毒親両親に育成された私の本当の志命 2

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証券会社での日々は朝から多忙だった。

毎朝7時前には出勤し、男性上司の湯飲みを全部覚え、急須に茶葉を入れ

お好みのお茶の濃さや適温調整等を意識し、上司から小言文句の出ない完璧なお茶を淹れる

ことからスタートした。


私は上司の奥さんなのかと思ってしまうような、嗜好を完璧に把握する必要性があった。

経済情報新聞記事に目を通し、必須記事をコピー、手作業で切り貼りして、朝礼朝会用の

コンパクトな情報共有紙を作ることから始まった。

当時は携帯もなく、金融機関専用端末があるだけだから、顧客情報を呼び起こすにも

あらゆる専用コードを覚えなければ、何もデータを呼び起こせなかった。

IT時代の今はなんと便利なのだろうと今だから思える。


貯蓄商品パンフレットや粗品の手配や補充、店舗掃除、外務員資格取得の勉強、

実地研修、沢山の金融商品を覚え、お金を数え、電話対応、顧客対応、新規開拓

絶対ノルマ達成と絶対ミスが許されない緊迫とした環境下に身を置くことになった。

私が入社をしたのは、バブルが弾けた後だっただけに、電話はすべてクレームの嵐で、

大儲けした後に大損したお客様が、電話に出た者であれば、新人だろうが何だろうが、

お構いなしで、『お前のせいで大損した!金を返せ!弁護士つけて裁判で訴えてやる!』

というのも日常茶飯事だった。

怒鳴りつけられる電話を取る度に、心臓が縮まる思いがし、同時に母親の交際相手が

不機嫌になり、自分の思い通りに事が運ばない現実を上手く消化できない子供じみた

大人の猛獣が、電話の向こうにいるように思えてた。

私は冷静に、電話口の顧客の滝のように止まることのない荒い飛沫が飛ぶクレームを

黙って浴びることを仕える事として受け止めていた。

大儲けした顧客を抱えた多くに先輩は寿退社をし、その遺産として受けた顧客が

お金の欲望に限界と収まり処を見いだせない他人に依存する責任の取れない大人

達だったと思う。

儲けることが悪いこととも思わないが、すべては自己責任の範疇ですれば、

いいだけのことなのに、どうして不確かな情報を頼りに、100%正解を求め、

それを金銭という物差しで測る必要性があるのかが、私は答えを見つけ出せないままでいた。


どんな市況下であっても、人の欲望は収まることを知らない。

華やかな職場というだけあって、歓送迎会も華やかで、何かしら毎月お食事会があり

強制的に幹事役も回ってきた。

ブランドのバッグに指輪やピアス、派手なマニキュア等は当然周りの関心が強いところで、

顧客からの反感を買わない為に、肌に近い色で統一し隠すという意味で、バンドエイドを

テープ替わりにして、切って肌に接着させるという異様な規則もあった。


私は大人になっても、ずっと規則、絶対命令に従い、服従し、常に右に倣えの姿勢を貫く

事が当たり前の、自分の感情を抑え黙秘し、〇△しなければいけない、ねばならない

白黒付ける事が大事ということを学んだ。

幼少期から学生時代、家庭における母と姉という指導者、自分本位の大人、

職場の派閥、軋轢、必ずどこかの輪に所属し、その意見を絶対意見で従うことが

窮屈でたまらなかった。

女性同士というのは、昔から本音をオブラードで包み飲み込むというところが

あるから、同期の『どっちの味方で、どっちの意見に賛成従い、参加するのか?』

『学歴が違うとか、身形が違うからあの子はこうにちがいない!』とか四角四面に

方に嵌め込み、それが絶対的幸せの近道で間違いはないという考え方に、どうしても

ついていけない自分を隠し切れずにいた。

私は、昔から人間が嫌いなわけではないし、寧ろ誰の意見も、どんな些細な感情や

言葉や声にならない叫びというものに、真正面から受け止めることが好きだった。

損得勘定は人間の真理を知るのには、『お金』という一つのアイテムを通すのが

生計を営む人間の本質を知るのに近道であることが、これまでの経験で解っていたから

他人の資金を通して、お金と経済と心理の移り変わりが間近で知りうることができる

事が純粋に愉しめもした。


仕事を純粋に愉しめば、社内の女性同士の成績を争う妬み、足の引っ張り合い、

富裕顧客の争奪戦、プライベートにおける些細な趣味趣向の優劣まであり、

発する言葉や素行というものまでが、常に自己優位を導くファクターになると

顔で美しく笑みを讃え、目が鋭く相手を刺す、人生反撃ゲームに参戦させられる

