top of page

17/9/16

最愛のビッチな妻が死んだ 第2章 初夜

Image by Olia Gozha

「おはようございます」

「おはようごさいます」

2月19日正午、僕たちはこれから何度となく言い合う「おはよう」という挨拶をLINEで送り合って、お互いに生存確認をした。

僕が正午に「おはよう」と送ったのが、あげはにとって変に感じたらしい。

「今起きたの?」

「9時には起きて、10時まで二度寝してました」

「なんで今起きたってわかったんですか?」

「あげはさん、1時くらいに起きそうな気がした」

「あは、何時に寝たかもわかんないのに? すごい予知能力ですね」

もちろん予知能力ではなくて、僕が起きる時間と一緒だったらいいな、という希望的観測に過ぎない。

そのあと、他者と距離を詰めるのが苦手な僕に気づいていたのか、あげははこんなうれしい質問をしくれた。

「なんて、呼ばれたいですか?」

「あげはさんのお好きに」

「それは……なんと難しい」

「じゃあ下の名前の方が好きなので、あとはお任せします」

「アタシは『あげ』と呼ばれたいです」

「あげ、インプット完了です」

今後、何千回、何万回と呼び合い続けることになる『あげ』『キョウスケ』の愛称は、この日生まれた。呼び合うのはまだくすぐったいが、呼び名が決まったところで、お互いの生活の話をし合った。

