最愛のビッチな妻が死んだ 第17章 太一さんへ
この1ヶ月間、僕はソフトに死んでいた。
自分に「長い悪夢を観てるだけだ」と言い聞かせ出した時、危険を感じた。
眠剤と抗うつ剤の量は増え続け、毎日わざとオーバードーズしている。
クスリとドラッグを一緒に、ネットに公開されている規定の致死量まで…あげはのいない世界に慣れられない僕に対して、ただ、ひたすらに死をあげたかった。
「奥さんの分も生きろよ」
「あなたが強く生きないとあげはの死が無駄死になってしまう」
「まだやり残したことがあるから、キョウスケくんは生かされてる」
どうでもよかった。あげはのいないこの世に未練を見出せなかった。
「退屈だな」
「今日も晴れてるね」
「頭が忙しくて仕事の頭に入らない。文字に酔ってが文字が打てない」
小さな鏡に話しかけ続けるのに飽きると1人、ドラッグに耽った。
北原家の家訓であった「1人でドラッグをやらない。やるなら一緒に楽しむ」の掟を破り、僕はあげはに怒られたかった。
「ズルい!1人で!」
一言くれれば終わるのに。変われるきっかけがなかった。一緒に落ちる幸福すら感じられない人生に意味が見出せないどんどん侵食され、犯されていく。
本当に起きてる間中、僕は何かにキマっていた。一日中、ゆらゆら帝国の同じアルバムを聴いているだけの日、ハッパと共にフィッシュマンズやコーネリスだけ聴いてる週もあった。
マンチー状態でメシを食べても全部吐いてしまうので、冷蔵庫には野菜ジュースとウィダーゼリーだけ完備して一週間を過ごす。
「今日は取材に行かねば」
覚醒剤を重ね過ぎて眠れないことに焦って致死量スレスレまで眠剤を飲む朝、眠剤が全く抜けず覚醒剤で強引に身体を起こして取材に向かう昼、抗うつ剤の飲み過ぎでロレツが回らない夜。
周りに迷惑をかけたくないという気持ちもあるにはあるのだが、かつての生活に合わせようとするほど、離人感とうまくやれてない感で凹むの繰り返し。生活と自意識の間で摩擦しまくって、また落ちるの繰り返し。
昔なら、こんな時、「誰かに」そばにいてほしかった。今はあげはにそばいてほしいだけだ。
瞳孔が開いているため、蛍光灯が眩しい。太陽は眩し過ぎる。毎日シラフでもキマリ続けている感じで音や無音状態や声や匂いに過剰に反応する、抗うつ剤が切れると衝動的な死への欲求で何度も電車に飛び込みそうになる…こんな感じの世界に生きてきたあげはに感心しながら、尊敬の念と気の毒にとまた思い出して落ちる。
「ドラックもクスリも、もっと上手く付き合ってあげたかった」
やること全部が上手くいかない気持ちといろんな二日酔いが抜けなくて、うまく泣けもしない。
「自分の弱さを知ってる人は強い」
と、あげはのことを太一さんは言っていた。
「キツい時はキツいって言ってええんやで」
「気遣いは大切やけど、余計な気は使う必要ないからな」
この1ヶ月間、人間として最低で恥ずかしい僕を太一さんは見捨てなかった。
約束を破り、仕事をすっぽかし、クスリに逃げ続けた僕に対して否定をせずに見守り続けた。
「キョウスケは大丈夫や」
太一さんはそう笑って許してくれた。
ありがとうございます。僕はやっと、あげはの深淵の入り口に立てた気がしてます。
この病、このサイクルでは絶対に30歳までもたないと言われ続けて、32年がんばり抜いたあげはに恥ずかしくない生をまっとうしたい、そんな気持ちになれたのは太一さんのおかげです。
僕はあげはと違って強くはなく、自分の生き得るペースがうまく取れてないので、よけいに痛々しく映ることもあると思いますが、たぶん注意しても聞かないけど、注意だけはしてあげてくださいね。
いつもありがとうございます。太一さんには感謝しかありません。
全然手付かずだったこの原稿、もう少しだけ書き連ねます。
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