⑩ 無一文で離婚した女が女流官能小説家になり、絵画モデルとなって500枚の絵を描いてもらうお話 「彼の誓い・いよいよ油絵」

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 手紙がついたその夜、岡村は泣きながら電話をかけてきました。

「私たちの美しい思い出さえ汚してしまう。その言葉に俺は目が覚めた。あんなに楽しく美しい日々があったのに…次々と思い出されて、取り返しのつかないことをしたと気がついたんだ」

「もう二度と酒は飲まない。手をあげない。約束する」

 何回も誓った。

 それでも揺るがなかった私の心。

 それをくつがえしたのは、

「まち子がすすめてくれていた油絵を描くよ。ベラスケスの後ろ姿のような傑作を、俺たちで作り上げて残そう」

 私の琴線をゆさぶる言葉でしたーー。

 彼に私の姿で油絵を描いてもらいたい。

 それが私の悲願だったのです。


 ※

 その頃、岡村は家を建て替えました。

 家のまわり道路が拡張されることになり、数十メートル先に移転になったのです。

 始めは引屋で屋敷が移動される計画でした。

 でも彼は、

「思い切ってこの家も新築しようと思う。特にアトリエを広く、計画して立て直したい」

 と言い出しました。

「それはいいわね、先生。このアトリエでは光線に苦労したもの…」

 新しい家の設計はアトリエにこだわり、14畳のフローリングにして、100号のイーゼルも立てられるように天井を広くしました。

 窓は出窓で坂道に面した道路側の西壁にとるしかない。

 絵は光と影で描くのです。それを実際に描いてもらって実感しました。

 光線がかわると影の位置が変わるから、たちまち描けなくなる。

 そこで、厚地のカーテンと白いレースのカーテンを2重にかけ、天井に照明灯を幾本もとりつけて、光線の位置を自由にコントロールできるようにしたんです。

 新しい家が建つまで。

 その間、とんてんかんてん、槌音の響く新しい建設地を通り抜け、数十メートルしかはなれていない古い方の家でずっと50号の巨きな水彩画を描いていました。



「帯と女」

 緋色の敷物の上に横たわった、長い黒髪の白い全裸の裸婦。

 裸婦の白い裸身のまわりには、黒字に色糸と金糸銀糸で刺繍された帯が絡むようにあしらわれています。

 3年がかりで描いている、50号の透明水彩の大作です。

 何回も何回も、気が遠くなるほど水彩絵の具を塗り重ねたこの絵は、日本画と見まがうような重厚で艶やかな出来でした。

 この絵が仕上がった時が、油絵の開始時、と約束していたんです。

 いよいよ新しい家が完成。

 まずイーゼルに「帯と女」を乗せたまま、ごろごろと新しいアトリエに運びました。

 キッチンに小テーブルと椅子を運んで、珈琲を入れ、ケーキを食べて二人で新築のお祝い。

 アトリエの出窓の下には、道に面して小さな花壇があり、リラの木とバラの花を持ってきて植えていました。

 そのリラの木は、毎年5月になると、あわい紫の花を満開に咲かせて、アトリエの窓辺一杯に揺れて私たちの目を楽しませたのです。


 ※ ※

出窓に白いカーテンが揺れるアトリエ。

窓の下の棚には私が新築祝いに持って来た蘭の鉢植えと、旅の思い出のお土産。

時おりカラスが飛んできて、窓の雨どいをのどかに歩いたりします

山道ですから、窓の外の道はほとんど人が通りません。 

彼は本当に誓い通り禁酒してくれました。

一滴も飲まなくなったんです。

喧嘩もまったくなくなり、新しいアトリエで、一心に私の絵を描いてくれる、二人の蜜月が始まったのですーー。


 全裸でポーズを取る私の足元に近々と座ってデッサンしながら、彼は、

「ああ、このまま死んでしまいたい…」

 うっとりと呟くことがありました。

「なんていい匂いなんだろう…まち子の肌から発散する香りをかぐと、男はじーんと痺れてくるんだ。なにも考えられなくなる…」