寝ている場所について尋ねてみると……

「普段はリビングで寝ています」

「ニャンコと?」

「そう。2人がお腹の上、1人が左腕枕、1人が右腕枕、1人が顔の横です。全員がそのポジションにいれば、何かあっても一畳あれば生きていけるなーと思います」

ちなみにあげはは、ニャンコを「人」でカウントする。

「あったかそう」

「寝相がひどいものなので、いつも起きたら誰もいません」

あげはの寝相の悪さは、後に僕も目の当たりすることとなる。そして、だんだんとあげはは素の自分を出してきてくれた。

「すいません、ストーカーしてしまいました」

「ストーカー?」

「Twitterを少し覗いてしまったので。ほぼ初めて触りました」

「あ~、なんもないよ~」

「しゃべった感じとメールの感じとまた違った一面が見れました。たしかになんもなかったですが」

「出してるのは、一部分だけですしね」

「あげのまわりの35歳はもっと子供なので、なめてました」

「ガキではありますよ」

「アタシは、自分ではよくわかんないです。大人なので子供のフリができる、ような気がします」

「無邪気、な人間はいませんし、正直なままストレートに伝えるのが正しいとは限らないですし。仕事上や相手によっては態度やキャラを変えたりは必要だと思いますよ」

「わかってます。変える必要がない人の前での自分の話です。暇過ぎて白昼夢見てます」

「そのまま出して、嫌われるんじゃないかってときはあるけど……」

「ああ、ありますね、今です」

「同じく」

それから唐突にいまどこにいるかを尋ねられる。

「家ですか?」

「会社です」

この日僕は珍しく会社で仕事していた。あげはどこにいるのか尋ねてみる。

「自宅ですか?」

「そうですよ」

「近いような」

「会社はどこですか? すいません、聞いても近いのかわかりません。大変方向音痴なので」

「護国寺です。池袋から2駅」

「ああ、なんとなく。有楽町線、未知の世界です。乗ったことあるかな」

「確かに地下鉄乗るイメージがないですね」

「電車も苦手です。雨も太陽も苦手です」

「太陽は分かる」

僕はアトピー持ちの日光アレルギーで肌が異常に弱い。お菓子やジャンクフードを食べると、食べながら肌が露骨に荒れてしまう。

話は変わって、お互いの得意・不得意について。

「車とバイクは好きです。今持ってませんが。傘が嫌いで」

「傘や雨は僕も好きじゃない。バイク、中型とか大型とかに乗ってたんですか?」

「大型免許も持ってましたが諸事情あって、今は車の免許しかないです

「バイク、モンキーはあるよ」

「おお、いいですな」

「って去年久しぶりに乗りたくて買ったら、瞬間でコケました」

僕は確定申告で戻ってきたお金で、18歳のときに半年で盗まれたモンキーを買った。

「長いこと乗ってないので、あげも運転できる自信がない。コケてから乗ってますか?」

「一回だけ。ガススタ行って一周ぐらい」

「それは、一般的に無駄遣いって言いますね」

僕は、「正解」って感じのスタンプを送った。

「大丈夫、あげもよくやります」

最初のやりとりから数時間が経ち、僕の仕事は終わった。

「ゲラチェック終わり! 帰ります」

「割と普通の時間に上がれるんですね。校了いつですか?」

「今日です」

「途中から気付いてたんですが、一日中仕事の邪魔してすいません」

「今週は1本だけだったので大丈夫ですよ」

僕はあげはに心配されるほど、真面目に働いてはいなかった。

「え、今日!? ああ、よかった」

「全然ジャマじゃないですよ」

そして、また誘い下手な僕に、あげはから歩み寄ってくれた。

「あの、逢いたいんですけど、あげ奇数の日に逢いたくなくて」

「今日以外か」

「今日逢いたいですか?」

「明日……? 12時過ぎたら明日だし」

「なんだか緊張する。欲されているのであれば準備しますが」

僕も実は、かなり緊張していた。

「あげは恥ずかしいです、なんとなく」

「あげさんより、僕の方が恥ずかしいですよ」

「どこかに出掛けますか?」

「明日なら夜は8時なら飲みで、それが終われば」

「今日と明日どっちが良いですか?」

僕は正直に答えた。

「どちらも……」

「欲張りですね!」

「でも、奇数重視で明日にしましょう」

「準備します。今日でいいです、その代わり偶数になる日まで一緒にいてください……変な日本語。つまり今夜一緒にいてください」

僕はただ、心臓が不整脈のようにバクバクと脈打っているのを会社のデスクで感じていた。LINEにメッセージを打つ。

「どこで会いますか」

「お酒はあってもなくてもいいです。しゃべったり、しゃべらなかったり、ゆっくりしたいです」

「そうですね。お互い、知り合いたい」

「決めてもらって構いません。どこでもいいです。ウチは太一が厳しいので難しいですが」

太一さんは、あげはが18歳のときに沖縄で出会って結婚した相手。

そして、あげはのお婆ちゃんが亡くなったとき、あげはに血縁関係・家族がいなくなったため、養子縁組をして養女として迎え入れた、養父である。

「行きたい場所ありますか」

「おウチかホテル。ですかね……変ですか?」

変かもしれないけど、全然変じゃないと僕は思った。

「ウチ、来ます?」

「蛍光灯ないですか? すいません」

「蛍光灯?」

「蛍光灯、苦手で」

 

楽しいやり取りをしながら帰路についていた僕は、ようやく家に着いた。あげはは角膜が弱く、蛍光灯や眩しいのが苦手だった。

そしてあげはからこんなメッセージが来る。

「すいません、こんなに早く準備できるスキルが自分にあると思ってなくてもう準備できてしまったので。いつも2時間はかかるのに。思ったよりずっと会いたいみたいです」

「いま、帰宅した。ウチは駅でいうと西武線のN駅だよ」

「よかった。向かっても、いいですか?」

「よいですよ」

「はい。楽しみ半分、緊張半分」

あげはの言う通り、僕も本当にそうだった。楽しみと緊張が自分の中で交差していた。

「出ました」

「駅到着時間が見えたら連絡ください。迎え行きます」

時刻は9時を回っていた。もうすぐ会えると思うと、時間の流れがもどかしかった。

「52分です。でも方向音痴なんで、また連絡します。可愛いけど面倒くさい服を着ちゃったので、部屋着持参です」

「了解」

「高田馬場です。凄い混んでますね。体調悪かったら過換気症候群で倒れてました」

僕は会社から帰宅したままなので、いつでも出られる準備は完了していた。するとあげはからメッセージが来る。

「着きますよ」

「了解です。駅向かってます」

「出口はどちらでしょう」

僕たちは駅で落ち合い、僕はつけていたヘッドフォンをなくすぐらい変な緊張していた。

駅からの途中、コンビニで酒とつまみを買った。

この頃のあげはは「アタシ、ウィスキーしか飲まないんで」など、変なカッコ付けをしていたので、バーボンと自分用の梅酒を買った。結局、話すのに夢中になりバーボンは全然減ることはなかったのだが。

