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17/5/18

⑤ 無一文で離婚した女が女流官能小説家になり、絵画モデルとなって500枚の絵を描いてもらうお話 「ポーズを決める」

Image by Olia Gozha

 



 

 表情さえ気をつければいい。

 そう思った。

 凛とした表情か、謎めいているか、憂いのある表情か。

 どちらかで描こう。

 スナップ写真のように笑っていてはダメなのだ。

 表情さえ品があれば、絵はうんとエロチックでいいのだ。

 秋の展覧会には、2枚まで出品できることが決まっていた。

 

 どんなポーズにするか。

 まず、これを決めないといけない。

 

 二人で美術館をたずね歩き、画集で名画と呼ばれる絵の数々を見て、研究しました。

 本屋には、モデル写真が掲載された「画家のためのポーズ集」が出ていて、その中にもヒントになるいいポーズがあります。

「一枚はアラビアンナイト風で行きたいと思う。僕、女性のあの衣装がエキゾチックで大好きなんだ」

 ハーレムの女性は、人気のある題材で、ドラクロアやルノアール、多くの画家たちが描いています。

 もう一枚がなかなか決まりません。

「私はこれがいいと思うわ、どう?」

 私が見せたのは、ある有名な画家の画集にあった、油絵の裸婦。

 髪を無造作にアップにした女性が後ろ向きに座って、背中と臀部を見せた裸婦像です。

 その元絵では、足の下に白い布を流して敷いていました。

 裸婦に白い布をどこかに添えるのは、絵の鉄則です。

 裸婦の肌が画面になじむのです。

「いいね」

 彼も賛成しました。

 同じポーズを描いても、同じ絵になる心配はありません。

 不思議なことに同じポーズを描いても、画家が違うとまったく違う絵になるんです。

 さっそく裸婦の座りポーズから描くことになりました。

 

 腰まで届く長い黒髪を金色のバレッタで簡単にアップ。

 白いシーツを敷いたマットの上に、足を横流しにくずして座り、後ろ姿を見せます。

「その手を髪に持っていって」

「もうちょっと顔をこちらに向けてー」

「視線はこの位のところを見て」

「もうちょい下に」

「上向けてー」

 彼が次々と指示しながら、色んな角度で24枚とりの写真フイルムを2本撮ります。

 30分で出来上がる現像屋さんに持って行き、その間にデパートの食堂で食事。

 写真を受け取ってアトリエに帰りポーズを検討します。

「これがいいんじゃない?」

「そうだね、女らしい曲線だね」

 二人でポーズを研究するのは、無類に楽しい時間でした…。

 

「よろしくお願いします」

「お願いします」

 互いに礼をしてから、製作開始。

 後ろ向きに座って、全裸の座りポーズ。

 アップにした髪に、片手をあげて添えています。

 岡村はアルシュの紙をとめておいたイーゼルに向かい、デッサンしていきます。

 流れているのは、私が持っていったポピュラーCDです。

 ポーズは20分描いて、10分休憩くらいが基本。

 でも私たちは気ままに描いていました。

 体や足を描いているときは、

「髪に添えた手は、どうぞおろして楽にしてください」

 と言ってくれます。


「後ろ姿はいいですね」

 彼がぽつりと呟きました。

「前は、だめなんですか?」

「向かい合うと、恥ずかしいですから…後ろ姿なら、じっくり見て描けます」

「フフフ…先生はシャイなんですね」

「男はみんなシャイですよ…」

 画家さんには、前派と後ろ派があるようです。

 戦後似顔絵を描いて修行したと言う彼は、描きながらモデルが退屈しないよう、話しかけてくれます。

「昨日、テレビで長崎の町を放送している番組をみたら、長崎をなつかしく思い出しました」

「岡村先生、長崎に住んでいらっしゃったんですよね」

「そうです。工業高校の学生時代、担任の教師が理解ある先生で、岡村は絵だけ描いていればいいからと、授業を受けなくても、絵だけを描かせてくれたんです。 僕は丘に登って、今で言うガッシュの絵の具で、長崎の町と海をずっと三年間描いていました」

 そんな思い出話を描きながらしてくれるんです。

 

 絵を描いてもらっていて一番楽しい時は。なんと言ってもデッサンが出来上がり、いよいよ絵の具で着色する瞬間です!

