介護を現実のものとして考えていく【その十・決断】

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前編: 介護を現実のものとして考えていく【その九・見学】
後編: 介護を現実のものとして考えていく【その十一・在宅医療】

義母が最初の担当医に言われたことを思い出す。


施設に預けるとなると、お母さんの心のどこかで「自分の夫だし私が面倒見たい」という気持ちと「手放してしまった」という気持ちが絶対出てくると思います。


この思いはずっと消えていなかった。


例えどのような状況になろうとも「手放した」「見捨てた」という気持ちを抱え続けていく可能性があることを義母は恐れていた。


例え特養(特別養護老人ホーム)であれ、ほとんど入居は難しいとされる老健(介護老人保健施設)であれ施設に預けるという行為そのものが、表現はよくないが【自分の手で夫をあやめること】となんら変わりがないのだ。


確かに当たり外れさえしっかり見極めれば、施設にいるほど安全なことはない。


周囲の家族も少し気楽にはなれる。



だが最近よく耳にする「熟年円満離婚」のような、互いのプライバシーに関心を持たない夫婦関係ならばいざ知らず、毎日のように当たり前に顔を突き合わせていた夫婦が突然会わなくなるというのはお互いに不安なはずだ。


無論お金の問題もある。


期限のわからない施設生活。


普通に夫婦二人で生活するなら経済的に困ることもないだろうが、施設が絡んでくるとなると話は別だ。


決して一筋縄ではいかない。


葛藤する様々な気持ちを、母は第三者の立場であるソーシャルワーカーに切々と語っていたのだ。



日を置かずしてソーシャルワーカーからこの話を聞かされることになるわけだが、血を分かち合った娘である妻はもちろんのこと私でも義母の本音は薄々は分かっていた。


それを口にしなかっただけのことだ。


夫婦が介護で共倒れになることを危惧して施設を勧めていたわけだが、夫婦という絆の前ではあまりに説得力に欠けていた。


義母と娘は何度か言い争っていたような気もする。


というより娘が一方的に責めてしまう形になっていたかもしれない。


それでも義母の気持ちは絶対に変わらないと理解したところでようやく娘が折れた。


施設を利用しないとなれば帰るところは一つしかない。


家だ。

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