貧困、レイプ、エイズ孤児...100万人のスラム街に生まれても、どうして神を信じられるのかをナイロビで聞いてきた話

2014年、春。私は会社をやめて、ケニアの首都ナイロビに来ていました。

貧困、飢餓、紛争......などのイメージがあるアフリカの中でも、ナイロビは都会です。

泊まったホテルのスタッフは正規品のiPhoneを持っていて、民族衣装でなくVOGUEかELLEから出てきたようなファッションで街を歩く女性がいて、ラップトップを持ち歩くスーツのビジネスマンがいて......ファーストフード店や大型のショッピングモール、ヒルトンホテルが立ち並ぶ町です。

中心地のビル群は日本の大都市に見劣りません。

ただし、日本の都会とは明らかに違うものが、ナイロビにはあります。

それは、100万人以上の人々が暮らす「スラム街」。

スラム街は、簡単に言えば「不法居住者の地区」です。国から見れば「許可もなしに勝手に住んでいる奴ら」と同じ。よって、住民は国民健康保険や年金などの行政的支援を一切受けられず、法的には「いない」のと一緒です。

日本にも、住所不定の人々が仕事や寝床を求めて集まるような地域はいくつか存在しますが、それが100万人以上の規模で、その中で自治組織もあって...となると、もはや日本生まれ・日本育ちの我々にはなかなか想像できないのではないでしょうか。

2014年5月、私はナイロビにあるいくつものスラム街のうちでも、最も規模の大きい「キベラスラム」を訪れていました。


キベラスラムのゴミだらけの道を歩いていると、前からニコニコしたおじさんがやってきて「Mjingo!!」と大きな声で言いながら私にハイタッチを求めてきました。

私はよくわからず苦笑しながらおじさんとハイタッチをし、彼は笑いながら去って行きました。

「あれはね、酔っぱらい」

スタディーツアーのコーディネーターであるHさんも、苦笑いしながら教えてくれました。

Mjingoというのはスワヒリ語で「ばか」という意味です。まだ朝の9時過ぎのことでした。


キベラスラムは、100年以上の歴史を持つ"伝統ある"スラム街です。

その朝の喧騒の中を、私たちツアーの参加者11名は、前後2人ずつ、計4名の銃を持った警官に護衛されながら歩いていました。銃と言っても日本の警察ドラマのような片手で扱う小さいものではなく、いかついライフル銃です。

そのへんで子供たちが遊んでいたり、酔っぱらいがいたり、洗濯おけで洗濯をするお母さん、ポリタンクを持って水の列に並ぶ人々、料理のための「炭」を売る炭屋さん、甘い匂いのするチャイ(ミルクティー)とマンダジ(揚げパン)屋さんを眺めながら、スラム街の奥へ奥へと歩いていきます。


途中で、壁にペンキで描かれた絵がありました。漫画のようにコマ割りがしてあり、スワヒリ語で台詞や説明書きが書いてあります。

絵の中では、小さな女の子がボロボロの服で、泣いている様子......病院へ行く様子......

それは、レイプされた後の対処法を啓蒙する壁画でした。

スラム街では、わずか2〜3歳の子もレイプされることがあり、あまりに小さい子は自分に何が起こったのかすら理解できません。

レイプに遭ったらどのような行動をとればいいか、このように壁画にする啓蒙活動のほか、演劇にしてスラム内で上映するという活動もあるようです。


レイプされた子供の中には、エイズに感染してしまった子もいます。そもそも母親からの感染で生まれながらにエイズを患い、母親が亡くなってしまった「エイズ孤児」と呼ばれる子供たちも大勢います。

そんな中、銃を持った警官に警護されている私たちには、どんな子供も「ハウアーユー?」と屈託なく挨拶をしてきます。ハロー、でもなく、スワヒリ語のジャンボ、でもなく、なぜか全員がハウアーユー?と挨拶するのです。ずっとハウアーユー、ハウアーユーと歌うように繰り返しながら私の後をついてくる子供たちと一緒に、更にスラムの奥へ向かうと、それまで狭くひしめいたトタンの家屋ばかりだったところに、急に広くひらけた場所に出ました。


そこはグラウンドで、土の上で思い思いにボールで遊んでいる子供たちがいます。

コーディネイターのHさんが「ケニアのフットボールナショナルチームは、全員スラム出身なんです」と教えてくれました。


そこから、目的の学校まではすぐでした。Hさん自身が設立した、スラム街の中の学校です。

下は5歳ほどの子から、17,18歳ほどと思われる高校生までたくさんの子供たちが通っています。

正確な人数は覚えていませんが、恐らく100、200人、もっと多くの子供たちが通っていたはずです。

私たちはその学校の設備を見学させてもらい、それから歓迎会を開いてもらいました。

歓迎会では、小学校低学年くらいの子供たちが「カンガ」と呼ばれるカラフルな伝統の布をまとってダンスをしてくれたり、大きい子供たちも歌を歌ってくれたりしました。

歌は、ケニアに60以上ある民族のうち「ルオ族」という民族の伝統の歌や、それに10年ほど前にキベラスラムで暴動が起き、ここにいる子供たちの親もたくさん殺害された......そんな時につくられた歌などでしたが、悲しい出来事から生まれた歌だからと言って、悲しい顔をしている子は1人もおらず、ただただ皆日本からやってきた私たちのために、真剣に歌ってくれました。

