別れ話

著者: さとおじ
以前、付き合っていた彼女のことを題材にするなんて、自分でも未練がましく思うし、今の彼女に失礼な気もするが。
今の彼女には重々承知してもらっているので、ま、いいだろう。
そう、例のVOGUE のモデルだ。
国籍は中国返還前の香港だったので、イギリス。
3 歳の頃から日本で育っている。
5 つの言語を操り(日本語、北京語、台湾語、上海語、広東語)、中国圏アジアならどこでも通用する。
実の母親はすでに亡くなっており、80 歳以上の父親とその親族が生きていた。
一度離婚し、再婚したが別居中。
それぞれに、一人ずつ子どもがいる。
だが、会える状態ではなく、夫は離婚調停にも応じない様子だった。
二人が出会ったのは、私が23 か24 歳の頃。
3~4 歳年上だった。
きっかけは、私が勤めていた外車屋の社長が亡くなり、その愛人であった彼女が私と付き合うことになった。
しかし、彼女の身上を考えると、そのときの私には荷が重すぎた。
まるでこぼれ落ちてくる砂を両手で受け止めようと必死になっているが、指の隙間からどんどん砂がこぼれ落ちていくような感覚だった。
だが、彼女は強く、私に重たさなど微塵も感じさせまいと気丈に振舞っていた。
年上ということもあるが、彼女は何でも知っていた。
私の世界観や、人生を大きく変えた人だった。
私は、二度ほど香港へ行っている。
一度目は、母親の墓参りと彼女が家族と会うために誘われ、ついて行った。
二度目は、父親の死だ。
どうやら向こうの薬事法違反で捕まり、留置場で息を引き取ったらしい。
彼女の父親は、結構ワイルドな人生を生きてきたらしく、中国が共産党支配になるときに海を泳いで香港に来たらしい。
また、日本にいるときは芝公園の有名中華料理レストラン、留園で総料理長を務め、その後自分の商売で失敗しているらしい。
また、あるときは中国人留学生のビザ発行か何かの商売で、ヤクザに追われたことも。
このとき、彼女はチンピラにホテルに監禁されたが、ドアを蹴破り自分で脱出したらしい。
彼女もまた、ワイルドな人生を歩んで来たのだ。
そんな彼女と香港に行ったとき、私はその頃ロレックスのコピー品にはまっており、フリーマーケットなどでたびたび高値で売り飛ばしていた。
もちろん、時間を見つけてはコピー品業者とやり取りしていたのだが、ある業者にビルの10 階まで連れて行かれたその時、アタッシュケースを開けるとそこには品質の悪いコピー品ばかり。
私は、「これでは買えない」。というと、部屋のカギが閉められた。
ふと気付くと男が3 人、右手に大きなマイナスドライバーを持ってこっちに詰め寄ってくる。

私は終った、と思った。

その矢先。
彼女がなにやら広東語で、男たちにまくし立てている。
すると…部屋のカギは開けられ、無事生還。
あの時何を言っていたのか彼女に聞いたら、「私は日本人の買い付けガイドよ!!このバイヤーに何かあったら、二度とここには来ないわよ!!」
と、言ったらしい。
だてにサバイバルしていない。
彼女の日本での仕事は、モデルでもあったが主な収入源は夜職だ。
まぁ、その美貌から主に芸能人や金持ちしか相手にしてなかったようだが。
最後は、二人で離婚届を偽造し、6 ヶ月後くらいに私の電話が鳴る。
「こちら、多摩中央警察署刑事課の知能犯係です。」
「○○さん、任意同行願えますでしょうか。」
容疑は「公正証書原本不実記載」「有印文書偽造」。
度重なる取調べと証拠品提出の後、私は東京地検に書類送検される。
そして、警察官が強く私に念を押した言葉は…
「今後一切あの女に近づくな。もっと大変なことになるかもしれない。わかったか」
私は幸い起訴を免れたが、彼女はその後どうなったのか今でも気がかりでしょうがない。
そして二人は別れた。

著者のさとおじさんに人生相談を申込む