 コンテの粉を羽根で払い、紙に水を霧吹きでかけて湿らせて、それを壁に立てかけたら、ワゴンの上の水差しに水を入れ、筆をそろえ水彩の用意します。

「この時が、一番わくわくするんです…」

 彼も楽しそうに、たっぷりの水を使って絵の具を水彩パレットに混合します。

「バーミリオン(朱)と、色がお白いのでアンバー(茶色)はほんの少し。ここにビリジャン(緑)を少し混ぜるのがコツなんです。肌が不思議と輝いてきます」

 説明してくれながら、岡村は鼻歌交じりに絵の具を水で混色し、薄い肌色を作って、筆にたっぷりと含ませ、さーっと掛けていきます。

 たちまち絵に色彩と命のいぶきが入ります。

 ハイライトの部分は塗り残して紙の白を生かす、白抜き画法。

 やりなおしができない、むつかしい画法です。

 でも彼はそれが得意なのです。

 薄い肌色を、何回も何回も、気の遠くなるほど塗り重ねていきます。

 赤みを帯びたところにはピンクをたし、影の部分にはビリジャンやアンバーを入れて…。

 彼は絶対にモデルを見ながらでないと線や色を入れません。

 目と指先の感動がそのまま画紙に伝わります。

 ジャズで言うと、生のアドリブセッションのような感じ。

 生きた絵になるのです。

 そうして描いてもらいながら、ある時アトリエで、

「先生、他にいい人がいたら、どうぞその人を描いてくださいね。ご自由に。私に遠慮しないでいいですから」

 何気なく告げました。

 すると彼はさっと顔色を変えて、

「本当にいいんですか?」

 問い直すんです。

「ええ、いいんですよ、もちろん。先生は自由ですよ」

 軽ーく答える私に、

「そうですか。そういうことを言ったのはあなたが初めてです。でも僕は、こうと決めたら、変えないたちなんですよ」

 なぜか彼は筆をとめ、思いつめたような表情で答えたんですーー。


 ※ ※

 2枚目のアラビアンナイトの絵の白いハーレムパンツは、ジョーゼットの布地をデパートで彼に買ってもらい、私が手縫いして持っていったんです。

 いつものように多摩の駅改札で待ち合わせた彼に、

「先生、家でハーレムパンツ作って来ましたよ!」

 と告げると、

それはいいですね。衣装ようのアクセサリーも買いましょう」

 駅に隣接しているデパートで、アクセサリーを選んで買ってくれたんです。

「これなんかいいと思う」

 彼が選んだのは、じゃらじゃらっとした色石のたくさんついたネックレスや、銀色の太いブレスレット。

 エキゾチックな大ぶりのイヤリングを購入してくれました。

 

 デパートの食堂でランチを食べた後、バスでアトリエに向かいます。

(ハーレムパンツ、彼は気に入ってくれるかしら?)

 わくわくしながら別室で着替えます。

 上半身は牡丹色のブラジャーだけ。

 下に透き通ったジョーゼットの白いハーレムパンツをはき、じゃらじゃらとしたアクセサリーをつけて彼の前に現れると、

「いいですね! 実にいい」

 と岡村はたいそう喜んでくれました。

「そうだ先生、メークも先生のイメージに合わせて先生がしてください」

 メイク道具を差し出すと、

「えっ、僕がですか?」

 そわそわしています。

「ええ、どうぞ。先生本当はメイクアップ・アーチストさんになりたかったんだ、って言っていたでしょう」

「じゃ…」

 彼は、頬紅だけは自分が手持ちのものを取り出しました。

 母親がつけていたメーカーの物だそうです。

 円形の容器に入っていて、刷毛でつけます。

 それを、水彩の絵にも入れていたのです。

 彼は息をつめて、メークしてくれました。

 それはそれは上手に。

 彼がチークを入れると、入れる場所がぜんぜん違うんです。

 チークを所定の位置に塗りました…じゃなくて、本当に赤らんでいるみたいになるんです。

 用意が整うと、さっそく写真撮影開始。

 

 デッサンの時もうきうきしています。

 「このシリーズで何枚も描きましょう! 次回は、手に白い鳩を持ったポーズで描きたい。いいと思いますよ」

 彼はよほどアラビアンナイトの衣装が好きなようです。

 写真も、立ったポーズや寝転んだポーズ、踊っているようなポーズ、何枚もとりました。

 実際に描いたのは、足を組み、片手を後ろについた座りポーズです。

 表情は遠くを見つめています。

 エキゾチックで品があって、セクシー。

 それを狙ったのです。

 休憩の度に覗き込むアルシュの画紙に、じょじょに裸婦像が浮かび上がって来る。

「だんだん出来てきますね!」

 画面を見るのは心躍る、大きな喜びでした。

 たまにいやに静かだな、と思ってイーゼルを覗くと、紙の余白に、

(美しき肌の色香に魅せられて、筆とどまりてしばし動かず)