私も、かつて小学校の頃、学校にやってきた有名人のために歌を歌った時、こんなに一生懸命やっていなかったなと思い出しました。

そして、歌もさることながら、ダンスや音楽が、本当に学校でやっているだけなのか、驚くほどに全員が上手なのです。日本に連れてきたら、全員即プロのダンサーやミュージシャンとしてTVに出れるよ!というくらい。


これは、場の雰囲気で感動したからそう思ったという話ではなく、本当に向こうの人はダンスが上手なのです。誰に教えられたわけでもないのに、特に腰回りの使い方が異様に上手。

スラム街に限らず、どこの街でもそのへんの道端で子供たちが踊っているのを見かけます。(これもめちゃくちゃ上手です)

このケニアの旅の中で、スラム街でなく都市部で、夜に20代の子たちと飲みに行ったりクラブに行きましたが、多分日本の若者とは比べ物にならないレベルで、皆踊るのが上手です。今のところ、ダンスの下手なケニア人は見たことありません。


歓迎会の後は【①スラム街のお宅訪問 ②小学生の子供たちと遊ぶ ③高校生の生徒と先生方を交えてディスカッション】の3つのグループに分かれました。

私は③のディスカッショングループへ。もう一人のツアー参加者の男性と教室に入ると、校長先生はじめ2名の先生と、4名の生徒たちがいました。

お互いに自己紹介をし、さて、何についてディスカッションしようかと校長先生が言いました。

ファーストトピックとして、どうかなと不安に思いつつ、私はその場にひとつの質問を投げかけました。


TSUBAKI yuko
あなた方はクリスチャンで、神を信じていますよね?
校長先生
(アイコンがあれなのですが、実際はケニア人の男性です)
そうです。毎日お祈りも欠かしません。
TSUBAKI yuko
私たち日本人は、形式的には仏教徒が多いですが、ほとんどの人間は本当の意味で神様を信じていません。クリスマスを祝うのも、宗教行事でなく、ただ酒を飲んで騒ぎたいからです。
校長先生
ええ、それにについては以前Hさんから少し聞いたことがあります。
TSUBAKI yuko
はい、私も、特に何の神様も信じてはいません。信じていないというより、神はいないと思っています。
校長先生
......
TSUBAKI yuko
なのに、神を信じているあなた方が貧しい国に生まれて、神を信じない私たちがお金持ちな国に生まれているという事実がありますよね。先生方は、神は不公平と思いませんか?どうして神を信じていられるんですか?


ずっと尋ねてみたかったことでした。

一日中働いても1ドルも稼げない人が大勢いる、生理用品を買うお金ほしさに売春をする女の子がいる、人を見るだけで卒倒してしまうほどの人間不信になってしまった男の子がいる......

そんなスラム街の環境の中で生まれ育って、どうして神を信じていられるのだろう?


校長先生は、穏やかに頷きながら、その場の生徒たちに意見を求めました。

「この中で、神を恨んだり、責めたりしたことがある人はいますか?」

......生徒も先生も、誰も手をあげませんでした。

それは、私の質問にショックを受けての沈黙とか、そんなことではなく、本当に、そこには自分の境遇を神に恨んだことのある人は誰一人いなかったのです。


そこで校長先生はこう言いました。

校長先生
神は、偉大で完璧です。神のやることに、欠点はありません。
校長先生
日本には、たくさんのテクノロジーがある。世界でトップテンに入るような素晴らしい企業や、最先端の科学技術、そして、それによって世界中からたくさんのお金が集まってくる。
TSUBAKI yuko
はい。
校長先生
では、神は私たちに何をくれたでしょうか。
TSUBAKI yuko
......
校長先生
神は、私たちにも素晴らしいものをくれたのです。それは音楽やダンスという喜びです。
校長先生
神は、日本にはお金やインダストリーを与え、ケニアには音楽や踊る喜びを与えました。

なので、日本はケニアに産業や知識を与えて、ケニアは日本に音楽やダンスや喜びから生まれる幸福を与えれば、世界がうまくいくように神はこの世界を創ったということです。

私はその時、それまでの資本主義的、拝金主義的な自分の価値観をとても恥ずかしく思いました。

その後も「レイプされる、親を亡くすなど酷い境遇のなかで鬱になったり自殺を考える人はいないのか(または自分自身が自殺を考えたことはないのか)」という質問を投げかけると、それについても誰も手を挙げず、考えたこともない、という答えでした。


私は、日本で鬱病にかかり何度も死のうと自殺未遂を繰り返していた自分の生活がよくわからなくなりました。


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