部屋に着き、緊張の中、また話し始める。

自分のこと、お互いのこと、前日会ったときのことや、LINEでやり取りしたことの反芻をした。

あっという間に12時を過ぎ、僕たちはキスをした。

シンデレラは魔法が解ける時刻だが、僕たちは夢中になる魔法にかかった。

「こんなアタシでも愛してくれますか」

あげはは、自身が抱えている病気――双極性障害について、無知な僕に教えてくれた。

生まれてすぐに両親に捨てられて、祖父母に育てられた。結局、祖母も自殺して、25歳で離婚して、その年に養子縁組をした太一さん以外に家族はいない。

小さいころから双極性障害と診断され、何度も自殺未遂をして、精神病院にも入った。

夜の世界で働いていて、その場限りの男と寝るのを含めると何千人以上の男と寝た。今は落ち着いているが、愛すれば愛するほど、あなたを殺すかもしれない。

自分の病気は治らない。

僕に迷惑をかけるかもしれない、いや絶対にかける。

僕は答えた。

「こんな僕でも愛してくれますか」

 ♢ ♢ ♢

僕は一般的な家庭に育ってはいるが、幼いころから4歳上の兄貴に暴力を振るわれていた。

プロレス技のパワーボムやパイルドライバー、関節技の実験台にされるのはもちろん、小1のときには突き飛ばされて車に轢かれた。

単身赴任の父と、兄のやることは何でも許して甘やかす母。母親は、殴られ泣いている僕に「がまん」と赤いペンで書いたティッシュを渡してきた。なぜ僕ががまんしなければならないのか? 当時の僕はそう思っていた。

小学校3年のとき、住んでいた大阪から名古屋に引っ越した。初めてマンションだった。僕の口から最初に出た言葉は、

「4階か~。これでいつ死にたくなっても飛び降りれるから、いつでも自殺できるね」

だった。母は「そんなこと言うんじゃありません」と怒った。

兄貴が中学に入ると暴力は機嫌とともに激しくなった。機嫌がよければ軽いものの、そうでないときは長時間続いた。

この時期、自分が虐待されているサインを送りたかったのか、僕は自分の髪の毛を抜くことにハマっていた。毛根がどうなっているのか見たかったという理由もある。

僕が髪の毛をむしっていることに気付いた母は「アンタ、ハゲできてるよ」と笑いまじりに注意し、そして次のように言った。

「転校でストレスが溜まっているのかしら」

(かしらじゃねえよ。もっと別の理由でストレスの限界来てるんだよ! 気付けよ)

このときから、親を頼るのは金以外でやめよう、無駄だ、と悟った。

兄貴はバイセクシャルで女装癖があり、僕を性的対象と見なしていた。そうして、キスやハグはもちろん、レイプまがいのことまでしてきた。

ケツに男性器を当てられたことも一度や二度ではない。ローションを塗られて本気で挿入されそうにもなったこともある。

親には、実の兄から性的虐待を受けていることは伝えていなかった。

いや、一度伝えたことはある。

ただし状況が変わることはなく、甘えん坊のチクリ野郎と、兄からの暴力がヒドくなっただけに終わった。

そして中学生になった僕は筋トレにハマった。言うまでもなく、兄からの暴力から身を守るため。

兄を殺すためである。

中学3年のとき、兄貴は通学途中に原付で事故った。ノーヘルでバスとぶつかったのだ。死ねばよかったのに。

集中治療室で身動きが取れない兄貴を見て、しかし不思議となぜか涙が出た。

「死ねばいいのに」

僕は兄貴を延命措置しているチューブをわざと踏んだりもした。だが、長時間踏む勇気はなかった。

結局、リハビリに2年かかったが、兄貴は頭がよりおかしくなって戻ってきた。事故したんだからと、母親の兄貴への甘やかしにより一層拍車がかかった。

「亡くなった人のことを悪くは言わない」というが、僕は絶対に兄貴が死んでもありのまま悪く言うし、このときに「死んだ方がよかった」と兄貴が生きている今でも思っている。