 そんな和歌が紙の余白に鉛筆で書き付けられてあって、

「先生、ロマンチックなんですね」

 からかうと、

「すいません…つ、つい、いたずら書きしてしまって」

 彼は超真っ赤になってうつむくんです。


 ※ ※

 そうして絵を制作していた日のことです。

(彼の車に乗らなきゃいけなくなった。やばい!) 

 その日は絵を遅くまで描いていて帰りが遅くなってしまいました。

 いつも電車で帰るのですが、その日は夜の9時を過ぎ、しかたなく彼の車で送ってもらったんです。

 夏休み中で、子供は神戸のおばあちゃんの所に帰っていました。

 彼の車がやばい! と思ったのには、理由があります。

 彼、運転が超下手だったんです。

 最初のころは彼の車に同乗していたんですが、私が話しかけるたびにグッとこちらを大きくふり向くので、ガードレールにぶつかりそうになったり、他の車にぶつかりそうになったり…。

「きゃーっ」

「先生危ないっ! 前を見てくださいっ」

「ぶつかるっ」

 何度悲鳴を上げたことか。

 怖くて生きた心地がしなかった。

 ホテルのレストランに行くために入った駐車場で、停めるのに、切り返し切り返しでなんと20分以上かかったこともあったんです!!

 もう、あきれかえってしまって…。

 そんなこんなで、彼の運転にはこりごりし、絶対に乗らないようにしていたんです。

 所が、その夜。

 夜の灯りの町並みを疾走する彼の運転は、すばらしかった!!

 発進は絹の上をすすむようになめらかだし、停まる時もすーっと知らないうちに停まっている。

 背中にGを感じるほど加速しているのに、スムーズなハンドルさばきで流れるように車が進む。

 ええーっ、彼運転上手い!!

 思わず、

「先生、運転お上手なんですね。レーサー並の腕をお持ちなんですね!」

 と言ってしまった。

 彼は苦笑いしながら、

「最初の頃はあがって緊張していたんでしょう…僕、車が好きで、ついこの間まで年甲斐もなくスカイラインGTのマニュアル車に乗っていました。 ギアの入れ方が上手いとよく言われたものです。 スカイラインに乗っていると、若い人が見にきたりするんです…今は、絵を会場に運ぶのでこの車に切り替えてしまったんですが…」

「そうでしたの…」

 画家さんだから、運動能力は抜群のはずなのだ。

 目で見たことを指先に伝えて動かす。

 彼のハンドルやギアを操作する指もセクシーで。

 この夜、運転席から見る彼の横顔が、妙にステキにかっこよく見えてしまった…。


「先生、おモテになるんでしょ。恋愛体験は?」

 と助手席から聞いてみた。

「僕はモテませんよ」

 と言った彼は、

「学生時代の頃は、親父の仕事の関係で長崎の小さな島にいて…その時、親父の会社で働いていた、地元の漁師の娘の事務員と、付き合ったことがあります」

 思い出を語った。

「どんな交際ですの? 」

「一緒に船をこいで無人島に行き、泳いだり魚をとって遊びました。彼女は漁師の娘だったので、船を漕ぐのもうまかったんです」

「無人島でキスとか…」

「まさか…僕は奥手だったから、思ってもそんなことはできなかったんです。今は懐かしい思い出です」

「その方とはどうなったんですか?」

「お袋の反対もあり、僕が長崎市内の工業高校に入学して島を出たので、それっきり別れてしまいました」

 そっか、それで彼は彼女を思いながら、高校時代は海の絵ばかり描いていたのかも知れない、きっと。

「東京に来てからはどうですの?」

 私の問いに、彼は黙って答えなかった。

 そして20分以上走ってから、きっぱりと言ったのだ。

「東京に来てから、ロマンスは一件もありません」

 とーー。

 

 ※ ※

 やっぱり、彼は女にコンプレックスがあって付き合えないか、童貞?

 そう思った。

 だが、そんな私の考えをくつがえすようなことが起こったのだ。

 

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