④ 無一文で離婚した女が女流官能小説家になり、絵画モデルとなって500枚の絵を描いてもらうお話 「夏のグループ展に出品した絵は?」

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 岡村と付き合い始めの頃、

(彼はもしかしたら童貞? )

 と私は思っていた。

 そのくらいいつも彼は、もじもじおどおどとしていたのだ。

 私と向かい合うと、身も世もあらぬ…と言うほど恥ずかしそうだった。

 彼は、女性に憧れるあまり童貞。

 一生独身のまま、あの古びた洋館にこもって絵を描き続けている画家さん…。

 そう思っていた。

 もちろん、アトリエに通いはじめても、指一本触れられたことはない。

 午前の11時に彼の町の駅改札に着くと、彼は笑顔で両手を大きく振って出迎え、歓迎してくれる。

「すいません、お待たせして!」

 その日は1時間も遅れてしまったのだ。

 彼は、恥ずかしそうに答えた。

「い、いいえ、なんでもありません。僕、待つのは好きなんです。待つ間、その人のことを想っていることが出来るから…」

「まあ」

 だいたい私は人を待たせて怒られてばかりいるので、彼のこの言葉には感激した。

 こんな風に言ってくれる人もいるんだ…。

 アトリエに行く前に、駅近のデパートでランチ。

「藤先生とこうして向かい合うと、僕上がってしまって…」

 恥ずかしそうに、震え声で告げた岡村は、

コーヒーに砂糖を入れようとして指が大きく震え、スプーン三杯もの砂糖を、すべてテーブルにぶちまけてしまったのだ…。

 あっけに取られていると、

「す、すいません、すいません…」

 真っ赤になり、懸命に謝りながらこぼした砂糖をかき集めている。

 まるで中学生!!!!!

 

 その頃の彼は、子供も一緒によく遊びに連れて行ってくれた。

 動物園、ディズニーランド、映画…もちろんすべて費用は彼が出してくれ、子供にも、

「今度はおじちゃんとどこに行きたい? 」

 と超やさしかった。

 井の頭公園に行った時のこと。

 夕方近くのお寿司屋さんに入った彼は、

「デパートに行きましょう」

 と近くのデパートに連れて行ってくれた。

 そこで、財布から何枚かの一万円札を抜き出すと、

「これで僕ちゃんに、好きなものを買ってあげてください」

 と私に渡すのです。

 

 子供が玩具を選ぶ間、私が焦れて、

「まだ、早く選びなさい!」

 と叱ると、

「まあまあ、子供は選んでいる時が一番楽しいんですよ。ゆっくり選ばせてあげてください」

 にこにこして実に気長に見守っています。

「お釣りです」

 あまったお金を返そうとすると、

「これっぽちのお金です。恥をかかせないでくださいよ」

 とどうしても受け取らない。

 

 その日は一緒に電車に乗って、私のアパートの前まで送り届けてくれた。

 駅を降りたところに果物屋さんがあって、イチゴやリンゴ、ネーブル…店灯の光に輝く美味しそうな果物を、

「なんでもお好きなものを買ってください」

 選ばせてお土産に買ってくれました。

 彼は果物を選ぶとき、一種独特の癖があって、果物を手に取るとひょいと裏返し、後ろの方を鼻先に持っていって匂いを嗅ぐのです。

 そしておごそかに、

「これは熟れていておいしいですよ」

 と告げます。

 岡村のその言葉は、いつもぴったり当たっているのです。

 アパートの門の前まで来ると、

「じゃあ、僕はこれで。今日は本当に楽しかった。ありがとう」

 笑顔で告げます。

「先生、これから電車を乗り継いで多摩の家までお帰りなるのたいへんでしょう」

 気使うと、

「いえ、独り者です。そのくらいなんでもありません」

 爽やかに微笑んで、くるりときびすを返すのです。

 夜の静かな歩道に、彼の黒い上着姿の背が、遠ざかっていきます。

 なんて紳士的でやさしい方…。

 その頃はそう信じていました。

 

 ※ ※

 アトリエにラテンの曲が流れています。

 私の持ってきたCDです。

 透き通ったばら色の布を素肌にまとって、私はポーズをとっています。

 バストを隠した半ヌードの上半身を、岡村は描いていました。

 初夏のグループ展にむけて、絵を製作していたのです。

「ステキですね」

「おきれいです…」

「肌が美しい…匂うようだ」

「見とれてしまいます」

 描きながら、彼は褒め言葉を口にします。

 密室のアトリエで彼から褒められ続けるうちに、自分から、もっと美しい私を描いて欲しい! 女の欲望が突き上げたんです。

「岡村先生、こうしたほうが、いっそう色っぽいポーズになりません?」

 じょじょに自分で布地をずらして、露出を多くしてしまいました。

 最初は隠していた、両の乳房まであらわにしてしまったんです! 自分から…。

 その時の彼の驚いたような視線。

 でも私は、もっともっと私の美しい部分を描き表して欲しい!