18歳で僕が大学に入るとともに、両親は生まれ故郷である熊本に家を建て、僕と兄貴は一緒にアパートを借りろと両親に命じられた。

親に嫌われたくない、困らせたくない、そんな一心で了承したが、この時期は自分の暗黒時代と言える。

兄貴は当時の彼女を家に連れ込み、僕のいるそばでセックスをした。ピロートークも丸聞こえの1Kで。

「弟さんに聞こえるよ」

「いいんだよアイツは。お前もむしろ興奮してるじゃん」

僕はこのときほど、殺意を長期間抱いていたことはない。

いつ寝ている兄貴の頭に鉄アレイを落としてやろうかと何度も何度もシュミュレーションして過ごした。

この暗く救いのない同棲時代は、25歳で出版社に入るまで続いた。

 ♢ ♢ ♢

「こんな僕を愛してくれますか」

何度も何度も僕たちはキスをして、お互いの目を見つめたままセックスをした。

行為の最中の一挙手一投足を見逃さないよう、まばたきもうざったく感じて見つめていた僕に、あげはは照れながらこう言った。

「もっと変態的なセックスする人かと思っていた」

僕は、相手から変態的なことを求められれば応じてきた。眼球を舐めたり、カッターでお互いを切り合い、血を舐め合ったり、縛ったり。

だが、見かけと裏腹にMではない僕は、痛いの大嫌いだ。噛みつかれてケンカして、女を置き去りに帰ったこともある。

あげはとのセックスに関しては、目を見ながらの正常位が好きだった。あげはは何千・何万人、僕は何百人、二人に経験人数の差はあれど、お互いがお互いに、今までで一番気持ちいいと言い合った。

あげはは前戯をしなくても見つめ合うだけで濡れ、僕は勃起できた。

挿入して見つめ合っているだけで、お互いは絶頂に達するほどに、二人の相性は最高だった。

そして僕たちは、交際はもちろん、結婚の意思を確認し合った。

「キョウスケがしてる中指の指輪ちょうだい。ネックレスにつけるから」

「いいけど、なんで」

「アタシがネックレスに指輪してれば、コイツ、男できたなって分かるから」

「分かったよ」

2月20日、そのまま同棲と交際がスタートした。この後、幾度となくセックスをするが、この日が2人にとって初夜であり、記念日となった。

(こんな自分でも愛してくれる)

僕たちは2ショット写真を撮りまくった。

キスをしながら、頬を寄せながら。写真に取られることが大嫌いな僕にとっては大きな変化だった。

何か大切なことの始まりを、何振り構わない大切なものを記念に収めたかったから。

何度も体を合わせ、朝方にはきしむシングルベットの上で、2人は大事なものを守るように安心とまどろみの中、抱き合って、手を繋いで眠りについた。

PODCAST

​あなたも物語を
話してみませんか?

Image by Jukka Aalho

フリークアウトのミッション「人に人らしい仕事を」

情報革命の「仕事の収奪」という側面が、ここ最近、大きく取り上げられています。実際、テクノロジーによる「仕事」の自動化は、工場だけでなく、一般...

大嫌いで顔も見たくなかった父にどうしても今伝えたいこと。

今日は父の日です。この、STORYS.JPさんの場をお借りして、私から父にプレゼントをしたいと思います。その前に、少し私たち家族をご紹介させ...

受験に失敗した引きこもりが、ケンブリッジ大学合格に至った話 パート1

僕は、ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ、政治社会科学部(Social and Political Sciences) 出身です。18歳で...

あいりん地区で元ヤクザ幹部に教わった、「○○がない仕事だけはしたらあかん」という話。

「どんな仕事を選んでもええ。ただ、○○がない仕事だけはしたらあかんで!」こんにちは!個人でWEBサイトをつくりながら世界を旅している、阪口と...

あのとき、伝えられなかったけど。

受託Web制作会社でWebディレクターとして毎日働いている僕ですが、ほんの一瞬、数年前に1~2年ほど、学校の先生をやっていたことがある。自分...

ピクシブでの開発 - 金髪の神エンジニア、kamipoさんに開発の全てを教わった話

爆速で成長していた、ベンチャー企業ピクシブ面接の時の話はこちら=>ピクシブに入るときの話そんな訳で、ピクシブでアルバイトとして働くこと...

bottom of page