーで久々に集まる約束をしていた。一通りの事務作業を終え、同級生と写真を撮り手を振って、私は新宿の居酒屋へ向かった。

店には懐かしい顔ぶれが並んでいた。

私は、たかだか3年しかたっていないのに、なんだか10年来の友達にあったような気分になった。

あいつも、相変わらずみんなの中で顔を真っ赤にして笑っている。この3年間のことを、皆が思い思いに話していた。

心地よい風が吹く、3月の夜だった。


気がついたら、もう始発の走る時間になっていた。へべれけに酔っ払ってみんなで千鳥足で朝の新宿を歩く。

隣には、あいつがいた。

「なんか、ちゃんと話したの久しぶりだな」

「そうだね」

少し照れ臭くなって、私は俯いて答える。しばらく黙って歩いて顔を上げると、オレンジに染まった朝日が、ビルの隙間からさしていた。

「なんか、パズルのピースがはまったみたい」

そう呟くと、どういうこと?とあいつが聞き返す。

私はその時、なんだかパズルのピースがはまったみたいな気分になっていた。なんでだかはよく分からない、けれど、その言葉があまりにもしっくりきたことを覚えている。

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