⑦ 無一文で離婚した女が女流官能小説家になり、絵画モデルとなって500枚の絵を描いてもらうお話 「秋の展覧会、出品した絵は…」
モナリザは男。彼はそう言った。
彼は童貞? それとも女を愛せない同性愛者?
疑った私は、彼にこんな質問をしたことがあります。
それはアトリエで製作中、モナリザの話が出たときです。
「モナリザは、世界の名画で世界一の美女と言われているでしょう。先生はモナリザの微笑、どうごらんになります?」
画家さんの見解を聞きたい、と思ったんです。
「僕は好きではありません」
「えっどうしてですか? 世界の名画ですよ!」
びっくり仰天しました。
「モナリザは男だからです」
彼はそう答えたのです。
「僕の目にはそう見えます」
彼の答えになおさら驚いた。
確かに美術界では、モナリザは男ではないか、と言う説が根強くある。
しかしおよそ本や雑誌をまったく読まない彼は、そんな説などまったく知らないのだ。
彼は以前、美人の定義として、
「美人は骨です」
と言ったことがある。
そうか…と感心したものだが、彼の目はきっと鑑定士のように骨組みを見て感じ取っているのだ、きっと。
そこで私は聞いて見たのだ。
「先生は男性より女性がお好きなんですか?」
彼は顔をあからめて答えた。
「は、はい…僕は女性が好きです」
と。
女性が好きなんだな。
とこのときは思ったものだが…。
※ ※
「僕は、自分の画家人生をかけて、あなたを描き続けたい」
「一生、まち子先生を描かせてください」
岡村からはアトリエで、情熱的に懇願されていました。
ある文壇のパーティーの帰り、帰途の地下鉄に乗り合わせた時です。
何気なく、
「岡村先生が、一番幸せだなあ…と思う時はどんな時ですか?」
と聞いたことがあります。
岡村は、
「僕が幸せだなと思う時は…好きな女性を、アトリエで描いている時間です…」
と恥ずかしそうに答えたのです。
「まあ…」
この答えに、私は感激して胸がときめいてしまったんですー。
夏の夜ーー。
アパートで小説を書いていたときのことです。
「今なにしてます? バックの色のことでちょっと相談があって」
岡村から電話がかかってきました。
話しているうちに、今から絵を描こう。
「40分で迎えに行きます!」
と言うことになりました。
子供は夏休み中で実家のおばあちゃんの所に帰っています。
私一人です。
本当にすぐに、彼は車で迎えに来てくれました。
乗り込んで彼のアトリエに。
絵を見てバックの色の打ち合わせをして、絵の画集を見ながらいろんな話をしました。ワイエスの画集を見ながら、
「すごい緻密な絵。どうやって描いているのかしら? 髪の毛一本一本描いている様に見えるわ」
「これはアクリル絵の具で描かれていますよ」
「解説を読むと、モデルのオルガはワイエスの家の近くに住む農家の主婦で、二人は友人から借りた秘密の納屋で絵を制作したいたのですね…そしてこれらの一連の作品は、何十年か後ワイエスが妻にプレゼントとしてささげた。そしてこのオルガシリーズは世に出て世界的な人気の絵になったのね」
画集を見ながらワイエスとモデルのオルガの話をしているうちに、深夜をまわりました。
その日は泊まることになったんです。
そのときも彼は、ちっとも手をださず、二つ並べてはなして敷いた布団の中で、じっと身動きもせずお互いが息をこらしていましたっけ…。
何時間もたって、雨戸の外の空がうす赤くなってきて、夜明けを迎えようとしたころ、
「そろそろ夜があけますね…」
小さく呟いた私の体を、そのとき初めて彼は抱擁したんですーー。
彼は、
「僕はあなたに夢中です。僕はビンボーで、あなたに差し上げる財産はないけれど、あなたの絵を一生描いて、あなたに捧げ続けます!!」
「それが僕の愛の証です」
と誓ってくれました…。
初夏のグループ展では酷評された二人の絵。
秋のグループ展でリベンジなるか!
恋人同士になり、二つの絵を仕上げた私たちは、世界堂に行って額を選び、絵に合わせた色のマット紙も切ってもらって、絵を入れました。
アラビアンナイトの方は金縁の額。
後姿の裸婦は、赤っぽいマフォガニーの額です。
額によっても絵の雰囲気が変わるんです。
「いいね」
彼が額に入った絵を眺めます。
出品者は、みんな顔見知りの、同じ団体に所属するプロの画家たち。
挿絵画家やイラストレーターが多いです。
会期前日に、彼の車で絵を搬入して、二人で所定の壁に飾りつけました。
いよいよ明日がオープニングです!
華やかな銀座画廊のオープニングパーティー。
画廊のあちこちに置かれたテーブルには花やグラスや酒の瓶が置かれ、銀座のクラブのきれいどころもお手伝いにきてくれています。
イブニングドレスや和服のおねえさんがひらひらと動いています。
多くの人が岡村が描いた2枚の絵の前に集まっていました。
「なんて女らしくて美しいんでしょう…」
「色っぽいねえ」
そんな囁き声が聞こえます。
出品した座りポーズ裸婦と、ハーレムパンツの二枚の絵は、どちらも大絶賛されました。
品がよくて女らしくて色っぽい。
まさに、狙い通りのことを褒めてくれたんです。
「この絵をぜひ買いたい」
と言う人まで現れました。
たまたま飛び込みで入ったアメリカ人男性です。日本語の通訳がついていました。
「まち子どうする?」
彼が囁きます。
「一枚30万円以上なら、売ってもいいんじゃない?」
「高すぎない?」
心配そうな彼の声。
「なに言ってんの、これは名作なのよ。この絵に、私が何時間ポーズをとったと思うの? 先生は、バックを描くときにさえ、モデルがいないと空間が変わると言って、ポーズを私にとらせたのよ。30万だって安いくらいよ」
本当にそう思っていました。
値段だけ言って、交渉は彼にまかせました。
だけどしばらくしてやってきた彼は、
「売らないことにした」
と言うのです。
「値段?」
「違う、そのくらいなら喜んで出すと言った。売れないというと、先生のアトリエにある絵、どれでも良いから買うと言ったんだ。でも俺は、売る絵は一枚もありませんと、答えたんだ。絵を売ってしまったら、もう手元にはなくなるんだよ。まち子の絵は売らない。さみしくなるから」
えーっ! 売ればいいのに…。
この時、会場で絵に買い手がついたのは、彼の絵だけでした。
絵は売れない時代に入っていたのです。
でも岡村はがんとして私を描いた絵を売りませんでした。
それ以降も…。
会場を出ても、彼はニコニコしていました。
上機嫌です。
それもそのはず。口うるさいお偉方からも、
「あの絵は、岡村君でないと描けないな」
と褒められ、同業の画家からは、
「モデルがいる人にはかなわいや」
とやっかまれ、見に来た客からは、
「なんと女らしい…」
とため息混じりに賛辞されたのだから。
出品作はみんなに褒められ、大成功でした。
ところが、5メートルほど歩いた時です。
角を曲がると、彼は急に歩道に膝をついてくずれ、わっと泣き伏したのです。
「せ、先生、どうしたんですか?」
わけがわかりません。
大の男が急に路上に泣き伏す。
な、なんなの? これは!
※ ※
「女房が来たんだよ。アトリエに」
女房?
「先生、結婚していたんですか?」
晴天の霹靂。
寝耳に水です。
彼はわーわー泣き続けています。
あなたの親御さんの人生を雑誌にしませんか?

著者の藤 まち子さんにメッセージを送る
著者の方だけが読めます