 私の姿をあまさず描きうつして残して欲しい。

 そんな女の欲望が、花開いてしまったんです。

 しかも、彼から、ある時アトリエで、

「男性を誘惑する時は、どんな表情をなさるんでしょうか」

 と言わて、

「さあ、こんな感じでしょうか」

 彼を見つめて微笑みかけました。

 その途端、彼がぞくっとしたように、背を震わせたのを覚えています。

 その結果ーー。

 初夏の展覧会に出した絵は、前を見てあやしく笑いかけながら、自分の指で布地を持ち上げ、乳房を見せている。

 そんなとんでもない絵になってしまったんです!

 

ーー夏の銀座の展覧会。

 画廊の入り口には、出版社や銀座のクラブからの花輪が並んでいます。

 岡村が所属するグループ展の画家は、イラストレーターや挿絵を描いている人が多いのです。

 みな顔見知りです。

 驚いたことに、岡村は、誰彼なしに自分の絵の前に先生方を引っ張ってきて、

「僕の絵どうでしょうか? きたんのない意見を聞かせてください!」

 と聞いてまわっているんです。

 びっくりしました。

 同時に、

(恥ずかしいっ! 岡村先生、なぜあんなことをなさるのかしら?)

 ものすごく憤慨して腹が立ちました。

 私はぷりぷり怒って、その日彼によりつきませんでしたーー。

 会場を出て、二人で入った画廊近くの銀座のティールーム。

 彼はまず、

「藤先生、どうして僕の横にいて、絵の評判を聞いていてくださらなかったんですか!」

 噛み付くように問いただしました。

「だって、恥ずかしいんですもの。…私がモデルだと丸わかりの絵ですよ。何人もの人に、あの絵はあなたがモデルでしょうと、聞かれましたよ」

 私の方だって怒っています。

「モデルの気持ちも考えてください!」

「そうですか…恥ずかしいんですか」

 彼は唇を噛んでうなだれました。

「岡村先生こそ、どうしてあんなに色んな人を絵の前に連れてきてたんですか?」

「それは…」

「それは、なんとしてでもいい絵が描きたい。その一心で聞きまわっていたのです。せっかく先生を書かせていただいているのですから」

「で、どう言われました?」

「それが」

 声を落とした彼は、

「汚い絵だと、言われました…」

 無念そうに唇を噛み、肩が悔しそうにわなわなと震えています。

「せっかく、描かせていただいているのに…僕の力が及ばなくて、すいませんっ…」

 テーブルに手をついて頭をすりつけ、涙をにじませて謝るのです。

「岡村先生、私だって悔しい…それに、どうしてあの絵がだめだったのか、わかっています」

 

 私が告げると、彼は顔を上げました。

 私も名画の条件とは、色々研究してわかったことがあります。

「モデルが笑っているから、ダメだったんですわ。絵の表情は凛としていなくちゃダメだったんです。それか、謎めいているか…どちらかじゃないと。媚びて笑っちゃいけなかったんです」

 私は告げました。

「岡村先生、深川散歩に行って、偶然路上でバラの花の品評会が行われていたとき言ったじゃありませんか。お花はどの花もみんなきれいだ。でも、賞を取るのは格の高い花なんだよ、って」

「表情だけの問題です。今度は表情に気をつけて新しい絵を描きましょう。ポーズはエロチックでいいんです。表情だけ、何を考えているかわからないか、凛としているか…そこに気をつければ、きっといい絵が描けますわ」 

 岡村はぱっと顔を輝かせました。

「本当ですか? では、これからも絵を描かせてくださるんですか?」

「ええ、私だって悔しいですもの。新しい構図で描いてリベンジしましょう! そして、みんなをアッと言わせましょうよ」

 彼ほど美しい女の絵を描ける人はいない。

 彼は天才なのだ。

 きっと描ける。

 みんなが驚嘆して、口々に賛美する絵が。

 

 次の秋のグループ展に向けて。

 二人で新しい絵を研究模索する日々が始まりましたーー。

 私だって悔しい。

 意地でも秋の展覧会でリベンジするのだ!


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