 実際褒められると、その肌香はますます強くなるのです。

「ふふふ…自分でも、腋の下から馥郁と香りが漂うのがわかる。菓子パン工場の横を通った時の様な匂いよね? バターとハチミツがさらに発酵したような匂いと言うか」

「まち子はいいこと言うねえ~~」

 彼は、

「俺は深海魚ののように、ずっとまち子にくっついていたい」

 と言いました。

「あら先生、雌の体の一部となってしまうのよ。いいの?」

「本望だね」

 実際に彼は、女である私に同化している、と思う時がありました。

 ポーズを取るとき、彼は女優に演技指導する監督のように、実際に自分がやってみせてくれるのです。

 半裸体でやや首をかしげ、長く垂らした髪の毛を、右先の指先でつまんでいる。

 そのポーズを描いたときのことです。

 イーゼルの前から、

「まち子、髪をつまんでいるその手のひらをこちらに向けて見せて」

「肘は引いて体にくっつけて」

「もうすこし首をかしげて…」

 と指示して、鏡を持ってきて、

「見てごらん。今こちらからはこう見えてるんだよ」

 実際に鏡面に映して見せてくれます。

 最後にはイーゼルから降りて近づいて、私の後ろに回り。

 後ろからぴったりと体を合わせてくっついて、自分の指で私の長い髪をつまみ、

「だってだって、本当よ、嘘なんかついてないもの…本当にお買い物に行っていただけだったらあ…」

 呟きながら体をくねらすのです。

「信じて…本当よ…」

 女以上に女らしい。

 つまり、男と会いながら会っていないと言い訳している女性像…を岡村自ら演じているのです。

 彼はもしかしたら、女になりたかったのかも、知れません。

 私と言う肉体を借りて…。

「先生わかったわ。こうね」

「そう、その感じだよ…」

 私はまた、監督としての彼の意を汲み取るのが早い。

 実に熱心なモデル。

 そういう意味ではいいコンビでした。

 

 1週間に一回、午前の11時頃に彼の住む街の駅につき、昼ごはんを駅に隣接したデパートや近くのレストランで食べ、アトリエに行って1時ごろから絵を描き始め、4時ごろに終わる。

 そのあと1時間を二人で過ごし、最後に彼が入れてくれたお茶を飲んで30分くらいお喋りして、彼に車で駅まで送ってもらい、電車で帰る。

 そんな生活をしていました。

 彼は、本当になごり惜しそうに見送ってくれました。

 いつまでもいつまでも、改札で手を振り続けているのです。


 いよいよ「帯と女」が完成して、油絵を描き始めました。

 その時も彼は、

「まだ完成していない! 手を入れなきゃ」

 としぶります。

「もう少し、髪にもバックにも手をくわえたいし…」

「そんなこと言ってちゃ、いつまでたっても出来上がらないじゃない。もうこの絵はこれでいいの」

 (帯と女)は3年間にもわたって長きもの間製作していたのです。

 数え切れないくらい、微妙な肌色をかけ続けました。

「先生もう油絵を描きましょう! 先生になら描けるわ! 千年も万年も後世に残る私の姿の油絵を描いて残して欲しいの」

 強引に完成にしたのです。

「先生、世界堂へ行って、油絵の道具を揃えましょうよ!」

「えっ、もう?」

「早い方がいいでしょ」

 岡村をせきたてて車に乗り込み、油絵の道具を揃えにいざ世界堂に出発です!

 彼の気持ちが変わらないうちに。

 駅ビルの中にある、世界堂につきました。

 ずらっと絵画に関した用品が並んでいます。

 いよいよ油絵の道具を取り揃えて、本格的に油絵を描いてもらうのです!

 心が躍っていました。

 なんだかんだ言いながら、

「いよいよ油絵か。絵の具はどれがいいだろう?」

 彼だって興味しんしん目を輝かせています。

 これから二人に、新しい世界が広がるのです!


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