始末であった。

私は心底そういうことには全く興味がなかったし、本当にどうでもいいことでは

ないかと思っていた。

相手の荒探しをしたところで、正直自分にどんなメリットがあるのかも分からなかった。

自分の意見はいつでもハッキリとしたものを抱えてはいたが、それを主張して、つまらぬ

反感を買うことに無駄な疲弊を抱えたくなかった。

だからこそ、顧客と向き合う時間、数字に追われ、意識を集中させる対象があることは、

私にはこの上ない心地よい刺激であり、ノルマは集中力を高める起爆剤にもなった。


仕事と家を往復する毎日に、家ではほんの少し私のご機嫌を覗う母の姿があった。

私の仕事ぶりや親子の関わりを意識していたのではないと薄々感じてはいた。

母は相変わらずマイペースに、仕事と何をしているか分からない夜のバイトに

精をだしていた。

母は離婚後もずっと勝手に恒例化し続けている、夏の一か月に及ぶ海外旅行も

腑に落ちない我が家の恒例イベントとして黙視していた。

家は貧乏なのに、母は毎年海外に行く。

誰とどこへ幾らかけて、どんな目的で出かけるのかも全く知らない。

そんなことは母の自由だが、毎回旅行から帰ってきては、一度も観光名所の写真を

目にしたこともなく、ただ、あそこは良かったから、貴女が新婚旅行に行くなら

ドイツに行ってどの城巡りをした方が良いとか、ダイビングのライセンスも持たない

母がシュノーケリングでクリアな青の世界を見たと聞かされたり、何から何まで

何しなさいと計画立てられることに、ウンザリしていた。

海外旅行は母の元からの趣味だから文句言う筋合いもないのだが、母が共感を分かち合った

であろう同伴パートナーの存在が見え隠れする以上、私は母の観光アドバイスなど

一切記憶に残らなかった。

ただ黙って欲しくも無い海外土産を手にして、どんな気持ちで、この土産を選び私に渡そうと

探し求めていたのかと、その光景を想像するに留まった。

好きな男性と海外旅行に行き、家族には内緒で、存在を明かすこともできず、

でも非日常に親という立場も忘れて、一人の女性として、愛され人生を謳歌する母。

帰ってきて、旅行が物凄く充実したものと声を大にして自慢することもできず、

写真も見せれず、土産を渡しながら、さも一人旅に出かけたかのように淡々と現地の

観光名所を言葉でのみ語る母。

母の凄いところは、決して心の葛藤を私には見せず、寧ろそのいつでも中途半端で

いざとなれば家族との絆というデットラインを軸に、いつも反復横跳びを軽やかに

繰り返すその柔軟たる姿勢にあるのかもしれないと気づくには、私はまだまだ幼過ぎた。

そんな人生のファジーさを自分に許すのなら、娘に完璧な娘像など求めないでもらいたかった。

自分が完璧な母親ではないことを棚上げして、どうして娘を理想の完璧な娘に育てようと

仕立てあげるのか?現実的に、母は私達姉妹からは『親子の信頼関係』はとうに失っていたし、

家族不全家庭を成立させるための、完全たる物資に様変わりしていった。

家庭にも心にも職場にも、いつか踏んでしまったら爆発してしまう、地雷を

保有していることを常に意識し、要注意危険物だけは心の奥隅に置いたままだった。

私は父のように精神崩壊してしまっては、自分だけでなく誰も救えなくなってしまうのが

怖かったから、今しばらくは現状維持を貫こうと考えていた。

最終目的『自立』を達成するまでは・・・。


遠方の姉は、一人暮らしで総合職として、慣れない土地で頑張っていたらしい。

私と違い四大卒の姉は、同期の短大卒との配属や給料の格差に嫉妬を受けることが多く

職場の嫌がらせも酷かったようだ。

姉は私とは違い、バイト経験もなく、漫画を読む程度の息抜きがあっても、

勉強一筋で、快活で、手作業も器用な一面があった。

心根が優しい一面もあったが、母からの期待に応えようと頑張りし過ぎ、

正当評価を家庭でも職場でも受け入れないことに過度のストレスと不満を

もっていたに違いない。

姉も私も、母の強烈な自己愛主義の教育を受け育てられた為、

それを反面教師として、自分を愛することの重要性が完全に欠落していたのだ。

姉は母から愛情を受け取れないことを、怒りに変え、他者から賞賛を得たり

愛情を得ることを求めていった。

私は、母からの心からの懺悔の言葉を欲しい代わりに、許すことの難しさと

何かに依存しなければ生きてゆけないのか?という疑問の答えを探すことに

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